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呼吸することさえ下手な大人だった。そんな大人は時を経て邪魔をすることに関しては本当に上手くなった。にこにこと笑みを浮かべて、血色の悪い白い指先が与えたのは奇抜な色紙に包まれたキャンディ。
その一つを手の平に落とし、自分の分の包み紙を摘んで、血色の悪さと相まった酷く赤い舌先がキャンディを攫っていく。
自分は、そのキャンディの行方を追っている。
「レイムさん? 眉間に皺寄ってますヨ」
「誰のせいだと思ってるんだ、誰の」
「私のせいですネ」
溜まりに溜まった報告書の手伝いを申し出たのは友人としての善意だったのに。少しだけ驚いた顔をして、次にいつもの笑みを浮かべて一緒に執務室に入ったまでは良かったのに。
一向に進まない報告書に手を焼いている現状に午後の陽気は毒にしかならない。
大きく取られた窓からは緩やかに忍び寄る午睡の気配。陽光の下だと殊更分かる血色の悪さが眉間の皺を更に深くする。
その男にしてはすらりと伸びた指が回す羽ペンの軸の切っ先。弧を描く軌跡を止めるために伸ばした腕は呆気なく相手に絡め取られた。羽ペンと共に腕を解放されて溜息を吐く。
「頼むから仕事してくれないか」
「してるじゃないですか。失礼な人だなレイムさんは」
「こっちは自分の仕事を後回しにお前の報告書を手伝ってやってるんだ!」
「ええ」
思い切り机に手の平を打ち付けて上がった音と同時に吐き出した不満を、たった一つの相槌で流された。ふっと笑む表情はいつも浮かべている笑顔とは性質が異なり、口を噤む。
この大人が上手くなったことの一つにこういった遣り取りがある。
出会った後数年は内面を取り繕う余裕など欠片もなく、むき出しの感情に良く八つ当たりされたというのに。
今じゃ感情を奇異な仕種と口調で誤魔化して奥底に沈めてしまう。
「ザークシーズ」
「ハイハイ?」
「疲れてるんだな? お前」
「……はい?」
ぱちり。隻眼の赤が瞬き、作られた表情が落ちる。
伸ばした手の行方を今度は阻む気配がない。触れた血色の悪い頬は、見た目が与えるまま冷たく、矢張りと内心歯噛みした。この大人が上手くなったつもりで、長い付き合いになる自分に全く通用しないものがある。我慢だ。どうせ見通す。だから自分の前では無理などしなくても良いのに。手の甲に重ねられた白い指先はもっと冷たい。
「粗方は終わらせてやるから、お前は少し寝ろ」
本来なら報告書が苦手とはいえ、ここまで溜めることもないだろう。
最近騙されそうになるが元は真面目すぎる性分の、このどうしようもない大人は、机に自分の許容量を超える分を残してしまうほどに忙殺されたのだ。
ぱちぱちと繰り返される瞬き。そっと離れた指が掛けられた小さな鞄へと伸びる。中を満たすのはいつだって甘味の類だ。器用に摘み上げた先程とは違う包み紙のキャンディを何個か机の上に落とし、ザークシーズは笑った。
「本当に君はどうしようもないお人好しだ」
「そうだな、私もそう思う」
くすりと笑みが落ち、素直に踵を返した姿が、そのまま部屋に誂えてあるソファへと沈む。音が殆ど無い、奇矯な言動とは対角にある洗練された騎士としての一端を垣間見せる動きだった。ソファからはみ出る彼の上着が緩やかに床に着くのを見届ける。
「それじゃ、少しだけ寝ますカラ」
「ああ」
「後で文句言わないで下さいヨ」
「ああ」
「おやすみなさい」
狭いソファの上で器用に寝返りを打ち背もたれの向こうに顔を隠す姿と、不釣り合いな机上に落とされたキャンディを交互に見遣る。まだ、先程寄越されたものでさえ口に放り込んでいない。
ただ自分は、凡そ血の通っていることを疑うほど血色の悪い顔で唯一、熱を帯びたあの赤い舌先に攫われたキャンディの行方を思う。
細く折れそうな身体に吸収され糖分に成り果てた、わざとらしい甘味の味はまだあの舌に残っているだろう。
告解の如く囁かれた言葉と共に。
――でもね、寝る時間が惜しくて堪らない。
私の未来は死に絡め取られているのだから。
同じような言葉を聞いたことがある。それはまだ自分が幼い頃。レイズワースに逗留していた頃。
**
気に入らない。気に入らない。何が気に入らないのか分からない。
レイムは荒い足音を隠すことなく、宛がわれた部屋に向かう。バタンと乱暴に扉を閉め、ベッドにそのまま沈み込んだ。窓の外はまだ明るくて、本当はやることもある。でも今はそんな気分になれなかった。
「なんだっていうんだ」
弱々しい声が口をついた。出てしまえば後はもう済し崩しに愚痴がぽつぽつ出てしまう。独り言のそれは部屋を満たし、ゆっくりと静けさに変わっていくのだ。その沈黙が痛い。
「私だって、別に居たくて居るんじゃない」
愚痴が弱音にまで行き着いた。滲んできた涙で視界が歪み、慌てて目を擦る。邪魔になった眼鏡を脇に置いて、枕に顔を埋めた。ぐすっと鼻を鳴らし落ち着くまで待つ。ああ、何で自分がこんな思いをしなきゃいけない。
「というか大人げないんだ。子ども相手に」
主の使いで訪れたレイズワース家にお世話になることになった経緯は、大抵の使用人が聞くと同情するほど理不尽で身勝手な話だ。主曰く文の返事を貰うまで帰ってくるな、である。幼いレイムはレイズワース家の当主であるシェリルが文を読み終えた後、消え入りそうな声で「お返事を頂けないと、私、家に戻ることが出来ません」と告げた。穏やかな笑みを浮かべるシェリルが、一瞬目を瞠る。そして良いことを思いついたと手を叩いた彼女は無邪気だった。そして朗らかに一言。「だったら暫くここにいたらいいわ」。
その後はあれよあれよと部屋まで与えられ、子どもにも出来る雑用をしながらレイズワース家で過ごしている。余所者のレイムを疎ましく扱うものは一人もいなかった。歳の近い当主の孫娘には懐かれ、孫娘の母君も優しい。いい人達ばかりだ。
――あいつを覗いて。
思い出したら腹が立ってきた。本当に大人げない大人だ。威嚇だろう、ぶつからないよう投げつけられたインク壷が勿体無いと思った。結構な誂えのもので、自分で買うとなったら何年働かねばならないだろう。
『傷が開く、そんなに自分を痛めつけても意味がないだろう?』
純粋な心配からだったのに。
光が差し込むと、病的な白さと細さの男の髪は不思議な色彩を纏う。レインズワース家が守る”扉”の前にある日突然現れた男は名を暫く名乗りたがらなかった。見つけたのは自分と当主の孫娘のシャロンだ。黒い外套、黒い礼服、血に塗れた白い身体。手負いの獣みたいな男は、保護されてからと言うもの大体がぼんやりと窓辺で過ごしている。
普段は大人しい。無気力と言うべきか。そんな男は突然発作を起こしたように、負った怪我をほじくり返す。失ったばかりの眼球をまた抉るようにする。その男にしては細くて綺麗な指先で。今日もまたそんな状態で。偶々見つけたのがレイムで。そして、先程の言葉を掛けた。
幼い子どもに掛けられた言葉に男は激昂した。大人らしくなく、途中からは何を言ってるのかも聞き取れなくなっていく。しかし投げやりに最後に吐き捨てられた言葉だけは聞き取れた。そして聞いた瞬間、咄嗟に手にしていた書類を男に投げつけてしまった。
「馬鹿、……なんで死にたかったとかいうんだ」
『どうせ私が死んでも誰も困らない』
その言葉が悲しかった。
多分放っておけば彼は死んだのだ。発見が遅くても死んだ。偶然でも直ぐに見つけられたことを良かったと思ったのに。全て否定する態度が耐え難かった。彼が救えなかったという主人の代わりには誰も何もなれないだろう。けど新しく彼が生きるための何かを、彼はここで見つけられるんじゃないかと。見つけられた良いと願っている。
今もだ。
「ばか、馬鹿ザクス」
「悪かったよ」
ぐすぐすと鼻を啜り漏らした悪口に返事が返った。
慌てて眼鏡を取り、掛けて、扉の前に気配もなく佇む影を見詰める。色素が薄くて、顔色は決して良いとは言えなくて、端正な顔立ちだが今は半分包帯に覆われている男の姿を。
「……え? え、いつ」
「今。一応ノックはした。ただ……声が返ってこないのに気配はするし……その、何かあったのかと」
「何もない」
「ああ。その、……すまなかった。少し苛立っていて、お前に八つ当たりした」
いつ入ってきたのか分からなかった。でもその理由は何となく分かる。ゆっくりとベッドに近づく足音は注意しないと聞き取れない。
「助けて貰って、あの言い分はなかった。本当にすまない」
「それ、……誰かに言われて来たのか?」
そっと差し出されたのは先程男に投げつけた書類だ。受け取ると困った様に視線を彷徨わせる男を見詰める。小さく口を開き、何かを言いかけて、閉じる。二度繰り返した後、男は溜息を漏らした。
「ああ、シェリー様とシャロンに」
「ザクスは」
「うん」
「まだ死にたいと思ってるのか」
「……よく分からない」
「分からないなら死にたいなんて言うな」
「ああ、すまない。ただどうして生きているのかと思う時があるんだ」
ベッドに男が腰掛ける。涙を乱暴に拭ったレイムの目許に気付いて指が伸びた。先程自分自身を傷つけた指とは思えない優しい手付きで。
「私は、やることがあるんだ。……これでも多分」
「なら」
「でもそれは救えたら、の話だった。救えなかった私は、どうして自分だけ生きて、暖かい場所を分け合って貰えるのか分からなくなる。そうすると苛立って訳が分からなくなるんだ。……お前にこんなこと言っても仕方ないけれど」
それがレイムを傷つけた免罪符にはならない。男がそう言う。
「生きてるから、だ。それでお前を嫌いじゃないから、だ」
「……え?」
暖かい場所を与えられるのは、間違いなく彼が生きていて、そうして彼を少なからず悪くは思わないからだ。深い傷が癒えるには時間が掛かるのだから。それなのに惜しみなく与えられる暖かさを受け取れない男は実直だ。そして不器用だ。
「だからもう死にたいというのだけは止めてくれ」
絶望は波打って何度も何度も抗いがたく彼を襲い苦しめるだろうけど。
「息が止まりそうだ。……私まで」
「レイムまで?」
「そう。私まで」
ひたり。片方しかない真紅の瞳に視線を合わせると、首を傾げた彼が緩やかに口角を上げた。
「それは良くない。命の恩人まで殺したとなっては流石に人でなしになりそうだ」
「子ども相手に本気で怒って物を投げつけてくる時点で、割りと片足突っ込んでるぞ」
ふふ、と相手が笑みを零す。初めてではないかもしれないが、こんな風に穏やかに笑った顔を初めて見た。
でも落とされた言葉に胸が締め付けられる思いがした。彼はこんなにも苦しいと、レイムは思う。
「有り難う、レイム。でも、私はたくさん殺しすぎて、奪いすぎて、未来はもう死に絡め取られている」
――だから、そこまで気に掛けなくて良い。
**
「レイムさん、レイムさん」
「……うん?」
肩を揺さぶられて、意識が浮上する。穏やかな午後の陽気に当てられてうとうとしていたらしい。白い手がひらひらと目の前で振られた。
「起きてます?」
「お前はちゃんと休めたか?」
「ちょっと、質問に質問で返すのは失礼ですヨ。おかげさまで少し楽になりました」
にこり。笑う笑顔に、今し方見ていた夢の延長を描く。背中にまで伸びていた髪は邪魔だと言ってばっさり切り落としてしまった。あれだけ衝動的に繰り返した自傷行為も無い。隠していた甘味好きも隠すことを止めて。色々変化した中、ただ色の白さだけ、線の細さだけは全く変わらくて。
「レイムさん?」
白い手を取る。相変わらず冷たい手だが、休憩を取る前よりは余程良い。それを額に押しつけてレイムは目を瞑った。
「お前が、変なことを言うから」
「ハイ?」
「昔の夢を見た。最初の喧嘩の時の」
「ああ、貴方ってば本当に昔っから怒り方変わらないですヨネ」
思い出したのだろう。心底楽しそうに笑う声が、耳を擽る。昔より笑う様になった。ちゃんと笑える様になって、でも矢張りあの時抱えた絶望も闇も彼の中には根を張っている。だから心配で仕方ない。
「誰のせいだ、誰の」
「でも前より怖くなったかなぁ」
「え?」
「レイムさんには昔から敵いません」
パンドラ最強と謳われる男の口が、本当に敵いませんと繰り返す。少しだけ拗ねた響きさえ含んで言われれば。
「ああ、だってお前は昔から手が掛かるから」
「小さな子どもだったくせに」
「その小さな子どもに面倒見られてたくせに」
「……そんな昔のこと、忘れました」
戦況が悪いと視線を逸らされ、机に転がるキャンディに気付いた指が摘み上げた。眠ってしまう前に机に落とされたそれらは一つを除いて手つかずだ。最初に貰った一つだけが小さな欠片になって口内に残っている。
器用に包み紙を外す手が、白と毒々しい赤いキャンディとの対比を見せて目の前に差し出す。甘いその塊を。
「ザクス?」
口を開けた瞬間放り込まれたキャンディは、目の前の男が好む甘すぎる果実の味。
かりっと歯を立てると、勿体無いと笑う。優しい笑みの中に、矢張りやりきれない絶望がある。
だから思う。
もう一つと摘み上げた白い手が、白い顔で唯一熱を感じさせる赤い舌先が攫うキャンディの行方を。
(その甘さが少しでも孤独を誤魔化せるのなら)
(そうやってずっとずっと誤魔化されてしまえば良いのに)
>>改稿、付けたしぽぽいのぽい!
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