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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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何とも天才発明家の考えることだ。サラブレットを掛け合わせた仔馬が駄馬だったなど良くある話ではないか。
それでも可能性に縋るのだろうか。人類として比類無き才能に満ちた存在の能力を継がせられるのならば、どんなものも、喩え個人の人権さえ厭わないと。
”L”の後継者を育てるワイミーズハウスに女子は勿論いた。全員が全員何かしらの分野において才覚を見せた子供たちである。その中で”L”を継げる、その分野での才覚を見せた女子はニア一人だった。ただそれだけのこと。
問題は跳ね除けられるほどニアがそれについて強く拒絶の意志を示せなかったことにある。
天才と天才の遺伝子を掛け合わせれば、同レベルの天才が、又はそれ以上がこの世に存在出来るのではないか。
嘗ての”L”にワイミーズの抱えていた研究機関が彼の精子を保存したいと申し出た。申し出を”L”は一蹴し、ワタリとして側にあったキルシュ・ワイミーも彼の意志であるならばと”L”の意志を尊重した。
故に彼の遺伝子はバンクに保存されていない。
メロとマットの遺伝子もバンクには保存されていない。それはメロがハウスを出る年齢を達する前に出てしまったが故だし、マットは矢張り”L”と同じように保存を望まない意志を伝えたからだ。
バンクは彼らがハウスを出るのと同時に意志があるか無いかを問う。
しかしニアにはそれがなかった。
最初から決定権が無く、拒絶すれば生まれ持った性別を理由に押し切られるような勢いである。
”L”に相応しい分野で才覚を示した女子は未だニアしかおらず、その遺伝子をどうしても彼らは手に入れたかったらしい。
決定権のない告知にニアは諦めとも嘆息とも着かぬ息を吐き、一度聞いたことがある。
『例えば、才覚のある人物の遺伝子と遺伝子を掛け合わせた子供が普通だった場合、貴方たちはどうするつもりか』と。
聞かずとも答えは出ていた。まず、遺伝子を保存する為の理由自体が酷く実験じみている。人格など、人権など、無視された存在意義だった。
だからこそニアは首を縦には振らず、キラを捕まえたその時まで卵子の提供をしないと言い切った。
何とかキラを捕まえるまでは嫌ですと躱し、頑なに断り続けた。
しかしキラとして夜神月を捕まえてしまえば明確な理由が無くなる。断り続けるのには限界があり、そればかりかハウスを出る時よりも酷い告知を受けることとなった。
遺伝子として卵子を提供せずとも良い。ただし自身で子を為せ、と言う一方的な命令に絶句した。
元々遺伝子を提供し受精させたところで、母体に関する問題が出てくるのだ。代理として出産させる人間は別に凡才でも構いはしないが、中の胎児に影響することを考え身柄を監視しなくてはならない。
時に手段は選ばないだろう。
ならば最初からワイミーズの存在や仕組みを知っている人間の方が良い。
自然受精とは異なることにはなるが、母体として問題がないのなら本人に生ませた方が良いというのが彼らの見解のようだった。
誰の、とニアは問わなかった。バンクにある遺伝子であろうが、今生きている天才と引き合わせようが間違いなくワイミーズの人間か、息の掛かった者でしかない。聞いたとして無駄だった。
ニアは極力人に触れられるのを厭がる。そんな彼女に対して一晩で良い。ただ子を為せと言うのは余りにも精神的に負荷が大き過ぎる。
大体において一方的に押しつけられた内容自体、一昔以上前の女に課せられるようなもので現代にはそぐわない。
不愉快であったがしかし一方で理解はしていた。ニアは一個人として有るよりも、既に個人として見られぬ道を選んでしまっている。必要性があるならば、これから先何度も同じような要求は続くだろう。
”L”として滞りなく引き継ぎを行う間にも再三申し出という名の催告は続き、要らぬ所で精神は摩耗した。
元々外に出る感情が乏しいニアの異変に一早く気付いたのは、施設を作る間共に移動させ拘束していた月だった。「どうした?」と聞いてきた嫌味さえ含んだ涼やかな声にニアが驚いたのは言うまでもない。
「私にも分かりません」と返したニアが、その後ぽつりと「何故、私は女に生まれたんでしょうね」とどうしようもないことを呟いたことに今度は月が驚いた。
顔には出さず、しかし何を思っているのかを量ろうとした。
ニアに拘束されてからと言うもの外部との接触は断たれ、会話など誰ともしていない。別に苦には思ってなかったが退屈は退屈だった。
月は退屈を潰すようにニアが何故生まれ持った性別を厭う言葉を吐いたのかを慎重に聞き出すことにした。”L”として動くだけならば表に立つ必要もなく、”L”たる才能を備えていれば女であることを否定する必要もない。
しかし、ずっと通信越しに精神力の瀬戸際で心理戦を繰り広げてきた相手だ。簡単に月に何かを漏らすことはなかった。
結局聞けず終いのまま拘束された月の部屋からニアが出て行くとき、ひと言だけ「……また来ます」と声が掛かった。それが全てだった。
月にしてみれば拘束されている間、食料を運ばれてくる以外に誰かと接触することはなく、話し相手は時折ふらりと現れるニアだけ。それも他愛もない嫌味の応酬が殆どで、身動きの自由さえあれば殴ってやりたいと何度も思った。しかしふとした瞬間に垣間見える儚い印象がある。何か諦観したような、それでいて決して諾としたくない何かに抗うような。
月はその何かがニアにとって今一番苦痛を与えているのだと容易に結論に辿り着いたが、ニアは決して話さない。核心に触れることを許さず会話を断ち切り部屋を立ち去る。それが続いたある日、いつもとは違う様子で部屋から連れ出され、全てから隔絶された建物に移動させられた。
不便なので貴方を閉じ込める為の建物を用意させねばなりませんね、と初めて拠点を移動した際にニアがさらりと言ってのけたことを思い出して、これがそうかと思った。
ニアと月の居場所は一所ではなくなるのであれば、時折月の元に訪れ会話を繰り返したニアの行動も終わるのかと思い至り何故か少し残念に思う気持ちがあるのを月は自覚する。
殺してやりたいと思っていたはずなのに、相反するような感情があるのに月が自嘲する。所有権を放棄していない為にあまり姿は見なくなったが未だ憑いているだろう死神に、捕まって以降初めて話し掛けた。

「リューク」
なんだ、と声は返る。
「何だろうな、これは」
何だろうとは何かと声は訊いた。月はその言葉に首を捻った。
「そういえば、お前…。ノートを最初に拾った人間と死神との約束があったな」
「ライト?」
「お前のノートに僕の名前を書くって話だ。……あれはどうなった?」
「まだ健在だぜ」
「では、何故未だに僕の名前を書かない? 面白いことはなくなっただろう?」
そうでもない、と死神は言う。リュークは拘束などが通じず好きに移動が出来るのを良いことにニアが抱えている問題を盗み聞きし知っているようだった。それが面白いと言う。
「人間って分かんねぇな。……まぁでも、嫌だって言ってるのに子供を産ませるってのは」
「何の話だ?」
「ニアだろ?」
特に有利も不利もない話をこの死神から聞き出すのは容易く、死神が知り得る全てを知ったとき月は小さく笑いを零すしかなかった。何てくだらない。それが抱いた感想だが当の本人にしてみればうんざりすることだろう。
少しだけ行動を共にして分かったことだが、ニアには接触障害のきらいがある。誰にでも触られて平気な人間ではない。
それを踏まえて勝手に身体を弄られ妊娠させられるにしろ、一晩だけの関係として優秀な誰かを選び行為に及ぶにしろ酷く精神的に追い詰められるだろう。
(だから、あれか)
事情を知れば色々ニアの言動に示唆するものはあったと振り返る。
殆ど感情の起伏を外に出さないニアの、僅かな差違を読み取れたのは月以外はいなかったのだろう。
何てことのない嫌味の応酬を繰り返すことで感情の捌け口となっていたのかもしれない。
「もう一つ、リューク」
「うん?」
「僕はいつまでなんだ?」
目的語のない問いに死神が今までで尤もそれらしい笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱり気付いてたのか。流石、ライト」
「……分からない筈がない。お前は退屈を嫌い、僕の名前は必ずお前が書くと言った。なら未だに書かない理由があると踏んだだけだ」
「まぁ、あれだな。……俺の情だな」
「嘘を吐け。ただ今ちょっと面白いだけだろ。……思わぬところでどうなるのか」
「さぁなぁ」
あくまでとぼける姿勢の死神に月は笑った。
「そう。それじゃ、お前が僕の名前をノートに書くギリギリまで…、精々楽しむと良い」
「ライトらしくないな」
「僕にも、よく分からないからな」
「…うん?」
ぽつりと呟いた月の言葉に聞き返してくる死神にそれ以上の答えは与えられなかった。
感情をコントロール出来るとしても、無意識下に覚えた感情を把握するまでには、それを否定すれば尚のこと把握は難しい。月はそんな状態に自分が陥ったことだけは自覚していた。



***


「話さなくてはならないことがあります。一緒に来て下さい」
切り出したのはニアの方だ。ユイは見ていたテレビから視線を上げて母親を仰ぎ見る。
「何処に?」
「父親のことが知りたいんでしょう? 此処には何もありませんから、今私の使っている”L”の拠点に」
「……うん」
「貴方の誕生日でも良いかと思いましたが、……それではきっとケーキを囲んでも楽しくなくなってしまうので」
ユイが父親のことを教えて欲しいと言った翌日に決断して寄越すニアの表情は読み取れない。
誕生日は四日後だ。その時でも差し支えないとユイは思っていたが、母親なりに気を遣ったようだ。それとも話すなら自分の覚悟が変わらないうちにと考えたのかも知れない。
「分かった」
だからユイは大人しくテレビの電源を消してニアの後ろに続いた。
既に用意していたのだろう。セキュリティゲートを潜り出ると一台の車が待機している。
いつもユイの送迎を買って出るステファンではなく、実質母親の片腕の役割を担う体格の良い男が運転席に座っている。
「行きましょう」
隣に並んだユイの背中をそっと押して車内に招き入れるとその横にニアも身体を滑り込ませた。
無言の侭進む車の中で外の様子をぼんやりと眺めたユイにニアが話し掛ける。
「…前に言ったことがありましたね」
「……え?」
「私、自殺を図ったことがあると」
「ああ。手首を切るのは意味がないっていう話?」
随分と前にそんな話をした気がすると思い当たり答えると、頷いたニアがほっそりとした自分の左手首を差し出した。
白い肌に僅かに傷跡がある。
「冗談なんだって思ってた」
「傷跡が余り残らないよう、上手く治療して貰いましたから」
「……躊躇い傷が無いのは跡が残ってないだけ?」
強い意志と精神力を持つ母親が自殺を図ったことがあるなど、会話での言葉の綾なのだと思っていた。
差し出された手首をまじまじと見詰めて問うユイに淡々とした声が返る。
「いいえ。私がこれをやったのは一回だけです。だから、刃を此処にあてたのも一回」
暗に躊躇無く手首を切ったと告げた母親が、薄く残る傷跡を確かめるように片方の指先でなぞる。
車内での音はエンジン音とユイとニアの声のみ。どちらも口を閉ざせば妙な沈黙が車内を支配した。
「貴方を産む前のことです」
「うん」
「本当に死ぬ気なら別の方法を取るべきだと、不思議ですが…切った後に気付いたんです。流れる血を見ながらぼんやり。…あの時の私は、精神的に追い詰められていました」
「”キラ”と対峙してたときよりも?」
「お互いの命を賭けて戦ってきたと言う意味では、極限で戦ってましたけどね。……それとは少し違います」
そっとユイの頭を撫でてニアが笑う。
「衝動と言えば衝動的だったんだと思います。死んでしまえば煩わしさから全て逃れられるんじゃないのか、と」
ぽつぽつと話す母親の声はいつもと同じく起伏の少ない、感情の読み取りづらい声だ。
「あの時は流石に、誰も彼も驚きましたね。……、でしたね、レスター」
沈黙を守りハンドルを握る運転席に声を掛ければ「本当に」とだけ返ってきた。声には苦々しさが含まれている。
”キラ”を追っているときから行動を共にし、仲間の中でも一番の信頼を得ていた彼がその時少なからずショックを受けたのが十分知れる。
「彼だけでしたよ」
「……?」
運転席から視線を移さぬまま、ニアが呟く。
「貴方の父親だけが、あの時、私を本気で怒ったんです」





>>ifパラレル7話目。
   フラグ回収、フラグ回収………の作業で頭が痛くなりそうだぜ。取り落としないようにしないとね
   こういうときはやっぱりメモでもいいからプロットみたいなのを書いておくべきだと
   常々思う

   今からでも練習しようか(遅いな)

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人形を強請る妹の為に作られた人形は、妹の変わった注文のせいか少し風変わりな容貌をしていた。
兄の持つ人形は全て白で作られたような綺麗な容姿をしていたし、父の持つ人形も綺麗な容姿をしていた。
椅子の上に鎮座し動かない人形は白い肌、黒い髪、目を閉じているので分からないが瞳の色も黒なのだろうか。
完成したと言ったのだから、今はただ主人に会う目覚めの時を待っているのだろう。
父と兄が持つ人形を作った人形師は何よりも、人の細やかな感情を人形にも持たせるのが上手いと評判の人形師である。
その人形師が手がけたこの人形も人形でありながら繊細な感情を持つのだろう。
妹が帰ってきたら瞳を開け、この人形は声を発するのだろうか。性別が読み取れない人形の、その声はどんな声であるのだろう。
ライトは引き攣るような劣等感による痛みに僅かに眉を顰めて部屋を出ようとした。
妾腹の子であるライトを父は正妻の子である兄と妹と区別したことはない。
ライトを生みすぐに命を落とした母親の代わりに幼い頃育ててくれた正妻である母親もそうであった。
しかし、幾ら彼らが平等に接してくれたのだとしてもライトには拭えない劣等感があった。幼い頃から賢かったが故に世間から自分がどんな目で見られているのか、その意味を正確に理解していた。
誕生日に何が良いと聞かれすぐに「人形が欲しい」と言った妹と違い、ライトはそんな父の言葉にさえ正直にものを言えなかった。
この家のみんなは優しい。
父はこの国の人間ではなく、外交官としてこの国に駐在し国王に気に入られ引き抜かれた形で、貴族の称号を持って日は浅いが、その経歴から一目置かれている。
兄に関して言えば”英雄”である。
ライトが生まれる前に始まった人形大戦という戦争で殺戮の白の女王を唯一止めた、人間。白の女王を倒した時の兄の年齢は自分より少し上だったと記憶しているが大して変わらなかったのではないだろうか。
日本国の人間の中には通常の人間より寿命の長い、外見上は全く見分けはつかないのだがそういう民族が存在する。
父はまさしくそれで、その血を継ぐ兄妹は全員普通の人間よりは寿命が長い。
普通の人の生きる七十年を想像したとしてもうんざりするというのに、もっと長く生きねばならないのはライトには苦痛に思えた。
父が悪いのでも、母が悪いのでも、まして兄妹たちが悪いわけでもないとライトは知っている。
拭えない劣等感をそれでも抱える自分が悪いのだ。
一種怯えるように、伸ばされた手を払いのける自分が。
だからこそライトに優しい生家はまるで穏やかな牢獄だと思えた。いっそ辛く当たられた方がマシだったかも知れないと自嘲気味に笑って扉を開ける。
その少年の背に、声は掛かった。
「行ってしまうんですか?」
聞き覚えのない声にびくりと肩が揺れる。この部屋には誰もいない。自分とまだ起きていない人形だけだったはずだ。
「……、何で」
肩越しに振り返ってライトは情けないくらいに自分の声が震えたのを自覚した。
まだ動かないはずの人形が首を傾げて自分をじっと見詰めている。
漆黒の髪と同様に瞳もまた漆黒だった。深い瞳の色は兄の人形のそれと似ているが、窺う視線は違う印象を受ける。性別を意識して作られていないのか、細い手首が音もなく掛けられていた薄いヴェールを持ち上げた。
活動前の人形に掛けられたそれは彼らを埃や汚れから守る為にある。それを、その人形が自ら取り払おうとしているのを見て慌ててライトは人形の手を掴んで動きを止めさせた。
「どうしました?」
「取るな」
「……はぁ、貴方がそう望むのなら」
落ち着いた声が意味が分からないといった響きを含ませながらも大人しく従ったことに安堵して、しかしライトは困ったように呟く。
「どうして…。まだ活動前なのに…」
人形の主となる人間と引き合わせる前に作られたばかりの人形が動き出すことは、余程のことがない限り無い。
まだ妹はこの人形を見ていない筈だ。
ライトは興味本位で屋敷に運ばれたばかりの人形を覗き見するために部屋に忍び込んだに過ぎない。
「活動前ですか。私、動いてますけど」
首を傾げた人形にライトが寧ろこっちが聞きたいと内心思いつつ、冷静になろうと試みる。
しかし次の瞬間にライトの思考は全部止まった。
「…それでマスター、取らないでこのまま、私はどうしたら良いんでしょう?」
妙な手つきでヴェールを摘んで示した人形の言葉を理解するのにライトは数秒を要した。
マスターとはつまり人形の主を差す。この人形は妹であるサユの為に作られたものであって、主は自分ではない。
誤認識された? 真っ白になりかけた頭を何とか保つようにふるりとライトは一度首を振った。
「マスター? どうしま…」
「……じゃない」
「はい?」
「僕は、お前のマスターじゃない」
何とか声を絞り出したライトに反して人形は呑気とも取れる声で「困りましたね」と呟く。
人形とは言っても最上質の結晶人形と呼ばれるそれは人と変わらぬ滑らかな動きで立ち上がった。
「起きた瞬間、捨てられる結晶人形なんて私が始めてかも知れません」
台詞は悲観に満ちているのに全くと言っていいほど感情を読み取らせぬ声で言った人形が、不安げに見詰めるライトににこりと笑った。
「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ。………制作依頼者ではないんでしょう?」
「……僕の妹だ」
「妹さんですか。……もう一度聞きます。貴方は私のマスターになる、その意志はないと言うことで良いんですよね?」
漆黒を切り出した瞳がじっと応えを待つ間、ライトを見詰める。
人形と言っても彼らは特別な人形だ。宝石に込められた魔力と、それから人形を作り上げる技術を持つ人形師があって初めて存在出来る、芸術品の中で最高峰の総合芸術。
人間に似た造形と滑らかな動きを持つ人形を手に出来る人間は上流階級の中でも限られ、貴族社会の中で人形を保有することはステータスとされていた。
人形は自身が保有する動力となる宝石が多ければ多いほど人間に近い感情を持ち、能力も高い。
まして、そんな人形の中でも核となる結晶以外に動力とする宝石を二つ以上保有する人形は最上質の人形として結晶人形と呼ばれてる。目の前の人形は人形師キルシュの手によって作られた今のところ最後の人形。そして結晶人形の十体目。
貴族社会の人間が喉から手を出してでも手に入れたい存在だ。
人形のランクによって事情が変わるが結晶人形は自身の主を、自ら選ぶ。
主人が選ぶのではない。人形が選ぶのである。誰でも主人となれるわけではないが、大抵の場合は制作依頼者が主となる場合が多かった。
「僕は」
ライトは知っている。
結晶人形は主を選ぶ。そして人形は主を選び、相手が認めた瞬間から主以外を愛さない。
変わらない絶対の愛を勝ち得る代わりに人形の主人となった人間には色々な障害がついて回る。それは政治的な圧力であったり、見知らぬ人間から人形の主と言うだけで命を狙われたり。
世界に数体しかない最上質人形であるなら尚のことだ。
しかしその障害をしても尚、魅力的な代物であるのには間違いないのだ。
ライトは一度閉じかけた口を再度開き掛けた。答えは「いいえ」で無ければならない。自分の為ではなく妹の為に作られた人形を横から、例え偶発的に人形が選んだからとて妾腹の身である自分が奪ってはならない。
「マスターには、」
「……答えは待って下さい」
其処に、もう一つ静寂をまとった声が落ちた。淡々とした声には聞き覚えがあり、いつの間に扉は開かれていたのだろう真白な人影が部屋に入り込んでいる。
その後ろには兄の姿もあった。
「あ、」
兄の姿を見た瞬間、言いようもない罪悪感を覚え起きたばかりの人形と距離を取る。
ライトは俯き部屋に入ってきた足音を静寂で耳が痛くなるのが苦しいと思えるほどに聞き入った。
「初めまして、貴方は私の兄弟にあたりますね」
状況が読めず視界を彷徨わせた人形に真白な色彩を持つ人ではなく人形が話し掛ける。同じ人形師の手によって作られた人形は偏に兄弟である。
薄いヴェールを常に纏う兄の人形はゆっくりとライトに近づいた。
視線を合わせる為に屈み込み俯いたライトの視線を捉える。
「………、ライト」
「ごめんなさい。僕、……ただ動く前の人形がどういうものか見たくて、まさか動いてしまうなんて…ごめんなさい」
ぱたりと床に水滴が落ちた。
ライトの肩に白磁の手が掛かる。労るようにぽんぽんと軽く撫でられて漸くライトは視線を上げた。
聡明とはいえまだライトは十二歳の子供だ。取り返しのつかないことをしたのを咎められるのが怖くて身を竦ませる様子に、白い人形は傍らに歩み寄った自身の主人を伺い見た。
「ニア」
「……責めないであげてください。仕方のないことです」
淡々と告げる人形はそっとライトの頭をあやすように撫でた。
「責めようもない。選ぶのは人形だ。……ライト、父上にも話を通す。待っていなさい。君は一緒に来なさい」
「……!」
起きたばかりの人形に話し掛け、踵を返した兄にライトが丸くした目を向けた。この取り返しのつかない事態は父の耳にも入ってしまうらしい。起きたばかりのライトを主人だと言った人形は一度ライトに視線を向け、何か心得たように兄の言葉に従った。
既に兄に知られてしまったこと自体、困るというのに覆せようもない現状にライトはまた俯く。
「大丈夫だ。…、ちゃんと話す。………故意にやったわけではないのだろう?」
扉が閉まる直前兄の声が聞こえたがライトは反応を示さなかった。
未だにライトを落ち着かせようとあやす白い手をぼんやりと見詰めて、ライトの唇が「どうしよう」と紡ぐ。
首を傾げた兄の人形に縋るように服の裾を掴んで、もう一度「どうしよう」と呟いた。
「僕…どうしたら」
「………大丈夫です」
「何も大丈夫なんかじゃない。だって、サユの為の人形なのに…僕が選ばれてしまうなんて」
引け目がある。
兄にも妹にも、誰にも話せず息が詰まりそうな閉塞感を覚えながら、本当は此処にいて良いのか分からないと存在もない恐怖に怯えながら、それに気付かぬ振りをし、蓋をして生活をしているライトにとって余りにも大きな失態だった。
父親が妹の誕生日のプレゼントに聞き入れた人形を横から奪うことは絶対にあってはならない。
「……ライトは、知っていますね」
必死の様子で縋った手に細く白い指が重なる。
「私達は人ではない。感情に似たものはあります。これを心と呼ぶのなら、そうかも知れない。姿は良く似ています。けれど人ではない。人形です」
本質が違うと兄の人形は続けた。
「人間は限りなく自由です。身分や因果はありますが自由になろうと思えばなれる。私達には到底出来ません。私達は既に存在する意義を持って作られるからです。存在する意味を探して生きる人間達とは違って不自由です。しかし私達は、私達のマスターを選ぶことが出来る。これだけが唯一自由なんです」
「……ニア」
「分かりますか? 私達は、私達が選んだ主人しか愛さない。愛せない。そう出来ています。けれど私達は物ですから、主人となる人物が拒めばそれに従うしかありません。……でも最上質人形である私達には他の人形とは違い感情も、長く長く記憶も残る。最初に選んだ人はある意味運命です」
「偶発的な事故かもしれないじゃないか」
今までの最上質人形の殆どが彼の人の為にと製作依頼を受け、またはその為に人形師自らに作られて、目覚めた際には製作依頼の対象者を選んでいる。
目の前に居る兄の人形もまた其れであった。
「偶発的? ならばそれは尚のこと運命ですよ」
ライトの言葉ににこりと白い人形は微笑む。
そして薄い唇でこう口にした。
「私達は起きるまで記憶はありません。だから勿論意識も無い。人間と違って胎教による潜在意識もありません。…目が覚めた瞬間、世界を見た瞬間、そこに居てこの人が主人だって分かるんです。誰に言われなくともです。私も、レスターに会った時そうでしたよ」
「兄さんの他に誰か居た?」
「私は…こういうのもなんですが、中々出来のいい人形だったらしいですから。……たくさん私を欲しがった人間はいました。元々はレスターのためにオーダーされましたが、私が誰か違う人間を選ぶ可能性は0ではない。そして人形が選び、主が受け入れれば幾ら製作依頼者でも人形師でも口出しは出来ません。だから私の目が覚めたときはたくさんの騎士が居ましたね」
「それで、兄さんを選んだ?」
「はい。…私は彼のために目覚めたのだと分かりましたから」
「……今回もそうだったって? 例えば、僕がこの部屋に忍び込まずに最初にサユに会っていたらサユを選んだんじゃないのか?」
「それは私には分かりません。きっとあの子にも分からない。だから運命なんですよ」
そう結論を言ったニアが一つ安心させるようにライトの頭をもう一度撫でた。
ゆっくりと服の裾を掴んでいた手の力が緩まり、俯いたままだったライトの顔が上がる。
「それを踏まえた上で決めてあげて下さい。貴方がマスターになるかどうか」
白い容姿の中で唯一深い色合いの瞳が真っ直ぐにライトを見詰め、祈るように告げた。ライトは小さく頷くに留める。
どうしていいのかは分からない。人形に選ばれれば彼らから契約のように永遠の愛を、その代わりに謂れ無き沢山の障害がついて回る。
それを踏まえた上で主人となるか否かは一存するという。
「一つ聞いてもいい?」
「何です?」
「僕が断ったら、あいつは……」
「他のマスターを選ぶしかなくなります。……古い人形も居ますからマスターが死んでしまい残された場合もあります。その場合は仕方ありません。死んでしまった主人の後に新しい主人を選ぶ。でも面倒臭いことに感情は何故か人とよく似ている。その対象者が居なければ踏ん切りもつくのでしょうけど」
「……そう」
つまりは断ればすんなり主人ではなくなれるが、目覚めたばかりの人形が最初に覚える感情は酷く苦しいものになるということか。
ふと先程呼び止められた落ち着いた声を思い出す。
じっと見詰めてきた漆黒の瞳は何も映さず凪いだ湖面のように、ただ自分だけを見詰めていた。
息苦しいと自分勝手に枷を作った世界で、あれは何かを変える存在に成り得るだろうか。それともより重く圧し掛かるものとなるだろうか。
「……、僕」
「決心が着きましたか? なら、お父様のところへ行きましょう」
そこで父も兄も、起きたばかりの人形も、人形の主人となるはずであった妹も待っている。
立ち上がった兄の人形が気遣うように伸ばしてきた手をやんわりと押し戻してライトは微笑んだ。
そうだ。既に枷があると、重圧があると、息が詰まる思いをして此処にいるのならば更に何かを背負ったとて構わないではないか。
寧ろ其れよりも認めたことによって変わるかもしれない可能性の方がライトには取る価値があるように思われた。
だから父達の待つ部屋に行って言うことは既に決まっている。

――「僕は、その人形の申し出を受け入れる」

 

 

***


「あのね、聞いてるの?」と少しだけ強い口調の声が案外近くで聞こえライトは注意を戻す。
柔らかなシフォンのドレスに身を包んだ少女が不満げに頬を膨らませていて、ライトは苦笑するしかない。数年前の記憶に少しばかり意識を持っていかれていたようだ。
「ごめん。何?」
「またそうやって都合の悪いことは聞かないんだから!」
ぷいとそっぽを向いてふわりと裾を翻した少女が庭園に降りていく後姿を見遣ってライトは溜息を吐いた。
その先には漆黒の髪を無造作のままにしたすらりとした細い人影がある。
「いつか、お兄ちゃんからエルを奪ってやるんだから!」
その人影、ライトの人形の腕をぎゅっと掴んで振り返り宣戦布告をした妹にライトは密やかに苦笑した。
あの時、主人となる道をライトが選んだ時に、酷く落胆した妹は何故か自分を恨むのではなく強かに人形の主人となることを狙っている。
庭先で「ね、私の方が絶対良いんだから。今からでも遅くは無いのよ?」と畳み掛けるように言う妹に、当の人形は困ったように「そうですねぇ」と気の無い返事を返していた。
エルという名の人形の主となることを選んでから、特にライトにとって何かが変わったわけではない。
確かに人形保有者として命を狙われることにはなったが、それは想定内でこの家には既に最上質人形保有者が二人も居たので対処法は問題なかった。
生まれから来る劣等感はあの頃に比べれば薄まったかもしれない。押し潰されてしまいそうだと呼吸が苦しくなった閉塞感も。
しかし完全に拭い去ることは出来ず矢張り時折不安には駆られるのだ。違うことがあるとすれば、その時に唯一と信じられるものがあるようになったそれだけ。
「エル」
ライトは庭先でサユの猛烈なアプローチを受けている自身の人形の名を呼んだ。
その声に細身の人形がつと視線をライトに向けて「何ですか?」と問う。起きたばかりの時に高く見えた身長は、今となっては略同じだろう。
その人形に短く、「おいで」とだけ告げた。
妹から絡まれていた腕をするりと難なく解き「すみません」と一言だけ告げてやってくる人形と、その姿を見て少し苦笑の様相を示した妹を交互に見遣ってライトは笑った。
選択としては悪くは無かった。
「どうしました?」
「あの時、僕がお前を申し出を断ってたらどうだったのかなと考えていた」
「ああ…。そうですか」
「どう思う?」
ライトの問いに漆黒の瞳を迷うことなく合わせた人形が笑う。
「そうですね。……結局はそうは成らなかったので私としては分かりませんが、初めて抱く感情としては大層おいしくないものだったと思います」
「ああ、そう」
余りにも自分の人形らしい答えにライトはそう返す。
「そう思ったから、選んでくれたんでしょう?」
すると何もかも読み取ったような言葉が返り、ライトは今度こそ「そうだね」としか言えなかった。
全くその通りだった。




>>思ったよりも長くなってしまった、むつきさんの隠しページお遊びパラレル設定にて。
   分かってない部分とか勝手に解釈が強いけど、とりあえずライトとL。

   この話でのニアはある意味ライトのお姉ちゃん的存在だよね、でっすよねー!(黙れ
   色々間違っているような気がするので怖いけど、書いてて楽しかったのです。うむ!

Lが死んで、メロもマットも死んでしまった。
自分の命を賭けることで臨んだ対決は、メロの予測不可能な動きによって勝利を収めることが出来た。そうでなければ負けていた。
必然と簡単に呼ぶことは出来なかったが全てを暴き手段を封じた上でキラを監禁する、その言葉の通りにニアは月を外部とは隔絶された施設に閉じ込めた。
彼以外に閉じ込める人間は居ない、言わば彼だけの為の施設。
其処に彼を移送するのと平行して”L”の名を継いだ。まさに自然な流れだった。
今まではキラを独自で追えば良い、ただそれだけに心力を注いでいれば良かったが、”L”の名を継いだ時からありとあらゆる事件の依頼が舞い込むことになる。予想はしていたが頭の中で想定するのと実際そこに身を置くのとでは違うらしい。
ニアは、全ての事件を我が身一つで背負えるとは思えなかったし、”L”の継いだからとてそう振る舞う必要性は無いと感じていた。抑も初代の”L”を考えれば当然だった。
しかしニアにはもう一つ、精神的苦痛があった。
「…………レスター、彼の元へ向かいます」
月を施設に監禁した直後、唐突にニアは背後に控えるレスターにそう告げた。何かを言い掛けるレスターを黙らせ車を走らせる。
ニアの手には死を操るノートが残されている。幾重にも敷かれたセキュリティの中に、もし誰かが奪うようなことなどないように細心の注意を払って。しかし未だノートは残されたままだった。
「……お前から来るなんてどういう風の吹き回しだ? ニア」
「相変わらず憎まれ口だけは立派ですね。お元気そうで何よりです」
扉をくぐり抜ければ部屋の中で悠然と構えた月が冷たく言い放つのに、ニアはさらりと応酬して返した。
月は拘束具などは付けていない。付けなくとも彼にはこの部屋を出ることは敵わなかったし、出られたとしても施設から脱走するのは困難だった。
「…僕に元気そうと言うのか、お前は。相変わらず性格が悪いな」
「貴方程じゃありませんよ」
程良く空調の効いた部屋は、外の季節が初夏の汗ばむ頃を迎えたなどと微塵も感じさせない。
この施設を用意するまではニアが捜査を行う場所を共に転々とさせ、一つの部屋に監禁させていたのだが流石にそれはニア側にも月側にも負担が大き過ぎた。
「それで?」
扉の前に立ち一歩も動かぬニアに痺れを切らしたか月が立ち上がり一歩近づいた。ニアは動かない。
視線は交わらず視線は床を眺め続けている。
「”退屈だからノートを落とした”」
もう少しでニアに手を伸ばせば触れるという距離で、黙っていたニアが口を開く。月が首を傾げた。
ゆっくりと視線を上げるニアの瞳に感情は映されていない。淡々とした声も同様に、ただ一つの事象を告げる為だけに動く。
「あの死神はそう言いました」
「リュークか」
「そして貴方の名を書くのは自分の役目だと言っていた。……どうしてでしょう」
「何を言いたい?」
「退屈が嫌いなようです。なら貴方が捕まった時にでも名を書けば良かった。何故未だ貴方の名は書かれず生きているんです?」
視線がかち合う。
深い色の瞳と褐色の瞳が探り合うような時間は、しかし僅かだった。
「そんなの、僕が聞きたいくらいだ」
断ち切るような会話は否応なしにニアに一つの結論を導く。
視線を逸らし無機質すぎる壁を見詰めて「そうですか」と呟いた。そして今更過ぎる後悔をした。人間として過ぎた程の思考回路など持たなければ良かった。ニアは何故今更そう思ったのか原因を探らず、ただ自らが弾き出した結論に伴った痛みを堪えるように強く自身の手を握る。
「おかしいですね」
「何?」
「……いいえ、何でも」
ぽつりと呟いたニアの言葉を耳敏く拾った月に答えは返されない。
俯き、強く拳を握ったままのニアに気付いた月が手を伸ばした。
触れる寸前に僅か身動いだニアが逆に伸ばされた月の手を掴み取る。冷たい指先だった。
「ノートはどうした? 燃やしたか?」
「いいえ。未だです」
「あれは”史上最悪の殺人兵器”なんだろう? 何故処分しない」
「所有権を放棄すれば記憶が消える。それで一度貴方はLを欺いた。……、燃やせば記憶は消えるんでしょうか」
「さぁな。あの死神にでも聞けよ」
溜息混じりの言葉にゆっくりとニアの視線は上がった。捕まれた手は力の差を考えれば容易く振り解けたが、冷たい指先が微かに震えた気がして振り解く気にはなれなかった。
「そんなのとっくに聞いてますよ」
怯えなのか動揺なのか分かりはしないが表情にも声にも微塵も乗せない気丈さに月は内心苦笑する。
嘗て対峙したLと違い未だ未完成というのが相応しいのか、それともニアの性格故か、どうにも極端なバランスの中に酷く脆い部分が時折見え隠れする気がした。
そう思ってしまうのは年齢の割に幼い容姿のニアが、異性だというのにも起因するのかも知れない。
てっきり男だと思い込み回線越しに何度も心理戦を繰り広げた相手は紛れもなく女性だ。
身体の線を略隠してしまうパジャマのような服装と中性的な容貌のせいで少年に見間違われがちだが、月の手を掴む細い指も、それを無理矢理引き寄せれば容易く腕に収まるだろう小さな身体も間違いなく女性のものである。
「やったことがないから分からないと言っていました」
「あいつは嘘つきだぞ」
「嘘つきじゃなくて、本当のことを言わないだけでしょう。それが嘘つきとは限りません。……が、」
なんとなく要領は掴めましたとニアは囁くように付け足す。
「ノートは燃やします。私の手によって、間違いなく。ただ…、それによって貴方の記憶が消えてしまうのは本意ではありません」
「………僕が何故ここにいて、こんな目に遭うのか分からなくなるからか?」
「別に記憶がなくなって、自分の置かれた状況についていけず気が狂ってしまっても構いませんよ」
するりと冷たい指先が離れる。
にこりと初めて嫌味ではなく笑ったニアの顔はある意味見惚れるほどに婉然としていた。
「では?」
「分かりません。こんな風に思ったのは初めてです」
頭では冷静に早くノートを燃やしてしまえと言う。いつもは抑えられる感情がそれを良しとしない。
大切な人間を奪った人間が自分の罪を認知しないまま閉じ込められ死んでいくのが嫌なのか、又は別の理由があるのかニアには分からなかった。
「ノートは燃やせ」
「……だから、」
「お前は僕の記憶があれば良いんだろう? なら燃やせ。所有権を放棄しない限り記憶はそのままだ」
「貴方…」
何故、とニアが言う前に月が大きく一歩を踏み出した。合わせてニアが身を引くが背後にある扉に阻まれて距離は縮まる。
背中に無機質な冷たさが伝わり僅か眉間に皺を寄せたニアが改めて月を見上げた。
「信用できません」
「お前にとってはどちらだっていいだろう? 記憶が残ろうが残るまいが、僕を罪人として、最重要危険人物として、此処に閉じ込めて置けばいいだけだ」
「………」
「何を躊躇う」
とん、と月がニアを逃さぬように両腕を扉に突いた。
至近距離で見る月の顔は端整で、こんな状況だというのに確かに普通の女なら騙されるだろうと頭の端で思う。
嫌いである筈の人間に向ける感情は、憎悪は愛情に似ていると昔誰かが言った気がした。確かに執着という意味では似ているのかもしれないとニアは内心自嘲する。
自分の感情の何が今、理性に勝っているのかニアには良く分からなかった。
今、自分を閉じ込める形の腕に指を掛け、ニアは布越しの体温に少しだけ安堵する。
「……確かめたいだけです」
「何を」
「私は―…………」


***


夢を見ている、と自覚する。珍しいこともあるものだとぼんやりと思った。
あのときの自分は半分以上自暴自棄になっていた気がすると、十年ほど前を振り返って小さく笑うと掛けられていた毛布に気付く。
急に覚醒した頭は思ったよりもクリアで偏光硝子越しに覗く外の様子は丁度朝焼けを空に映し出した頃だ。
夢を見ていた時間はそんなに長くは無い。
余り夢を見ないニアが見た夢は、夢とは言えない代物だった。あれは過去の記憶そのものだ。ただの一片。
キラと対峙し勝利を収め”L”を継いだばかりの自分の記憶。
まだ夜神月が生きていた頃の記憶だ。
不自然な姿勢で寝ていたせいで軋んだ身体を緩慢に起こして、ニアは掛けられた毛布を引き摺りソファに沈み込んだ。
ユイに父親のことと、その父親がキラであったことを知られていたこと、その手掛かりを何処で手に入れたのか気になるところだが、それ以上にキラと対峙していた自分がどうしてその男の子供を産むことになったのかという経緯を話すことの方ばかりに気を取られる。
どう説明すればいいのか、未だにニアにはよく分からなかった。
「……自棄になってたっていったらどう思うでしょうね」
ぽつりと呟いた言葉は半分本当だ。
あの頃の自分には”L”を継いだことと、キラを監禁し続けることの他にもう一つ、一番非常に煩わしい問題があった。
一蹴するには未だ意志が弱く、ニアはあの時ほど自分の性別を呪ったことはない。
毛布を胸元にまで引き上げてふと自身の細い指を見た。
今まで考え事に没頭していて気付かなかったが、眠ってしまった自分に毛布を掛けてくれたのはユイだろうか。
あの後逃げるように部屋に戻っていったのだから、てっきり一晩は外に出てこないと思っていたが違ったらしい。
器用に殆ど身動ぎせず毛布にくるまるとニアはゆっくり目を閉じた。
目は覚めてしまったが、身体が睡眠をもう少し欲しているのを感じたが故だ。直ぐにでもまた睡魔は襲ってくるだろう。
また夢を見てしまうだろうか。
(………今頃、いい気味だと思っているかもしれないな)
利用したと言えば利用したことになる、あの男は。


***


規則正しい寝息は記憶と変わらない。
ソファで器用に丸まって眠るニアを起こさぬように、その柔らかな癖毛に触れて月は溜息を吐いた。
記憶は、自分の息子と出会う前日まで無いと言っていい。正確には十年前の意識を失くす直前から、息子に出会う前日まで空白があると言えばいいのか。寧ろ現状どうして存在出来ているのかが不思議なくらいだ。
ただ、意識が覚醒した時には分からなかったが有り得ない記憶が蓄積するにつれ理解したことが一つある。
この状況は長く続かない。おそらく、あの子供の誕生日が期限となるだろう。漠然とした理解だった。
記憶よりも大人びたニアを見下ろして、その真白な容姿であの日悲鳴じみた言葉をぶつけられた時を思い出す。
『私にどうしろっていうんです?! 私だって好きで、女に生まれた訳じゃない』
そこまで言い切ってふつりと糸が切れたように下ろされた細い腕と、諦めたように笑う表情に、気付いたら引き寄せて抱き締めていた。
女など利用する為にしか思ってなかった筈にしては不可解すぎる行動に、月こそどうかしていたのではないのかと思う。
ただ自分は死に、残されたニアはその結果に対し全て抱えたまま生きてきた。
清算をすると言うのなら、その時期のために自分が僅かに存在することを許されたというのなら、誰の悪戯かなど知らない、死神は嘗て人は死んだら須く無に行き着くと言ったのだから分からないが、世界は其処まで捨てたものではないらしい。
「……お前を、僕がいい気味だなんて、思うわけがないだろう」
囁くように呟く。けれど、声は相手には一つも届かない。

 




>>少しの過去。
   理由は、何とも次にでも。タイムリミットはもう少し。
   5話くらいで終わらせるつもりが10話くらいになりそうなのか、それ以上なのか
   私にはもう分からないぜ(こら

夕焼けに染まる街と暗闇が忍び寄る路地裏のコントラストは切り絵の様で一種幻想的だった。
木造の古ぼけた扉につけられたカウベルが軽やかな音を立てる。その中からさらりとした癖のない亜麻色の髪の少年が路地に出てきた。ユイだった。
「それじゃ、ありがとう」
「どういたしまして」
店の中に声を掛けて一度会釈をしたユイは夕日に染まる空を見て溜息を吐く。
思ったよりも時間が掛かってしまった。もう少し早めに帰路に着く予定だったのだが仕方ないと割り切る。
母が先に家に着いているのなら連絡の一つもあるだろう。携帯電話に着信履歴はない。
「それは?」
路地を少し足早に歩くユイに通りの良い月の声が掛かった。
紙袋に包まれた荷物を大切そうに両腕で抱えるユイが笑う。
「探してたもの」
「…何?」
「えーっとね、絵本」
「絵本?」
絵本など頭脳的なレベル云々の前に年齢的に卒業しているだろうユイの言葉に月が首を傾げた。
半分駆け足になりながらユイが上がった息の合間に答える。
「父さんにも後で見せてあげるよ」
そう言いながらもユイは速度を落とさず、真っ直ぐに路地から表通りへの最短距離を走り抜ける。途端喧騒が聴覚を占めてユイは苦笑を禁じ得なかった。
これから帰る時間を考えれば、たぶん日が落ちるのと同時くらいだろうか。
ちらりと一定の距離を保ちながら着いてくる月の姿を確認して、ユイは荷物を抱え直した。
道路に面したショーウィンドウに自分の姿が映る。ぼんやりとそれを見ながら後ろを着いて歩く月の姿も間接的に確認すれば、悠然と歩く月を擦り抜けるように人が通り過ぎていくのが見えた。
実体を伴わないのだから当然と言えば当然だが何か変なものを見るような感覚で、思わずユイは肩越しに振り返り確認してしまう。
そこに月の姿は存在している。少なくともユイには視認出来る。しかし嫌でも彼がこの世に属さない存在なのだと、また月の存在に気付かず月を半分擦り抜けた通行人の後ろ姿を見遣りながら認識した。
突然自分の中で実像を結んだ父は、実は二週間という長い間見続けた幻影なのではないのかとさえ思えてくる。
ただユイが知り得なかった一つを幻影は与えるだろうか。
無駄なく帰路を辿り、一つのビルの前に行き着いてユイは小さく溜息を吐いた。
「遅かったですね」
どうやら一足遅かったらしい。
存在自体から色を排した様な容貌の女性が羽織った、落ち着いた色のコートがはためく。
「……母さん」
「お帰りなさい」
丁度一台の黒のリムジンが滑るように出て行くのを視界の端に捉えて、これは本当に僅かの差だったのかも知れないと思い、ならば余計な考え事などせず走るべきだったと思った。
足音も少なく歩み寄ってきたニアがするりとユイの頬に触れる。そして次の瞬間、軽い音を立てて頬が叩かれた。実に上手い具合に加減されたが故に痛みはない。
「ごめんなさい」
「いいえ。惜しかったですよ。通りを歩いているユイを追い越しましたから、もう少し早ければ間に合ってました」
微かに笑ったニアが優しい手つきで頭を撫でる。
既にそんな年ではないと思いながら普通の親子よりも共にいる時間が少ないことを十分に理解しているユイは、母親と過ごせる何気ないこんな時間と遣り取りが大切だと享受する。
「でも、母さん…。今日早いね」
「そうですか?」
「うん。だって日が落ちる前に帰ってくるのは珍しいじゃない」
幾重にも張り巡らされたセキュリティを潜りながら、ユイは黙って少し後ろを着いてくる月を母親に気付かれぬように振り返った。
二週間共に過ごして初めて見る表情だった。じっと観察するような様子の中に冷たい感情が混じっている。しかし憎悪ではなく何か見定めるかのように試す視線に思えて今度は隣を歩く母親の横顔をユイは見た。
前に月が言った通りニアには姿が見えないらしい。
他愛のない会話をしながら相槌を打っていたニアが、ふと視線をユイに向ける。
「私の顔に何か着いてます?」
「……え?」
「そんなに見詰められて、気付かないわけがないでしょう。…何か気になることでも?」
静かに問うてきたニアにユイはただ「何でもない」と首を振る。
気にならないわけがない。聞きたいことはたくさんあった。何よりユイの強がりな嘘など、ニアはとっくに見抜いているに違いない。
けれどニアはそれ以上は聞いてこなかった。
「そうですか」
静かで淡々とした声が隣から降ってきて、今度はちらりと母親を見遣る。
瞬間、真白な印象の容姿の中で唯一深い色の瞳とかち合ってしまった。気まずいと思う前にニアの視線が外れる。
「それは?」
「……え?」
ニアの視線が子供が両腕で抱えている紙袋に移る。
つられて自身の腕の中に視線を落としたユイが「ああ」と声を上げた。
「絵本だよ」
「……絵本?」
聞き返してきたニアが不思議そうに首を傾げる。それに思わず笑ってしまった。
先程、月がユイに荷物の中身を問い、答えを返した時の反応と良く似ていた。
「うん。ずっと探してたんだけど」
「珍しいものなんですか?」
「珍しいと言うより、絶版だったみたい」
「絶版?」
リビングに辿り着いたニアが羽織ったコートに指を掛けながらもう一度首を傾げる。
ふわりとした癖のある髪が揺れ、しかしニアの視線は紙袋から外れない。気になるのだろう。
音も、ニアからすれば存在も感じることなく、リビングに続いて入ってきた月をユイは視界の端で追った。
母親と同じようにその絵本が気になるのか月もまた促すように頷く。
「…うん。昔、見せて貰ったことがあるでしょ。お話は普通だったけど絵が綺麗で、忘れられなかった」
ユイは肩に掛けていた鞄をソファに置くと紙袋から丁寧な手つきで一冊の絵本を取り出す。
確かに絵が綺麗だと記憶するのに値するだろう、珍しく豪奢な装丁の絵本が露わになる。表紙に描かれたのは青い空と海。
見覚えはなかったが月も確かに綺麗だと思った。その横で小さく息を呑む音が上がる。
表情の起伏が余りないニアにしては珍しく酷く驚いた様子に、ユイは微笑み、月はまじまじと魅入った。
「…良く、」
淡々としたニアの声に少し感情が滲む。
「見つけましたね」
母親の言葉にユイは「はい」とだけ言って自身の手の中にあった絵本を差し出した。
恐る恐ると言った手つきでニアが絵本を受け取り、まるで零れ落ちた残滓をなぞるように表紙に指を這わせる。
細く白い指が絵本の端に掛かり、本が開かれた。綺麗というのが一番相応しいのだろう、絵本の内容よりも絵の秀逸さが記憶に残るようなそれをニアの手が一ページずつゆっくりと捲っていく。
箔押しで物語部分が挿入されている。言語は英語だった。
元々幼児向けに書かれた文章は簡単で、話自体は本当何処かで聞いたことのあるような在り来たりな物語。
一見変哲もない絵本をニアの深い色の瞳がじっと見詰め、暫くして思い出したようにページを繰る。
その間ユイは黙って母の様子を見守り、月は存在が気付かれないことをいいことにニアの手の中にある本に視線を落とした。
やがて最後のページに辿り着き、簡単で在り来たりな物語は終わりを告げる。最後のページには雨が降り、虹の架かり始めた空が描かれていた。
「……懐かしい?」
本を閉じたのと同時にユイが訊ねる。
視線を自分の子供と絵本と交互に見遣ってニアはゆるりと首を振った。
「いいえ」
「……そっか」
分からぬやり取りに月が眉を顰めるとユイが見咎めて笑う。
「母さんの本は、もう無くなっちゃったもんね」
「ええ」
苦笑とも呼べる表情を浮かべてニアが答えを返す。絵本を受け渡された時と反対にユイに返そうとして、ユイの手がそれを押し留めた。
「あげる」
「誕生日にはまだ早いですが」
「プレゼント、去年はあげられなかったし。早いけど二年分ってことで」
にこりと笑んだユイは母の手から絵本を受け取らず、ソファに一旦下ろした鞄を引っ掴んでニアの横をすり抜ける。
ニアが何かを言いかけたのを振り返って笑って止めて部屋に戻っていく。
その後ろに月は続いた。絵本の内容など簡単過ぎてニアがページを捲ったときに全て記憶している。
特段何とも無いようなそれにニアとユイ、月が知らぬ親子の何かがあるらしい。
「ユイ」
その時、リビングから顔を覗かせたニアが小さな背中を呼び止めた。
振り返ったユイが首を傾げると、ニアの余り表情を乗せない淡々とした声が訊く。
「貴方の方が誕生日は先ですね。プレゼントは何が良いですか?」
「……うん、それじゃあ」
ユイの言葉にニアが目を丸くする。無理はなかった。
凍りついたように動かない母親の思考が正常に動き始めれば面倒なことになるのは考えるまでもなく、逃げるようにユイは自室に入っていく。
部屋に入った瞬間、後ろを大人しくついてきていた月がユイの細い肩を掴んだ。
月がユイに進んで接触してきたのは初めてだった。
「ユイ、お前…」
「気に入らない? 言った通りだよ。僕は、ただ知りたいだけなんだ」
「僕のことを?」
「そうだよ。夜神月、…”キラ”のことを」


***


――夜神月について知りたい。

形の良い唇が紡いだ名前にらしくもなく思考が停止した。
隙を突くように自室に戻っていく後姿に掛ける言葉は見当たらず、気付けば一人で立ち尽くしている状況に自嘲が込み上げる。
誰にも、他言はさせていないはずだとニアは記憶の中を振り返る。そうじゃなくてもどう説明しろというのだ。
父親のことは生まれた子供がどう育つか、育てられるか、それを見て物事の判断の区別が充分に付く様になってから話すつもりだった。
それまでは父親の名前も教えずに育てるつもりだったし、現にそうしてきた。日本人にしては変わった名前だが簡単に見つけ出せるものではない。ならば誰がユイに教えたというのだろう。
ソファではなく床にぺたりと座り込んでニアは数週間前に見たメールを思い出す。悪戯にしては出来すぎた非現実的なメール。
差出元はこの部屋に置いてありながらセキュリティを外し仮想的に外部に押し出したパソコンからだった。
忙しくてあの後パソコンは確かめず廃棄した。
(悪戯ならば誰がと思っていたが…、まさか)
メールを悪戯として出すのだとしても犯人がユイであることはないだろう。
あの内容は本当に月本人が書いたような言葉回しであった。ユイは月のことは何も知らない。教えず育ててきたのだから当然だ。あそこまで似せられるとも思えないし、大体意味がない。
”幽霊っていると思う?”
躊躇いがちに問われた言葉が不意に脳裏に浮かぶ。
有り得ないと言いたくて、しかしニアは可能性として無いとは言えないと思い直す。
しかし出会った死神は言わなかっただろうか。人間は死んだら”無”に行くのだと。
お前たちの信じる神や何かは分からないが天国も地獄もなく無であって、其処に罪も罰も存在し得ない。
ニアは自身の細く白い手首に視線を落とした。
其処には躊躇いもないうっすらとした傷跡が残っている。
「………夜神月、本当に………居るんですか、」
指先は白い肌に残った傷跡をなぞり、そしてぱたりと床に落ちた。ゆるゆると首を振ったニアは訳も分からず泣きそうになっている自分を客観的に感じて不思議と思う。
今年、ユイは十歳を迎える。まだ早いと判断していたが父と母の才を十分に継いだ息子には、もう幾ら誤魔化しても無駄だろう。ユイが真剣に真実を求めたならば必ず辿り着いてしまう。なら――
(私が、私の…意地を清算する時が来たのかも知れない)
そう、ニアは覚悟を決めた。




>>間が空いた5話目。
   折り返し過ぎたと個人的には思っているけど、少し修正が必要になってしまって
   非常に難産。苦しい(苦笑

そこに一つ、綿々と継がれた一つの文化があった。
栄華を尽くしたか、荘厳であったか。今はもう分からない。長い時間を掛けて遺跡となった都市の中心部で青年は立ち尽くす。
乾いた風が頬と髪を嬲り通り過ぎていく。
目に砂が入らぬよう半ば生理反射で目を閉じた青年は瞼の裏に残像を結ぶ。
ゆったりと酷い猫背の男が、金髪と銀髪の子を連れて丁度この場所を歩いている…そんな残像。
「…竜崎」
呼びかければちらりと振り向いた男が、しかし何処か視線を彷徨わせてまた青年から離れていってしまう。
残像は明確に結ばれたのにまた離れていく。
そこで青年は伏せた瞼を持ち上げた。
広がるのは嘗て繁栄した名残も見せぬ打ち捨てられた古都。
乾いた大地には水はなく、既に死せる地にさえ思えた。
ゆっくりと青年は残像が消えていった方向に歩き出す。砂埃が一歩踏み出す度に舞い、肺に埃が極力入らぬよう青年は首に巻いていた布を口元まで引き上げた。
進む先にも人の気配無く、生活の跡も今はない。
到底誰も住めない場所なのは一目瞭然である。見失いそうになる残像を青年はまた瞳を閉じて脳裏に結んだ。
この場所には一度も来たことがない。だから本当は知らない場所であるはずなのだ。夢であるならば何故こんなに現実的に鮮明で見たことのない場所を違うことなく脳裏に浮かべることが出来るのか。
青年には甚だ疑問だった。
「……竜崎」
自信の中で結んだ残像は実像なのか。
ただ青年の通りの良い声で名を呼べば僅かに男は振り返り視線をくれるのだ。
しかし青年はどうやって彼の名を知ったのか覚えていない。最初から知っていた気もするし、彼から聞いたような気もする。だが残像でしかない彼が名を教えることなど出来るだろうか?
青年は考えるのを止めて現実に広がる遺跡に目を向けた。
色褪せたモザイク画の残骸が辛うじて壁となり、地面に散らばった彩りに陽光があたれば影に鮮やかな色を施す。
不安定な足場に気をつけながら崩れかけの壁をくぐり抜け青年はそこで立ち尽くした。
遺跡の中心に位置する広場は崩れた壁が大半を覆い、元の様相の半分は予想も出来ない。
青年は一歩踏み出してぐるりと開けた空を見上げた。容赦なく照りつける日光が目を焼く。
そしてすっと一度息を吸って目を閉じた。
鮮やかに瞼の裏、残像は結ばれる。いや、最早それは残像とは呼べなかった。
男が広間の中心で振り返る。酷い猫背の男は顔色もまた酷く悪かった。男が両脇に連れていた子供も同じように振り返り少しだけ困った様子で笑う金髪の子供と、興味も無さそうに視線を彷徨わせた銀髪の子供が男の両脇で大人しくしている。
この二人の子供のことも、何故か知ってる気がして青年は呼びかけようとする。
男の名は知っている。
―竜崎。
何度も呼んだ。現実でも夢の中でも数えられないくらいに自然と男の名は口に出来た。
けれど男が両脇に連れている子供の名は思い出せない。
「……、夢と現実、私と幻」
「幻想と現実、虚構と真実」
「此処に来れば罪の呵責が消えると思いましたか?」
ふ、と。
今まで幾ら呼びかけても答えなかった三人が口々に言葉を言う。
「…な、に?」
からからに乾いた喉がこくりと鳴った。自然と水分を求めた結果に掠れた声は妙な響きを持ち不自然に浮く。
「目を開けて下さい。月君」
真ん中にいる男が優しくそう告げる。目を閉じた、残像を結んだままではなく現実をと望む声。
従って目を開けば途端に大半が瓦礫と化した都市の広場が視界に飛び込んでくる。先程と違うことと言えば、瞼を閉じなくても目の前に残像としてあった男が存在していることだ。
「竜崎」
「…酷い有り様ですね、此処」
青年の呼びかけに男は答えずきょろきょろと見渡してのんびりと感想を告げる。
何を呑気なと言い掛けて、確かに栄華を極めた文明の末路だとしたら酷い有り様だと思い直した。
男だけでなく両脇に寄りそうにして子供も二人、じっとそんな青年の様子を見据えている。
「追いかけてくるとは思いませんでしたね」
「…どうして?」
「振り返らない覚悟があるのだと思っていたからです。正直貴方にはがっかりです」
白い無地のシャツにゆったりとしたジーンズを穿いた男はきっぱりと辛辣な言葉を投げて寄越す。
日光に晒されるのと対照的に男の血色の悪い白さは際立った。
「……後悔してるんですか?」
「何?」
「……L、」
ふふ、と笑みを浮かべた男をまるで窘めるように銀髪の子供が男の服の裾を引く。
記号のような名で呼ばれた男は応えるように頷いて、空いた手で子供の頭を撫でた。
「月君、此処をどう思います?」
ぐるりと見渡す廃墟のような場所。
嘗ては繁栄と典雅と活気に満ち溢れていたに違いない場所。
「……寂しい、」
「貴方が作ったんです」
青年が言い終わる前に男が告げる。
何の感情も乗せない凪いだ声で告げる。
気遣わしげな視線が金髪の子供から投げかけられ、青年は男の言葉を上手く理解出来ずに首を傾げた。
途端、今まで居たはずの景色は音もなく書き換えられ混じりけのない暗闇に浸される。
「本当、泣いてどうするんです。夜神月」
呆れた穏やかな声は耳朶を打つばかりで、青年は未だ自分の状態が如何様であるのか把握していない。
泣く?
泣いている?
誰が、と思いかけて確かに頬を伝う冷たさに気付いて男の言葉が嘘でないと知る。
「良いですか。貴方が望んだんでしょう? 今更、私達を追いかけても無理です。私達はもう貴方の道とは交わらない」
当たり前だと言い返そうとした青年の声は喉に詰まり反論も出来ない。
「そして、世界は貴方の望む通りに変わったんです。満足でしょう? ……だからこんな現実逃避はいけません」
塗れた頬に低い体温が、さらりとした感触の指先が触れる。
少しだけ笑っている男は何処か悲しげだった。

「さあ、起きて下さい。また貴方の、貴方が望んだ世界での、一日が始まります」
 ―そしてもう、私達を追ってはいけませんよ?


突然浮上していく意識の中、様々なものが逆巻きに記憶として再生される。
男の両脇で大人しかった子供の名も今は頭の中にあったし、自分が何であって、自分がどうしなければならないのか…青年は全てを理解していた。
その中で、夢を見ていたと結論づける中で、結局あの男の名前だけは忘れなかったのだと何故か笑いが漏れた。
全てを勝ち取り、姿の見えない具現化された神となり秩序となった青年は自嘲する。
男も二人の子供も自らが世界から葬ったのではないか。
それを追う残像を見るなど。確かに罪の呵責とも取れて笑ってしまう。
「……、でも違う。僕は、」
敵対したその三人を葬った事に対しての罪悪など無い。あるのは期待だったのだ。
選んだ道、交わった道、最初の選択が無ければ決して無かった邂逅を、それでももしかしたらと考えてしまうそれ。
心の何処かで望んだ期待を青年は夢の中で残像として追った。既に叶わないからこそ。

 

そっとそこまで考え目を開けた青年の視界に窓から差し込む光が柔らかに映し出された。
ああ。やっと夢は終わったと納得するのと同時に、男が最後に投げつけた言葉でもう二度と同じ残像を追うことはないだろうと思う。
寝具から身を起こしながら光を遮るように瞳を閉じた。
男の言う通り脳裏はもう残像を描かない。
「ああ、本当にお前はいつまで経っても気にくわない」
青年はぽつりと呟いて笑う。自嘲というよりは、泣いてしまいそうになったのを誤魔化したような笑みだった。
その日から青年の夢は残像を映さず、抽象的でなければいけなかったはずの一人の人間の正義が押しつけられた世界は青年の瞳にモノクロに映って見えるようになった。
最後に残像を追った夢の景色の意味を青年はゆっくりと噛み締める。
認めたくないのに、苦労して青年が作り上げた世界の秩序が青年の瞳に破綻を映した。




>>デスノって現実的な表現も、抽象的な表現も良く合うと思う。
   個人的には月をどこか崩れかけた遺跡にいさせたかっただけのネタであったりしました。

   Lもメロもニアも破れて、新世界の神になった月の少しの後悔。

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くまがい
HP:
性別:
女性
自己紹介:
此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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