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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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呆然と、レスターは自分が現在置かれている状況を冷静に捉えようとした。その努力は涙ぐましいが、結局報われることはない。
「……あの、ニア?」
恐る恐る、その白く細い指がネクタイにかけられたところで声をかければ平素同様淡々とした声音が返って来る。
「何でしょう? レスター。私、今忙しいです」
「……いや、忙しいって…。いや、あのニア、とりあえず落ち着いてくれないか」
「私は落ち着いていますよ?」
漸く顔を上げて小首を傾げたニアの容姿は年齢にそぐわぬ幼さで、ただ浮かべた表情だけが歳相応だった。
モニターの明かりだけが犇く部屋の中、何が悲しくて親子程年の離れた相手に押し倒されていなければならないのだろうと、ふとレスターは思う。体格でいえばかなりの差があるが故か、何もなければニアを難なく押しのけられる筈なのに傷がつかないよう丁寧に背中に回されて縛られてしまっている両手は確かめるまでも無く力が入らない。
上手に縛ったものだ。
特殊な訓練を受けているレスターでさえ抜けられぬよう計算されている。
そんなことに使う頭ではないだろうにと目の前のニアを見遣れば、今まで見せた事のない笑みをニアは零した。
「レスターでもそんな顔をするんですね」
「ニア、悪い冗談は…」
いつも玩具を弄る手は迷うことなくネクタイを解きカッターシャツにまで手を伸ばした。
「冗談は好きじゃ有りませんよ、レスター」
「……それでは、これは」
「本気です」
「………、ニア」
ゆっくりとボタンが外されていくのを歯痒い面持ちで見守りながら、最後の望みとばかりにシャツを脱がせにかかっている張本人の名を呼ぶ。ふわりとした癖のある髪を揺らしてニアが再び頭を上げた。
「何です?」
「………止せ」
「何故です?」
折角此処までしたのに。
そうぽつりと呟いたニアは再びボタンを外す手を動かす。
「ニア…!」
遂にズボンのベルトまで手が掛かった所でレスターは声を荒げた。
もう一度顔を上げたニアが少しだけ眉間に皺を寄せた。
「ああ、もう…。五月蝿い、です」
そして小さな身体で伸びるようにして、レスターに口付ける。
腕は自由にならず何とか抵抗の意志を示していた言葉も封じられてしまえばレスターに抵抗の術はない。
「…ん」
「ニア」
「……ねぇ、レスター。そんなに嫌なら何故必死で抵抗しないんです?」
呼吸の限界息継ぎのために少しだけ離れた合間に名を呼べばそう返って来た。
元々体格の差はかなり大きい。レスターが必死で抵抗すれば確かに退けられる可能性は高い。
「……レスター、答えを」
「ニア、私は」
「……それは肯定と取りますよ?」
にこりとニアが笑った。
そして何かを言いかけるレスターの口をまた塞ぐ。
乗り掛かられたニアの体重は軽くレスターにはどうともない重さでは有ったが床と背中の間にある腕が、その負荷に痛みを訴えてくる。
するりとシャツの中に入った白い手は器用に肩からシャツを落とし、レスターはいよいよ観念するしかないと一度唸った。
「ニア」
「…はい?」
「………後で後悔しても知らないぞ」
「しませんよ」
私はしません。
そう鮮やかに告げたニアのもう片方の手がレスターの頤からするりと首筋をなぞる様に落ちた。
「だからレスターも、責任は感じなくて結構です」

 

***

どうしてこうなったんだろうとふと起き掛けの頭でレスターは考える。
隣には健やかな寝息を立てる年下の上司。
どうにも夢としても由々しき事態だが、出来れば夢オチで終わらせたかったのだが一緒のベッド、しかも裸同士で眠っている以上そうはいかないらしい。
「……ああ、やってしまった」
ある意味手段を選ばず煽られたとはいえ、本当に親子ほど年の離れた、しかも立場上は上司と関係を持つなんて。
両手で顔を覆ったレスターが悲観にくれる横で半覚醒した小さな上司はレスターに、平素と同じ声で何事もなかったように「おはようございます、レスター」と挨拶をして寄越した。



>>寧ろ言い訳をするなら、むつきさんがいけない…の一言で事足りると思う。
   というわけでむつきさんへ。

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色々非現実的過ぎる。
月との会話を思い出しながらユイは布団の中でこっそりと溜息を吐いた。サイドボードに置かれた時計は既に就寝時間が過ぎたことを告げているが、どうにも眠れそうにない。
話を聞けば月の記憶は死ぬ直前で途切れ、次に気付いたら今だったと言う。ただ漠然と自分が死んでいる人間なのだという認識はあり、その後で色々試したらしい。触ることに関しては自分の意志さえ伴えば触ることも触らせることも可能。但し、姿を認知させることは自身の意志ではどうしようもないのだと言った。
今のところ月の姿を見ることが出来たのは世間では大法螺吹きとレッテルを貼られた自称霊媒師とユイだけだったようだ。
一度寝返りを打ってユイは灯りの落とされた室内に慣れきった目を開ける。
父親のことは母から具体的に聞いたことはない。
何となく聞いてはいけない気がして聞けなかった。
名前まで知らないのはどうかと思ったが母の立場を考えれば有り得ない話でもなく、ユイはただ自分の容姿が父親似なのだということだけを教えて貰っていたのだ。
だから父親がどんな人間なのか。どんな仕事をしてきたのか。どうして死んだのか。ユイは知らない。
(…でも、あれは何て言うか)
特に身の上を明かすというわけでなく月は今の現状とユイの父親であるのは事実だと話しただけで何も語ろうとはしなかった。
まるで母の意思を尊重するようだったので追求することも出来ず、結局就寝時間になってしまい眠れないままベッドの上で思案する今に至るわけである。
「…ね、父さん。居るの?」
「ああ」
「父さんの姿、母さんには見えるのかな」
「さあな。尤もあいつは見えたところで見たくない顔だと言うだろうけどな」
「何で?」
「……色々あるんだよ」
「大人の事情?」
「そういうことにしておくか」
くすりと小さく笑いが零されて「早く寝ろ」とだけ声が掛かる。
眠れるのなら疾うにしていると言いたいのを堪えてユイは布団を顔まで引き上げた。
無理に目を閉じて何とか眠ってしまおうと試みるがどうしても眠れない。考えることが多すぎるからか、頭の整理がついていないからか。どちらにせよ明日が休日で良かったと思った。
月は死んでいるからだろうか。気配と言うより温度がない。当たり前だ。気配はそこに何となく居る程度には感知出来るのだが彼が気配を潜ませてしまえば全くと言っていいほど分からなくなってしまう。
被った布団越しに気配を探っても何も分からなくなってしまっていた。
(実は長い夢を見ているだけだったりして)
それにしては妙にリアル過ぎるとユイは布団の中で笑った。


***


一台の車がセキュリティゲートの前に滑り込む。運転していた男が直ぐ様降りて後部座席のドアを開けた。
黒塗りの車からゆっくりと現れたのは正反対の色。全ての色を排他した白である。
「ご苦労様でした。何かあったら直ぐに連絡を下さい」
淡々と感情の起伏の余り感じ取れない声が男に告げる。
「分かった。…しかし」
「大丈夫です」
「ニア」
「何かあったら連絡を寄越す。忘れないで下さい、レスター」
釘を刺すように笑ったニアが顔に掛かったふわふわの癖のある髪を無造作に払った。
「それではお休みなさい」
セキュリティゲートを潜ったところで肩越しに振り返り未だそこにいる男に挨拶を告げる。
「ああ」
小さく男が頷いたところで解錠し扉を押し開いた。リビングの間接照明だけが点いているのを横目に、既に寝ているだろう子供の部屋に視線を遣る。
羽織っていた落ち着いた色のコートをソファの上に放り捨てると一つ息を吐き、壁際に備え付けてあるセキュリティシステムの端末に手を伸ばす。全てのチェックコードとログを一通り眺めて異常がないのを確かめる。
「母さん? 帰ってきたの?」
そこに背中から声が掛かった。
気遣ったのか足音も殆ど感じさせずリビングを窺うように覗く人影を振り返ってニアは微かに笑う。
「はい。進展がないので少し休憩を入れました。…まだ起きていたんですか?」
「…うん。何だか寝付けなくて」
悪戯が見つかった幼子のように首を竦ませるユイが一歩リビングに足を踏み入れた。
「お帰りなさい、母さん」
そして迎えの言葉を寄越す自分の子供にニアは穏やかに帰宅を告げる。
「ただいま帰りました」
にこりと笑ったユイが首を傾げる。
「珍しいですね。貴方が寝付けないなんて」
「うん。本当だよね…、明日学校が無くて良かった」
本当にそう思っているらしく年相応の表情で安堵を示したユイにニアが小さく笑みを零す。
壁に掛かったデジタル時計の示す時間は深夜を回っており、子供が起きているには随分と遅い時間だ。
ニアの細く白い指が自身の子供の母親には似なかった癖のない亜麻色の髪を梳く。
「眠れないのなら、ミルクを温めてあげましょうか」
「僕そんなに子供じゃないよ」
「そうですか? 私は眠くなりますけどね」
「まさか」
肩を竦めてそう言って見せた母親にユイは苦笑して返した。規則正しく睡眠時間を取るユイと正反対に母親であるニアの睡眠時間は酷く不規則だ。寧ろ人として最低限の睡眠時間で活動していると言っていいのかも知れない。
「信じてないんですか?」
「どうだろう?」
「……そうですね。私も今日はもう寝ますから、自分の分を用意するついでに貴方のも作りましょう。それで飲んだらベッドに行く。どうです?」
良い提案でしょう? と付け足したニアにユイは頷くことにした。
髪に差し入れた指を引いて一度ユイの頭を優しく撫でた手が離れる。そして淀みない足取りでリビングから続くキッチンへとニアは向かった。
小振りのミルクパンに二人分のミルクを入れて温めている横に子供が寄り添う。
「ねぇ」
「何です?」
「幽霊っていると思う?」
「貴方はどう思ってるんですか?」
「…………いない、と思ってる」
「そうですか。夢がないですね」
ミルクパンをへらでくるりと混ぜたニアが苦笑する。その言葉にユイが食い下がるように質問を重ねた。
「それじゃ母さんはどうなの?」
「そうですね…。私も、貴方の歳くらいの時には信じていませんでした」
淡々と答えを返す母親の横顔を見ながらユイが思案する。その言い方では夢がないと自分に言えるような子供時代を母も送ってはいないではないか。
「もっと小さい時なら信じてた?」
「いいえ。たぶん信じていません」
「………?」
「私は今、信じてるんですよ」
言葉の意味をいまいち飲み込めず首を傾げたユイにどこかすっきりした声音で母は言う。
「えぇ…?!」
「らしくない、ですか? 笑っても良いですけど…。でも…死神だって存在するんですから幽霊くらいなんてこと無いです」
何とも想定外の言葉にユイは返す言葉も無かった。
世界の切り札の名を継いで迷宮入りと言われる事件を解決する母がまさか非現実的とも言える存在を信じていると口に出すとは思いもよらなかった。
「それで何故そんなことを訊くんですか?」
「…え?」
「信じてないけど、信じなければいけないような事態に遭遇しましたか?」
程良く温めたミルクを二つのカップに移し替えて、その一つをニアはユイに渡す。
素直に受け取ったユイの「ありがとう」にニアも「どういたしまして」と返した。しかしニアの質問にユイはどう答えていいか分からず母親の次の言葉を待つ。
「ユイ、私は……悔しいから認めたくはないんですが、人間が認知しない何かが世界にあって然りだと思ってるんです」
「さっきの死神?」
「信じませんか?」
「うーん…。どうかな。……よく分からない」
「それが普通です」
そう言って温めたミルクに口をつけたニアが小さく息を吐く。
倣って同じように一口飲んだユイは程良く甘味の加えられたそれに強張っていた身体が解けるのを感じた。確かにこれは眠れるかもしれない。
「私は見たことは無いですが、幽霊…居たって良いと思いますよ」
「……そう」
「尤も」
「うん?」
「そんな存在が事件を起こしたとなれば話は別ですがね。いつだって人を殺めるのは同じ生きた人間なんですから」
「……取り憑かれてしまったとかは?」
全く母らしい言葉にユイは笑った。
「まぁ…、それはご愁傷様ですが。でも一ついえることがあります」
「そうだね」
示すように人差し指を立てたニアにユイは頷いた。そして同じ言葉を口にする。
「「跳ね除けられなかった本人にも責任がある」」
一拍、キッチンに短い沈黙が下りた。顔を見合わせた二人が同時に笑いを零す。
「分かってるじゃないですか」
「言うと思った」
少し冷め始めたミルクを一気に飲み干してユイがシンクの上にカップを置いた。
「母さん、ありがとう」
「眠れそうですか?」
「うん。大丈夫そう」
「それは良かった」
「それじゃ、僕…寝るね」
素直に答えたユイが就寝を告げる。その頭をニアが一度撫で屈みこみ、一つ額にキスを落とした。
ユイが物心つく頃から母のその仕種は変わることはない。
「お休みなさい」
「うん、お休みなさい」
キッチンを抜け真っ直ぐ自分の部屋に向かっていく足音を聞きながらニアは手にしていたカップに再び口をつけた。
半分冷めてしまった液体に少しだけ入れたはずのアルコールの匂いが妙にきつく感じられて思わず眉を顰める。
「……幽霊、か」
馬鹿馬鹿しいと一蹴することはニアには出来ない。
あの時確かに非現実的とも言える死神の存在と、それが齎したノートの災厄を目の当たりにしたからこそ無碍に否定など出来るはずも無かった。
しかし何故息子があのようなことを口にしたのかは分からない。
通っている学校で例え怪談を聞いたのだとしても、態々自分にこんな風に質問したりするだろうか。
「それこそ心霊体験をした、とか…。……いや、それだって思い込みの産物が殆ど」
一つだけ会話の中でユイが答えなかった問いは”事態に遭遇したか”だった筈だ。ならばそれが一番核心を突いた質問だったに違いない。
そこまで考えてニアは苦笑して首を微かに横に振った。
話したくなったのなら話すだろうし、こんな仕事のように探ることはユイには出来るだけしたくなかった。
カップの温くなったミルクを飲み切りニアは視線を落とす。
連日最低限の休息だけで活動していた身体は矢張り疲れているらしい。まだ思考は暈けていないが自分も眠った方が良さそうだとニアはキッチンを後にした。



>>思いのほか書きづらいのは、この設定のニアじゃないのかと思いました。
   なんていうか苦しい苦しい(笑)

鞄の中から鍵を取り出す。ディンブル錠の中でも特殊加工された鍵はセキュリティ上必要だから仕方なかった。鍵穴に差し込み回すと、軽い感触と裏腹に重い解錠の音が扉の合間から聞こえた。
「いつもありがとう、ステファンさん」
そして直ぐ後ろまで送ってくれた人に声を掛ける。母の部下だというこの男は年齢の割に若い印象を常に纏い人好きのする笑みを浮かべて「どういたしまして」と言う。
「それじゃ、また」
「はい。気をつけて帰って下さいね、ステファンさん」
「ああ、ありがとう」
片手を振って黒い車に隙も少なく乗り込んだ男が見えなくなるまでその場に止まって一つ溜息を吐いてから、少年は見た目からは想像も付かない幾重も張り巡らされたセキュリティゲートをくぐった。
視界の端で承認される光信号を見て取って小さく息を吐く。
「……ただいま」
誰もいないと知っていながら少年は辿り着いたリビングで帰宅の挨拶をした。
肩に掛けていた鞄をソファに放り投げ、リビングから続くキッチンに入っていく。冷蔵庫を開けて一番左端のペットボトルに手を掛けてからふと首を傾げた。
シンクの金属部分、歪みを伴って映った鏡像に見慣れぬものが映り込んでいる。一つは歪な見慣れた自分の顔、その後ろに少年と似た面影の、男。
「………?!」
此処には少年と少年の母親、そしてごく限られた人間しか入ることが出来ない。必然的に少年は此処に来る人間の顔全てを記憶している。それに自分よりも先に誰かが入った形跡はない。少年が出て行った時のままだ。
母親は自分よりも先に此処を出ている。だから誰も居るはずがない。それに気配もない。
―なら、これは一体、
「…誰、」
振り返った瞬間、間近から覗き込まれた瞳は榛の柔らかな、それでいて暗い闇を含んだ色だった。
「ふぅん。目だけは母親譲りか」
やけに涼やかに通る声は酷く冷たい印象を孕む。シンプルなスーツに落ち着いた色のネクタイを締めた二十代前半に見える男の容姿は端正だった。
「…貴方、誰?」
視線を逸らさず何とかそれだけを言った少年に男は笑う。
少年と同じ指通りの良さそうな亜麻色の髪が拍子に揺れた。
「”ママ”から聞いてないのか? 僕はお前の父親だ」
何を馬鹿な。
少年は咄嗟に口を突いて出そうになった言葉を飲み込んだ。一言で切って捨てるには少年と目の前の男の容姿が酷く似通っていることを、少年自身が信じられないと思うほど認識していたからだった。

 

***


「それで、貴方が僕の父親だとして信じろって言うわけ?」
「……可愛くない反応だな。流石僕とあいつの子供だよ」
その言葉に少年、―ユイは反撃はせずにコップに注いだジュースに口を付けた。
飲み物はいるのかと目の前の相手には訊いたのだが必要ないと断られたので用意はしなかった。男の存在に驚いてみたものの、歳にしては冷静な思考を持つユイは結局物事を見極めることを優先することにしたのだ。
ソファに腰掛け落ち着いたところで今ほどの一言である。
十歳そこそこの年齢にしては酷く子供離れしていた。
「だって現実的じゃない」
「確かに」
「僕のお父さんが死んでるのは知ってるよ」
目の前の男は現れて早々ユイに自分が父親だと告げた。
よく見ずとも一目で似ていると分かる位に似通った容姿に血の繋がりを思わぬ人間は居ないだろう。
だから男にその言葉を告げられて違うと完全否定出来るほどユイは幼い思考を持ち得ては居ない。しかしそれならば母親は嘘を吐いたのだろうかとふと心の端で引っかかったのだ。
父親を知らず育ったユイに「貴方の父親は死んでしまったので」と言ったのは他でもない母親だった。
「ああ、お前は…」
ふと思考に沈み込みそうになったユイの耳に男の通りの良い声が滑り込んだ。
「あいつが自分に嘘を言ったのかどうかと疑っている訳か」
くすくすと意地の悪い笑いを含んだ声に思わず眉間を寄せる。
それさえ男の思う壷なんだろうと思ったが我慢出来なかった。
「安心しろ。あいつはお前に嘘は言ってない」
「僕をからかってるの?」
「生憎、子供をからかう趣味は持ち合わせてないさ」
大袈裟に肩を竦める男にユイがこれ見よがしに大きな溜息を吐く。
どうやって見た目には分からない厳重なセキュリティをいとも容易く抜けたのか、今はそれだけでも訊いておかなければと思っていたのにどうにも上手く切り出せないのだ。
「もう、いい。とりあえず、どうやって此処に入ったの?」
上手く切り出せないのなら単刀直入に訊けばいい。ユイが訊ねれば男が笑う。
「今の僕には厳重なセキュリティなんて意味がないんだ」
「だから」
「だから父親は、――僕は死んでいるんだろう?」
自分の言ったことをちゃんと覚えているのかと軽い口調で言われてユイは言葉を失った。
矢張りからかっているのだろうかと思案する前に男が形の良い指を宙で輪を描くように回す。その軌跡を追ったユイが息を呑むのと同時に男がこれみよがしにそれを頭の上に乗せた。
「………僕、疲れてるのかな」
「子供ならば、”死んだお父さんが会いに来たんだね、嬉しい”位言ってみせたらどうなんだ?」
「……”わー、本当にお父さんなの? 僕に会いに来てくれたんだね、嬉しい”」
「下手くそ。棒読みだ」
「わざとだからね」
男の頭の上には仄か光る輪が存在している。良く絵本や宗教画で見られる天使の上にある輪。一つの死者の証として描かれるそれ。
手品だとしたならばどうやって宙に浮いて存在しているのか分からないし、この男が何か仕掛けたにしては余りにも自然過ぎた。注意深く見ていたが引っかかっる節もない。
俄に死んだ存在が目の前に居るというのは信じ難いが、それを仮説とするのなら何の問題もなく現状の筋が通る。
「それ、触れる?」
男の頭上の輪を指で示すと男が視線を輪に向けた。
「どうだろうな。試したことはない」
「それじゃ、貴方には触れる?」
「試してみたらどうだ?」
死んでいるのなら肉体は既に土に還っているだろう。父親が死んだのはユイが生まれる前だと聞いていたから十年程前になる。本来死んだ人間を目視することは出来ないし会話など正気の沙汰とは思えない。
「……ああ、やっぱり」
手を伸ばしたユイが声を漏らす。
「お前からは触れないんだ」
「それじゃ、貴方からなら触れる?」
「色々規制みたいなものはあるけど、一応は」
「ってことは貴方が望めば僕からも触れる?」
いよいよ夢か現実としてこの現状を認めるしかなくなったようだ。
ユイが伸ばした手は男の姿に触れることなく透過した。何事もなく男を突き抜けてソファの布の感触だけを指先に訴える。
「少しは頭が回るみたいだな。そうだ。僕が望めば」
「もう一つ訊いて良い?」
「どうぞ」
「……姿もそうなの?」
「いいや」
ふるりと横に首を振った男にユイは「そう」と小さく相槌を打った。
彼が仮に父親だとして、十年も経った今になってわざわざ会いに来た意味を考える。どうせなら死んだ直後に来たとしても構わない。そうでなければ自分が物心ついた時でだって構わないはずだ。
「ずっと…居た?」
「質問はあと一つじゃなかったのか?」
「成る程、貴方…死んでから今まで、こっちには干渉したことない。そうなんだね?」
「へぇ?」
「違わないでしょう?」
にこりとユイが笑って促せば男も笑う。
「ああ、正解だ」
「とりあえず貴方が父親かどうかは別として、生きてる人間じゃないのは認めてあげる。夢じゃなければ」
「本当可愛くないな」
「それはどうも」
皮肉にはこうやって返すのが一番良い。肩を竦めて飲み終えたコップをテーブルに置く。
少し高い硬質な音がリビングに響いた。
「……で、今更なんだけど」
「うん?」
「名前を教えて貰っても良いかな、お父さん。…僕、お父さんの名前知らないんだ」
ユイの言葉に始終余裕を感じる態度を決め込んでいた男が初めて、それを崩した。目を瞠り何か考え込むように口元を手で覆う。
その仕草が今見てきた中で何より男を人間らしく見せた気がして、じっとユイは男の様子を見守った。
やがて男が一つの名を告げる。

「…夜神月」

どこか静かな響きを持った音を、その初めて聞く名をユイは不思議な面持ちで記憶した。



>>ifが二つ重なった延長線上のパラレル話。
   ネタ的に少し長いので分けます。まだ書き途中で、ユイ手探り状態中(苦笑

どうしちゃったの、おかしいよ
気遣う言葉よりも先に悲鳴じみた声が小さな形の良い唇からこぼれ落ちる様を月は見守った。
脱色された髪を揺らして踵を返し部屋を出て行った女に掛ける言葉など見つからない。

何がおかしい

内心毒突いて溜息だけ吐き出す。
重苦しい空気を入れ換えようと窓に手を掛けた瞬間、目眩が襲った。
疲れが溜まっているのかも知れないと思うのと同時に気遣う記憶の中だけの声を優秀な脳は再生する。
一寸違えず鮮明に、鮮明に。
「うるさい」
もう何処を探してもいないそれに何時までも縋ったところで仕方ないのだと切り捨てようとして、ふと思考は停止する。
此処まで、誰も、
この隣には、それ以外誰も、辿り着いたことはない。

「…本当、煩い。お前は死んだって僕を楽にはしてくれないんだな、竜崎」

自分で殺めた存在の、仄か優しすぎる残滓に、溺れてどうにかなってしまいそうだと月は思う。
そしてきっとたぶんどうにかなり始めているとも思うのだ。
進む道にその存在がいるはずもいて良いはずもなく、結局は孤独を選び取ったのに泣きそうになり崩れそうになるのを必死で堪えて。


きっと、そんな僕を見てお前は少しだけ笑って言うのだろう
”馬鹿ですね”と
そんな言葉さえも鮮明に思い描ける、そのことさえ憎らしい



>>二部でだって月はLしか見えてなかったよね、と
   ふとした瞬間に思い出して悔しがって愛しいと悲しめばいい

夜闇に沈む講堂は静寂が溢れている。
燭台には蝋燭が備え付けられているというのに、それらには一つも火が点されていない。
必然的に講堂内には闇が凝る。天井近く、丸く縁取られた窓から差し込む僅かな月明かりだけが室内を照らしていた。
埃が落ちる様までも捉える清かな月影と静寂は何かしらを予兆するかのような神聖ささえ湛えた。
その静寂を裂くように確かな足音が講堂内に押し入ってくる。
指通りの良さそうな癖の無い髪は月光を受けて青褪めた茶褐色に染まった。立ち止まる青年の顔立ちは端整過ぎて、明かりによって縁取られた造形は芸術に等しい。
講堂の丁度中央で歩みを止めた青年を、待っていたのか。
静寂に埋もれるように瞳を伏せていた人物がゆっくりと瞼を押し上げる。
「お待ちしてました」
穏やかとも取れる静かな声は静寂には相応しく耳当たりが良い。
声の主は月光を受けて尚深くなる漆黒の髪を揺らして振り返る。
「こんな時間に何だ?」
タイミングを計って向かい合った瞬間に清々しさを纏う良く通る声が問いを投げる。
それに答える声は飽くまで穏やかだった。
「大事ではないです」
「では?」
途端不機嫌を露にした険のある声で青年は問う。
自分よりも幾分か年上の相手に接する態度としては相応しくないと思ったが、どうにもならなかった。
僅かに柳眉を顰めた青年に、そんな彼の心情など構わないのか先程と同じ調子の、全く気にも留めていない声が返った。
「そう、急かさないで下さい。貴方らしくもない」
「生憎、僕は暇じゃないんだ」
くすりと笑い寄越された声に尚更眉を顰める。
「はい。そうですね。…私も暇じゃありません」
「ならさっさと用を済ませてくれないか」
時間が惜しいとばかりに態度を変えぬ青年に、一つ溜息が零される。
「………、仕方ありませんね」
何に対してなのか。
青年は訊くことはしなかった。たとえ訊いたとしても満足のいく答えは返らないだろう。
そういう相手だった。

「…、誓言を」

静かな講堂の中、紡がれた言葉に青年は思わず聞き返す。
「何?」
「貴方の言葉を下さい」
それには間髪入れず答えが返った。
沈黙が降りる。息苦しさを感じる重圧に反して、夜の森に潜む鳥の声が耳に入り込んだ。
僅かに安堵さえ齎すその声を聞きながら探るように青年は相手を見詰める。
夜闇よりも深い闇色の瞳はじっと一つも感情を映さず青年を見返してきた。
意図が掴めない、と探る言葉を探すよりも先に青年は確認する言葉を口にする。
「良いのか?」
青年の言葉に相手が微かに、しかし穏やかに笑う。
「二言はありません。さぁ、誓言を」
促す声に迷いは無く、申入れを拒絶する理由が青年には無かった。
青年の唇が、声が、誓いを紡ぐに時間は掛からない。

「天と地の全ての理において汝の真名に音を与えよう。創世より定めは違えず汝は我と共に」

良く通る声は反響の良い講堂内に明瞭に響く。
徐に合わせて伸ばされた片腕は相手の正面に突きつけられるような形だった。

「”終焉”まで違えず此処に、私の全ては貴方の為に」

青年の伸ばした腕に、距離を詰めることなく相手が同じように手を伸ばす。
紡がれる声は矢張り穏やかで静かで、引き継ぐ形の言葉は世界の理によって一つの力を示すというのに。
不思議な程、当たり前に自然に思えた。
伸ばされた互いの手と手は、指先が触れ合うか触れ合わないかの寸前で虚空に静止する。
「…後悔するなよ」
青年の、その強がりにも聞こえる言葉に
「貴方こそ」
同じように強がりとも取れる言葉が返される。
其処で初めて触れ合って指先はどちらとも夜気に触れて冷たくて、二人は顔を見合わせて笑った。
種族の違う二人の、覚悟にしては酷く有り触れた日常で為されるような笑みだった。


 ―さて、世界の変革を望もうか。




>>同日でプロット(?)っぽいものをmixiに載せていたものの成文版。
   その場のノリ過ぎて、特になにも考えてないよ。

   だから何も無いよ(…)

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くまがい
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此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

ブログ内文章無断転載禁止ですよー。
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