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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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夕焼けに染まる街と暗闇が忍び寄る路地裏のコントラストは切り絵の様で一種幻想的だった。
木造の古ぼけた扉につけられたカウベルが軽やかな音を立てる。その中からさらりとした癖のない亜麻色の髪の少年が路地に出てきた。ユイだった。
「それじゃ、ありがとう」
「どういたしまして」
店の中に声を掛けて一度会釈をしたユイは夕日に染まる空を見て溜息を吐く。
思ったよりも時間が掛かってしまった。もう少し早めに帰路に着く予定だったのだが仕方ないと割り切る。
母が先に家に着いているのなら連絡の一つもあるだろう。携帯電話に着信履歴はない。
「それは?」
路地を少し足早に歩くユイに通りの良い月の声が掛かった。
紙袋に包まれた荷物を大切そうに両腕で抱えるユイが笑う。
「探してたもの」
「…何?」
「えーっとね、絵本」
「絵本?」
絵本など頭脳的なレベル云々の前に年齢的に卒業しているだろうユイの言葉に月が首を傾げた。
半分駆け足になりながらユイが上がった息の合間に答える。
「父さんにも後で見せてあげるよ」
そう言いながらもユイは速度を落とさず、真っ直ぐに路地から表通りへの最短距離を走り抜ける。途端喧騒が聴覚を占めてユイは苦笑を禁じ得なかった。
これから帰る時間を考えれば、たぶん日が落ちるのと同時くらいだろうか。
ちらりと一定の距離を保ちながら着いてくる月の姿を確認して、ユイは荷物を抱え直した。
道路に面したショーウィンドウに自分の姿が映る。ぼんやりとそれを見ながら後ろを着いて歩く月の姿も間接的に確認すれば、悠然と歩く月を擦り抜けるように人が通り過ぎていくのが見えた。
実体を伴わないのだから当然と言えば当然だが何か変なものを見るような感覚で、思わずユイは肩越しに振り返り確認してしまう。
そこに月の姿は存在している。少なくともユイには視認出来る。しかし嫌でも彼がこの世に属さない存在なのだと、また月の存在に気付かず月を半分擦り抜けた通行人の後ろ姿を見遣りながら認識した。
突然自分の中で実像を結んだ父は、実は二週間という長い間見続けた幻影なのではないのかとさえ思えてくる。
ただユイが知り得なかった一つを幻影は与えるだろうか。
無駄なく帰路を辿り、一つのビルの前に行き着いてユイは小さく溜息を吐いた。
「遅かったですね」
どうやら一足遅かったらしい。
存在自体から色を排した様な容貌の女性が羽織った、落ち着いた色のコートがはためく。
「……母さん」
「お帰りなさい」
丁度一台の黒のリムジンが滑るように出て行くのを視界の端に捉えて、これは本当に僅かの差だったのかも知れないと思い、ならば余計な考え事などせず走るべきだったと思った。
足音も少なく歩み寄ってきたニアがするりとユイの頬に触れる。そして次の瞬間、軽い音を立てて頬が叩かれた。実に上手い具合に加減されたが故に痛みはない。
「ごめんなさい」
「いいえ。惜しかったですよ。通りを歩いているユイを追い越しましたから、もう少し早ければ間に合ってました」
微かに笑ったニアが優しい手つきで頭を撫でる。
既にそんな年ではないと思いながら普通の親子よりも共にいる時間が少ないことを十分に理解しているユイは、母親と過ごせる何気ないこんな時間と遣り取りが大切だと享受する。
「でも、母さん…。今日早いね」
「そうですか?」
「うん。だって日が落ちる前に帰ってくるのは珍しいじゃない」
幾重にも張り巡らされたセキュリティを潜りながら、ユイは黙って少し後ろを着いてくる月を母親に気付かれぬように振り返った。
二週間共に過ごして初めて見る表情だった。じっと観察するような様子の中に冷たい感情が混じっている。しかし憎悪ではなく何か見定めるかのように試す視線に思えて今度は隣を歩く母親の横顔をユイは見た。
前に月が言った通りニアには姿が見えないらしい。
他愛のない会話をしながら相槌を打っていたニアが、ふと視線をユイに向ける。
「私の顔に何か着いてます?」
「……え?」
「そんなに見詰められて、気付かないわけがないでしょう。…何か気になることでも?」
静かに問うてきたニアにユイはただ「何でもない」と首を振る。
気にならないわけがない。聞きたいことはたくさんあった。何よりユイの強がりな嘘など、ニアはとっくに見抜いているに違いない。
けれどニアはそれ以上は聞いてこなかった。
「そうですか」
静かで淡々とした声が隣から降ってきて、今度はちらりと母親を見遣る。
瞬間、真白な印象の容姿の中で唯一深い色の瞳とかち合ってしまった。気まずいと思う前にニアの視線が外れる。
「それは?」
「……え?」
ニアの視線が子供が両腕で抱えている紙袋に移る。
つられて自身の腕の中に視線を落としたユイが「ああ」と声を上げた。
「絵本だよ」
「……絵本?」
聞き返してきたニアが不思議そうに首を傾げる。それに思わず笑ってしまった。
先程、月がユイに荷物の中身を問い、答えを返した時の反応と良く似ていた。
「うん。ずっと探してたんだけど」
「珍しいものなんですか?」
「珍しいと言うより、絶版だったみたい」
「絶版?」
リビングに辿り着いたニアが羽織ったコートに指を掛けながらもう一度首を傾げる。
ふわりとした癖のある髪が揺れ、しかしニアの視線は紙袋から外れない。気になるのだろう。
音も、ニアからすれば存在も感じることなく、リビングに続いて入ってきた月をユイは視界の端で追った。
母親と同じようにその絵本が気になるのか月もまた促すように頷く。
「…うん。昔、見せて貰ったことがあるでしょ。お話は普通だったけど絵が綺麗で、忘れられなかった」
ユイは肩に掛けていた鞄をソファに置くと紙袋から丁寧な手つきで一冊の絵本を取り出す。
確かに絵が綺麗だと記憶するのに値するだろう、珍しく豪奢な装丁の絵本が露わになる。表紙に描かれたのは青い空と海。
見覚えはなかったが月も確かに綺麗だと思った。その横で小さく息を呑む音が上がる。
表情の起伏が余りないニアにしては珍しく酷く驚いた様子に、ユイは微笑み、月はまじまじと魅入った。
「…良く、」
淡々としたニアの声に少し感情が滲む。
「見つけましたね」
母親の言葉にユイは「はい」とだけ言って自身の手の中にあった絵本を差し出した。
恐る恐ると言った手つきでニアが絵本を受け取り、まるで零れ落ちた残滓をなぞるように表紙に指を這わせる。
細く白い指が絵本の端に掛かり、本が開かれた。綺麗というのが一番相応しいのだろう、絵本の内容よりも絵の秀逸さが記憶に残るようなそれをニアの手が一ページずつゆっくりと捲っていく。
箔押しで物語部分が挿入されている。言語は英語だった。
元々幼児向けに書かれた文章は簡単で、話自体は本当何処かで聞いたことのあるような在り来たりな物語。
一見変哲もない絵本をニアの深い色の瞳がじっと見詰め、暫くして思い出したようにページを繰る。
その間ユイは黙って母の様子を見守り、月は存在が気付かれないことをいいことにニアの手の中にある本に視線を落とした。
やがて最後のページに辿り着き、簡単で在り来たりな物語は終わりを告げる。最後のページには雨が降り、虹の架かり始めた空が描かれていた。
「……懐かしい?」
本を閉じたのと同時にユイが訊ねる。
視線を自分の子供と絵本と交互に見遣ってニアはゆるりと首を振った。
「いいえ」
「……そっか」
分からぬやり取りに月が眉を顰めるとユイが見咎めて笑う。
「母さんの本は、もう無くなっちゃったもんね」
「ええ」
苦笑とも呼べる表情を浮かべてニアが答えを返す。絵本を受け渡された時と反対にユイに返そうとして、ユイの手がそれを押し留めた。
「あげる」
「誕生日にはまだ早いですが」
「プレゼント、去年はあげられなかったし。早いけど二年分ってことで」
にこりと笑んだユイは母の手から絵本を受け取らず、ソファに一旦下ろした鞄を引っ掴んでニアの横をすり抜ける。
ニアが何かを言いかけたのを振り返って笑って止めて部屋に戻っていく。
その後ろに月は続いた。絵本の内容など簡単過ぎてニアがページを捲ったときに全て記憶している。
特段何とも無いようなそれにニアとユイ、月が知らぬ親子の何かがあるらしい。
「ユイ」
その時、リビングから顔を覗かせたニアが小さな背中を呼び止めた。
振り返ったユイが首を傾げると、ニアの余り表情を乗せない淡々とした声が訊く。
「貴方の方が誕生日は先ですね。プレゼントは何が良いですか?」
「……うん、それじゃあ」
ユイの言葉にニアが目を丸くする。無理はなかった。
凍りついたように動かない母親の思考が正常に動き始めれば面倒なことになるのは考えるまでもなく、逃げるようにユイは自室に入っていく。
部屋に入った瞬間、後ろを大人しくついてきていた月がユイの細い肩を掴んだ。
月がユイに進んで接触してきたのは初めてだった。
「ユイ、お前…」
「気に入らない? 言った通りだよ。僕は、ただ知りたいだけなんだ」
「僕のことを?」
「そうだよ。夜神月、…”キラ”のことを」


***


――夜神月について知りたい。

形の良い唇が紡いだ名前にらしくもなく思考が停止した。
隙を突くように自室に戻っていく後姿に掛ける言葉は見当たらず、気付けば一人で立ち尽くしている状況に自嘲が込み上げる。
誰にも、他言はさせていないはずだとニアは記憶の中を振り返る。そうじゃなくてもどう説明しろというのだ。
父親のことは生まれた子供がどう育つか、育てられるか、それを見て物事の判断の区別が充分に付く様になってから話すつもりだった。
それまでは父親の名前も教えずに育てるつもりだったし、現にそうしてきた。日本人にしては変わった名前だが簡単に見つけ出せるものではない。ならば誰がユイに教えたというのだろう。
ソファではなく床にぺたりと座り込んでニアは数週間前に見たメールを思い出す。悪戯にしては出来すぎた非現実的なメール。
差出元はこの部屋に置いてありながらセキュリティを外し仮想的に外部に押し出したパソコンからだった。
忙しくてあの後パソコンは確かめず廃棄した。
(悪戯ならば誰がと思っていたが…、まさか)
メールを悪戯として出すのだとしても犯人がユイであることはないだろう。
あの内容は本当に月本人が書いたような言葉回しであった。ユイは月のことは何も知らない。教えず育ててきたのだから当然だ。あそこまで似せられるとも思えないし、大体意味がない。
”幽霊っていると思う?”
躊躇いがちに問われた言葉が不意に脳裏に浮かぶ。
有り得ないと言いたくて、しかしニアは可能性として無いとは言えないと思い直す。
しかし出会った死神は言わなかっただろうか。人間は死んだら”無”に行くのだと。
お前たちの信じる神や何かは分からないが天国も地獄もなく無であって、其処に罪も罰も存在し得ない。
ニアは自身の細く白い手首に視線を落とした。
其処には躊躇いもないうっすらとした傷跡が残っている。
「………夜神月、本当に………居るんですか、」
指先は白い肌に残った傷跡をなぞり、そしてぱたりと床に落ちた。ゆるゆると首を振ったニアは訳も分からず泣きそうになっている自分を客観的に感じて不思議と思う。
今年、ユイは十歳を迎える。まだ早いと判断していたが父と母の才を十分に継いだ息子には、もう幾ら誤魔化しても無駄だろう。ユイが真剣に真実を求めたならば必ず辿り着いてしまう。なら――
(私が、私の…意地を清算する時が来たのかも知れない)
そう、ニアは覚悟を決めた。




>>間が空いた5話目。
   折り返し過ぎたと個人的には思っているけど、少し修正が必要になってしまって
   非常に難産。苦しい(苦笑

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くまがい
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性別:
女性
自己紹介:
此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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