an anecdote2 :ネズミさんの諸事情

参ったなぁ……と深々と溜息を吐いたレイムとルーファスがもう一度溜息を吐く原因となったソファを見遣る。
ソファというのは正確ではなく正しく言うならソファに体を預けて健やかな寝息を立てる青年だ。金色の少し跳ね癖のある髪を惜しげ無く伸ばした青年の瞳は、今は目蓋が下りてしまっていて見えないが珍しいオッドアイである。葡萄酒に似た上品な紅と金の瞳は一度見たら忘れられない程で、加えて自覚もあるらしい端整な容姿も相まって、それはそれは貴婦人達の噂の的になるのだが、今健やかに眠る姿を見下ろす二人にとっては見目麗しい容姿も憎らしさの対象だった。
「……普通寝るか？　のう、レイム」
「はぁ……」
会議に徴集したは良いものの何度も素気無くのらりくらりとすっぽかされ、やっと捕まえたと思ったらこれである。
深い眠りについてしまったのは本人の意志とは関係ないかもしれないが、しかし結局報告を受けられないという結論は同じだった。
彼が契約を交わした”眠り鼠”のチェインは度々契約主の意識を深い睡眠を誘う事によって奪う。
無防備に寝ているところを見ると間違いなくチェインの影響のようだが……。
「これは起きそうにないの」
手にしていた扇で青年の脇をつついていたルーファスがやれやれと首を横に振る。
これでは逃げ回る相手を数日追い掛け回してやっと捕まえた徒労が泡と消えてしまう。
「……”眠り鼠”のせいなんでしょうが。起きるのはいつになるか……。ルーファス様？」
「仕方ない」
何とか起こそうと頬を軽く叩いてみても、ぴくりとも反応しないのを見てルーファスはよいしょと屈んでいた姿勢を正した。
そしてくるっと踵を返すと様子を見守っていたレイムに向く。
「”帽子屋”」
じっと見据えるようにして呼ばれた名前にレイムが視線を斜め後ろに逸らした。
そこに無かった筈の姿が実像を結んでいく。銀糸の髪を揺らして「はい？」と返した友人の姿にレイムはソファを指差すことで応えると、ザークシーズは首を傾げた。
「……ああ」
すやすやと寝息を立てる青年を見下ろして小さく笑ったザークシーズが何を要求されるのか心得て尚、そ知らぬ振りでルーファスに視線を投げて寄越した。
「”眠り鼠”のせいですネェ」
「起こせんのか」
「……さぁ？　少し引き離せば起きるでしょうから、可能と言えば可能でしょうけど」
そして首を傾げたザークシーズにルーファスが短く一言宣った。
「起こせ」
「嫌デス」
間髪入れず返った言葉に思わず目を丸くしたのはレイムだ。
扇を開いて口元を覆った主人と、笑みを浮かべたまま何も言わない友人の間に挟まれる形で動けなくなってしまう。
「”帽子屋”、汝は立場が分かっておらぬのう」
「何を言ってるんデス？　チェインは人間の立場なんかに縛られませんよ」
さらりと告げる言葉に眉を顰めたルーファスが、ほとほと困り果てているレイムを見遣った。
「汝の契約者はレイムじゃろう？　レイムの主人は我であるのだからレイムの命令と同義のはずじゃ」
「全然違いますよ。駄目です」
「全く憎たらしい」
「貴方がネ」
肩を竦めて返したザークシーズがふと視線をレイムに向ける。
口を出さず困惑の表情を浮かべたままのレイムに「で、どうして欲しいんです？　レイムさんは」と聞く。
ここで自分に問うのか、と思わず恨み言の一つも言いたくなったが彼にしてみれば至極当然のことなのだろうから、思うまま答えを口にした。取り合えずこれに関して主人と自分の望みは一致している。
「起こしてくれないか。折角捕まえたのに、これでは」
「分かりました」
最後まで言わせず、にこりと笑うとザークシーズはソファで眠る青年の肩に触れる。
ふわりと像を結ぶように浮かび上がった背にゼンマイのついた鼠を見ると、何て事も無い様に腕を伸ばして抱き込んでしまった。
「良いですか？　貸しですからネ、バルマ公」
「我か？」
「でしょう？　それでは」
少しだけ身動ぎをして抵抗する鼠をぎゅっと抱きしめて一礼をしたザークシーズがソファから離れる。
レイムの後ろに回り込むように移動すると、レイムが振り返る頃には姿が掻き消えていた。
「ううむ、貸しか……」
唸るような主人の声に視線を戻すと、小さくソファから声が聞こえた。
先ほどまで微塵も動かなかった目蓋が微かに震えて持ち上がる。左右色の違う印象的な瞳がぼんやりと焦点を結べず視点を彷徨わせて、
「……あれ、バルマ公爵、レイムさん？」
少し眠気を残した声が名前を呼んだのでルーファスとレイムは思わず顔を見合わせて笑った。



＞＞もしも設定小話。
　　　うちのチェイン設定ブレイクがよくネズミさんを抱えているのは、これがきっかけで。
　　　きっと抱き心地が良いんだとおもわれる。