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滞りなく頁を捲っていた隆景がふと視線をあげる。紙媒体の文献を書庫の通路に直に座り読み耽っていた彼女の前に影が落ちたからだ。緩く波打つ白に近い銀髪が視界を掠める。
銀髪や白髪はあるが、その部類でも少しだけ変わった色合いの彼の髪は、その彼の血縁によく出る特徴なのだという。
白に近い銀髪は、水に濡れたり光を受けたりすると、個人差はあるがハレーションを起こすようで、それはそれは綺麗なのだ。一番似た容姿のニアも水に濡れると髪の色がほのかに光って綺麗で、良いなと思ったことがある。
「あれ、冬さん」
「こんなところで何してるの、景ちゃん」
見て分かるだろうと言いたかったが、問われたので隆景は読んでいた本を指し示した。
「読書」
「それは分かるけど、ここは通路だよ」
呆れた声が返る。
「机で読みなさい」
「面倒くさい。だって直ぐに読み終わって、また取りに来なくちゃいけないもの」
視線を落として読書を再開する隆景に溜息が落ちる。
「あのね、景ちゃん。女の子がね、こんな地べた座って無防備に本なんて読んでちゃ駄目なの。何かあったらどうするの」
「何もないもん」
「あるかもしれないでしょ」
「大丈夫だよ」
会話しつつ捲っていた本が最後の頁に差し掛かる。ぱたりと本を閉じて手を伸ばして、抜き取った場所に戻した。そしてその横の本に手を掛けようとして、白い腕がそれを遮る。
「冬さん」
「机で読まなきゃ駄目」
「……今日はどうにも食い下がるね」
折れそうにない相手に隆景はもう一度視線をあげた。左右色の違う瞳がじっと逸らされずに隆景の方を向いている。
悪意があるのでも意地悪でも何でもなく案じるが故の行為だとよく考えなくても分かる。
「分かったよ」
どうせそろそろ疲れてきたところだった。
よいしょと声を上げて立ち上がったところで、そういえばと首を傾げる。
「冬さん、僕にはそう言うけどさ」
「何?」
「ここより二個手前の本棚で同じように本読んでた人は注意しなくて良いの?」
今日はこの書庫の通路で読書に耽っていたのは隆景一人ではない。
隆景の先客だった人は片手を上げて挨拶を寄越して、その後どうぞと飴も幾つか寄越した。
「……ああ」
彼が来る前に書庫から立ち去ったろうか、とも思ったが違ったらしい。
少しだけ複雑そうな表情を浮かべたイヴェールが「うーん」と漏らす。
「いいよ、あの人は」
「何で?」
不思議なものだが、別に地べたで本を読む行為がいけないと言っているわけではないのだ。
問題は女性が無防備にそんな行動を取ることだと言ったイヴェールに問いかければ、また困ったように「うーん」と返ってくる。
「まず、あの人に敵う人を探す方が大変だからだよ」
「……は?」
「あの人は見かけによらず凄く強いの」
「そうなの…?」
「そうなんだよ。だから、別にあの人に関してはこういう心配はしなくていいの」
きっぱりと告げるイヴェールに隆景は頷くことしか出来なかった。
どうにも年齢不詳のきらいはあるが線が細く、強いという言葉とはかけ離れているのにと思いつつも、イヴェールと話題の彼女は親戚でよく知っているのだろうから真実なのだろうと思う。
後でローランサンにでも話を聞いてみるか、と思ったところで声が掛かった。
「おや、お帰りですか?」
「あ、はい。一頻り要るものは読んだので」
イヴェールの背後から掛かった声に、背伸びして手を振ることで答えれば、笑う声が聞こえる。
「そうですか。それじゃ、気をつけて帰って下さいネ」
にこりと笑った女性が本棚の影に消えていく。ひらりと振られた白い手が残像のように見えた。
それを見送って隆景は傍らのイヴェールに声を掛ける。
「冬さん?」
「……つ」
「つ?」
「……突っつかれた。気配もなしに、突っついてきた」
小さく漏らされた言葉を復唱すれば、小さな声が答えた。ぎゅっと手を握られて隆景が反応する前に引っ張られる。
半分引き摺られるような形で書庫を出る間際。
「エノア姉さんも早めに切り上げないと、レイムさんがここに来るんだから」
とまるで捨て台詞のように言い残すイヴェールに隆景は目を丸くした。
***
「エノア姉さんも早めに切り上げないと、レイムさんがここに来るんだから」
書庫から立ち去る足音二つ。振り返った気配と残された言葉に、言葉を投げつけられた本人は小さく笑った。
どうにも子供っぽいところも残っているようで、安心すると言えば聞こえが良いが。
「困りましたねぇ。そういうってことは後ででもレイムさんに教えるってことじゃないですか」
体を案じる夫は心配してきっと何かを言って寄越すだろう。本意ではないので読書は中断しようと本を棚に戻す。
立ち上がった際に少しだけ視界が揺れて本棚に手をついて寄りかかろうとしたところで、反対の方向に体が引っ張られた。
「……ザクス」
「あれぇ……? レイムさんじゃないですか」
呆れた自分を呼ぶ声に笑うと、眉を寄せた夫が溜息を落とした。
「全く」
「ええと」
「無理してまた倒れる気なのか?」
「……そんなコトはありませんけど」
「それじゃ、本を読む時はお前も机で読んでくれ」
もしかしたら先ほど言い捨てていった甥が夫を呼んだのかもしれないとも思ったが、その前から居たらしい。
「レイムさんって時々人が悪い」
「何か言ったか?」
「いいえ」
しっかり先ほど出て行った二人の会話を聞いた上での注意に肩を竦めた。
>>分類不可、博物館パロに仲間入りした記念にでも。
短いのを書くつもりでちょっと長くなる不思議(苦笑
ふわふわしたシフォン素材のワンピースを身に纏い、街の中を歩いていく少女の髪の色は鮮やかな色。
足取りには迷いが無く、ふと目にとまった噴水に目を細めた。
キャスケットを被り五分袖のパーカーに半ズボンの、後ろ姿だけでは少年にも見える人物をそこで見かける。
ウェストポーチに無造作に片手をつっこみ、何かを取り出し作業しているのか戯れているのか、その姿は楽しげでもあった。
「何をやっておるのだ?」
背中に問いかければ、肩越しに振り返った相手が笑う。
「ああ、アンヘル! 今日はオフなの?」
にこにこと機嫌の良さそうな声に、アンヘルと呼ばれた少女もまた笑った。いや、正確に言うなら既に少女の年齢は出掛かっているのだが、どうにも身長は伸びず少女の姿に近いまま成人を迎えてしまったというべきか。
「いいや、少しだけ時間が空いただけだ」
質問に返せば、「そうなんだ」と相槌を打つ相手が手にしていた小型の測量器具をポーチにしまう。
「お前こそ、今日は休みか?」
「ううん。そんなわけないじゃない。お休みなら僕、一日中お家で寝てる」
「健康的なんだか、不健康なんだか…」
「そう? まぁ、良いじゃない」
どうだっていいよと付け足し噴水の縁に腰掛けた少年のような少女は、少しだけ陽に透ければ薄い黒髪を揺らして笑う。水しぶきが掛かっているはずなのだが頓着はないらしい。
「で、どうしたの? なんかあった?」
またウェストポーチに手を突っ込んで何かを探し当てたらしい少女がアンヘルに何かを投げて寄越す。
取り落とすことなく両手で受け取ったそれは小さなキャンディだった。要するにおやつか。
「何かあったように見えるか?」
溜息一つ落として同じように噴水の縁に腰掛けたアンヘルが手のひらのキャンディを手慰みに転がす。
自分の分のキャンディは既に口の中らしい。ころころと転がしながらアンヘルの様子を見つめる少女に観念してアンヘルが立ち上がった。
背中から流れる鮮やかな赤い髪が噴水の光を受けて綺麗な残滓を描く。
「隆景」
「はいはい」
「この格好、どう思う?」
「………は?」
意を決して聞いた言葉に隆景は目を丸くした。質問を上手く処理しきれなかったらしい。
一度二度と瞬きを繰り返した後に、アンヘルの頭からつま先までを視線で追う。特に変なところは無い。
「かわいいよ?」
なので素直に感想を言った。
少年のような格好ばかりをする隆景も一応女性だ。可愛い格好が嫌いなわけではない。
アンヘルの腰まで伸びる癖のない鮮やかな髪も綺麗で好きだし、今の格好―柔らかなシフォン素材のワンピースも彼女に似合って可愛いと思う。
「本当に?」
「ええ? なんでそこで嘘つく必要があるの」
疑い深く聞いてきたアンヘルにふるふると隆景が首を振る。
お世辞でも何でもなく可愛いと言った筈だが、何か気に障ることをしただろうか。
しかし隆景の心配を余所に貰ったキャンディを握りしめたままアンヘルは眉間に皺を寄せて、また座り込んだ。
「誰かに何か言われた?」
「いいや」
「それじゃ、どうしたの」
やっと手のひらのキャンディの包み紙を開けて口の中に放り込んだアンヘルが困ったように首を傾げる。
「あやつがな」
「カイムさ、」
「ああ、あの馬鹿者がな…!」
アンヘルが良くも悪くもそういう風に言い表すのは、昔は学芸員であり今はこの人工惑星のセキュリティやシステム管理部門に移管した男性でしかない。
「どしたの」
「…………これは嫌だ、と言われたんだ」
指先でワンピースの裾を引っ張ってアンヘルが溜息をつく。
(ああ、なんだろう。可愛い)
そう隆景が思った瞬間に、接続されているデータベースのガイアが突っつくように反応をしてきた。
(何、ガイア? ああ、そういうこと)
学習機能のついているAIを積んだデータベースは少しずつ悪知恵もついていくらしい。
あまりにも悪さをするようならば親とも言える開発者とシステム管理者が怒るだろうが、これは範疇のうちか。
先ほどアンヘルがカイムの元で何かを話していたらしい映像が映し出される。監視カメラの映像ログ。
「あのさ、アンヘルさん、アンヘルさん」
監視カメラに音声を拾う機能はないが、カイムが何かを言ったのとやりとりの様子だけは何となく掴めた。
よいしょ、と少しだけ反動を付けてから立ち上がって隆景が笑う。
「何だ?」
「カイムってさ、水玉模様好きじゃないんじゃないの?」
「え?」
柔らかなシフォンの、ワンピースは少しだけ大きめのドット。
コントラストは淡く、クリーム色の生地に薄く水色が乗るだけなのだが。
「僕が思うに、アンヘルにその服が似合わないんじゃなくて」
口数が少ないと言うより無口過ぎる印象の男は上手く言えなかったのだろう。
「水玉模様は好きじゃないのに、アンヘルが着ると嫌いじゃなくなっちゃうから」
――だから、嫌だったんでしょう?
笑って告げればアンヘルが少しだけ照れたように赤くなって俯いた。
「そうなら、」
小さく呟かれる声に隆景が笑う。
「そうとちゃんと言え、馬鹿者」
>> 時折書きたいカイムとアンヘル。今回は分類不可、博/物館/惑星パロにて。
なんか可愛い女の子な、そんなのが書きたかったんだな。
なんてことだ、と呟いたのは誰だったのか。視野的にも広すぎる講堂の中で呟かれた一言を耳が拾った。整った顔立ちの青年が眉根を寄せて呟いたようだった。
何が「なんてことだ」なのかと言いたくなるほど険しい顔つきだった。
だからこそ何も言わずに行動の真ん中で保護用の布を取り払われた学術品に視線を投げる。
それは滑らかな曲線美の彫像だった。たおやかな腕は誰かのために伸ばされて、そして途中で途切れてしまっている。
匠の手によって生み出されてから此処に至るまでの間、途方もない年月の間に失われてしまったらしい。
伸びゆく腕の角度はしかし失われた箇所からでも十分に推測出来る。
予め目を通しておいた資料にもそう書かれていた。
ただ優しげに微笑む女性の表情から誰のためにその手は伸ばされ、どのように”何か”に触れようとしたのかが見ることが叶わないのは勿体ない気がした。
―――”エウプロシュネー”、事前に寄越された”春の微笑”に関する全ての資料を。
接続されたデータベースが命令に従い、全ての資料を寄越す。元々データベースに頼らなくても記憶力は良い方だ。寸分違わず脳内で覚えている。
全ては確認のためだ。
先程、絶妙のタイミングで呟きを零した青年は首から入所許可証を提げている。
ただ未だに険しい顔で、講堂の真ん中で微笑みを浮かべ続ける彫像を見据えていた。
―――日本国の、官僚? 何でまた。
気になり検索を掛けたところで折り目正しく上部データベースから情報が与えられる。
脳に特別な施術を施し、データベースと直接接続する利点は此処にある。何も動くことなく頭で命令するだけで全てレスポンスが返ってくる。
データベースに記録することよりもニアにとっては此方の方がメリットを占めていた。
―――【簡単さ、あれが気になるんだってよ】
不意に。
通信を示す信号と同時に声が脳内で再生される。同部署内によるアクセスにニアは誰にも知られることなく口角を上げた。
―――でしょうね。でなければ、此処までわざわざ厳しいチェックをして入りますか? しかも
―――【気になる一言だよなぁ】
矢張り。
相手も中々耳敏い。あの小さな呟きを同じように漏らさず聞き取っていたらしい。
―――Mr.伊達、彼に心当たりは?
―――【ないな。同じ出身でも、俺は月での研究機関暮らしが長かったんだ】
―――そうですか。エウプロシュネーからのアクセスではこれ以上の情報は貰えませんし、仕方有りません。
―――【ニア?】
―――アポロンか、ガイア接続者に聞いてみますよ。彼が何故此処にいるのか…をね。
「それはまずい」と通信相手の政宗が言った気がしたが、ニアは構わず通信を一方的に切った。
それと同時にデータベースの接続を切る。独特の頭痛がした。最初はこれに慣れずに苦労したものだが、人間の順応とは恐ろしい。一瞬で静寂を取り戻したかのような思考にニアは小さく息を吐き出す。
講堂の真ん中で、失われた手などさして気にする様子もなく微笑み佇む彫像の名は”春の微笑”と言う。
一度脳裏に焼き付けるように上から下まで眺めたニアは、集まった学芸員や関係者たちの合間を擦り抜けて講堂を後にした。
どうして無くなってしまったんだ。
失われてしまったんだ。
あれは、あれは、あの時にはちゃんと微笑みを浮かべて見るものに優しく手を差し伸べていたはずだ。
首から提げていた許可証を煩わしげに取り払いながら月は閑散とした廊下を歩く。
音の反響さえ計算され尽くされたかのように規則正しい足音が反響され、脳内を埋め尽くす。
煩わしいと首を振ったところに、小さく何かが映り込んだ。
廊下の端。
完全にコンピューターによって制御されている人工惑星内の青空を眺める人影は細身で、そして何にも染まらぬような白を纏っている。
ふと思い出す落ち着き払った親友の言葉。
”博物館惑星アフロディーテには、私のいとこが居るんです。目立つので分かりますよ”
お前の容姿も大概、悪目立ち過ぎるとその時返したように思うが人影の目立ち方は少しそれとは異なっていた。
排他的と言えばいいのか。違う、全ての色を排他したような容姿の中で瞳だけが色を湛えているのだ。親友と似通った深い色。
”へぇ? お前にいとこ? 年上か?”
”いいえ、下ですよ。小さい頃に両親が亡くなって引き取っていたので、兄弟に近いかも知れませんね”
”で目立つ容姿って?”
”月くん好みかも知れないですね。真っ白なんですよ”
雪のように白くて、紛れてしまいそうだから雪の日に外を出歩く時には鮮やかなマフラーをさせたと親友が笑いながら話した。こんな穏やかな表情はあまり見たことがなかったので良く覚えている。
漆黒の髪を無造作に伸ばした親友とは違う、柔らかそうな白い髪。
「……此処から先は職員以外立ち入り禁止ですよ」
ふと、それが月に声を掛けて寄越した。
視線は未だ空に注がれてるが為に一瞬、自分へ向けられた言葉だと判断がつかない。
歩みを止めた月をちらりと見遣った相手は、矢張り白さが酷く目立つ容姿をしていた。肌も髪も、何故か合わせるように服装も白を基調としている相手が口を開く。
「夜神月さん」
「何故、僕の名前を?」
「さきほど講堂で見掛けました。”あれ”を見るためにわざわざアフロディーテまで上がってきたんですか?」
世界中の芸術、工芸、動植物…それらを集めた博物館として存在する人工惑星までは、どうしても移動時間が掛かる。
挙げ句まだ展示物として見せる物ではない、研究対象としての芸術品を見るために許可まで取ったとなると更に時間は掛かった。
全て含まれた物言いに月は笑うしかない。
「君は此処の学芸員?」
「ええ」
素直に頷き、やっと空から視線を外した瞳は真白な容姿に反した深い色。深淵を覗いた時に似た、色。
「従兄からお名前は聞いてます」
「それじゃやっぱり…」
「ニアと言います」
軽く会釈した学芸員は月に名乗ると僅かに口角を上げた。
月も知らず知らずのうちに笑みを浮かべる。確かに真白な容姿は浮世離れた感じがして自分好みだ。
挙げ句親友に劣らず頭の回転が良い印象を漂わせたニアは、そのアンバランスささえ見事に調和していた。
ついと深色の瞳が逸らされ、ニアが首を傾ける。そして白い指先が癖毛をくるくると弄り始めた。その仕草はどうにも自然すぎる、癖のようなものだろう。
「君は、何処の?」
「所属ですか? なら”あれ”を引き取る部署の人間です」
先刻見学を許された彫像を引き取るというならば、工芸、建築を司る部門に所属しているらしい。
ニアは視線を合わせることなく月に問う。
「さきほどの一言が気になりました。以前”あれ”を見たことが?」
「……君が”あれ”を研究するのか?」
「共同研究対象です。携わる可能性はあります」
妙にはっきりとした言葉で言い切ったニアがやっと視線を月に向けた。
じっと見詰めてくる視線は親友に、ニアの従兄に似ている。
「なら、ただ夢見がちの馬鹿の一人言とでも留めておいてくれ」
月は深い息を吐き出し言い捨て、歩みを再開しようとした。その腕が決して弱くない力で引っ張られ振り向く。
袖をニアが咄嗟に掴んでいた。
「何?」
「聞きたいことがあります。研究者としてではなく、あくまで芸術が好きな馬鹿の一人として」
好奇心は時に人に思いも寄らない行動力を与える。ニアの瞳がそれを物語っていた。
通された部屋はニアの研究室らしい。
個室を与えられているのか、と月は想像していたより殺風景な部屋をぐるりと見渡し、本棚に置かれている資料に近い本の表紙を物色し始めた。
横目でそれを無言で見詰めながらコーヒーを二人分淹れたニアは、今一度データベースに接続を開始する。
紙の資料でも電子資料でもニアにとってはあまり大差ない。
メールの着信記録がある。相手は従兄だった。
『私の親友が今頃、アフロディーテに滞在している頃です。目立つと思うので会えば分かります。妙に女性受けしそうな容姿に酷く頭の切れる人です。どうにも気になるものがあるらしい。もし見掛けて貴方が協力出来るなら、助力しては貰えませんか?』
ニアは小さく笑みを零す。
まさに、言われなくとも気になったし目に留まった。言われた通り協力出来る部分で協力することにもなりそうだ。
『ええ、Lの親友には会いました。貴方に言われなくとも興味が湧けば協力します。それではお元気で』
わざと現状は教えない。どうせ後ででも伝わることだ。
同時に通信を伝えるシグナルがなって溜息を吐く。用がなければ接続を切る行為は、接続学芸員となったニアの他の学芸員と違った癖の一つである。
変わり者が多い学芸員の中で、データベースに常に接続している人間は多いが極力接続したがらない人間は少ない。
身体的に負担が掛かる場合にはやむを得ず接続時間を制限してる者も存在しているが、ニアは違った。
純粋に接続時間を「煩わしい」という理由だけで短くしている。
―――【やっと繋がった。ちゃんと接続しておけよ】
聞き慣れた声にニアが眉根を寄せる。先程も通信を入れてきた同僚の政宗だ。
―――すみません。苦手なんです。
―――【それは分かってる。こっそり聞いておいたぜ?】
何だかんだと通信相手の政宗は面倒見が良い。全てにおいて割と無頓着なニアを端々で気に掛けてくれている。
―――ありがとうございます。
―――【どうってことはねぇ。…あ、それと】
―――はい?
送りつけられたファイルを開こうとしてニアは政宗の言葉に耳を傾けた。くつくつと笑い声が聞こえる。
―――【あれの研究、お前もメンバーに入るぞ】
―――そうですか。
―――【嬉しく無さそうだな?】
―――いえ…。そういうわけでは。
会話通信と同時に政宗が何か資料を送りつけてきたのを告げる電子音が鳴る。
先程政宗の言った「聞いておいた」という通信ログらしい。案外マメな行動にニアが小さく感嘆を零した。
―――【主任は明日のミーティングで決めるらしい。遅れるなよ】
最後に釘を刺すような言葉を残して通信が消える。
「Mr.夜神。先程、問われた質問ですが」
二人分のマグカップを持ち、ニアは未だに本棚に並ぶ表紙を興味深そうに眺める月に声をかけた。
すぐ反応し差し出されたマグカップを受け取りながら月が首を傾げる。
「私も”あれ”を研究することになるようです」
その言葉に月は目を丸くした。微かに驚いた表情を浮かべた月は存外幼い印象を与える。
自分の利き手に持ったままのマグカップに口をつけてニアはコーヒーを嚥下する。苦い液体が食道を通り直接落ちてくる感覚に、そういえば今日は昼を抜いたなとどうでもいいことを考えた。
ニアから受け取ったカップを両手で包み込むように持ったままの月が少しだけ眉根を寄せた。
「なら、言わない方が良いか」
微かな呟きにニアが今度は首を傾げる。
「何故です?」
「僕の言った世迷い言で、研究に支障が出る怖れは?」
「多分無いでしょうね。ロマンチストは多いですが、結局研究者ですよ? ここの人間達も」
幾ら世界中から集まる美術工芸品を扱おうと、学芸員の殆どはその対象を研究する側面を必ず持つ。
彼ならばこれだけを言えば多少は理解するに違いない。従兄の親友であると言うならば。
「なるほどね」
案の定、その言葉に月は笑った。そして受け取ったコーヒーに口をつける。半分くらい飲み下して彼は漸くほうと息を吐いた。
「アフロディーテに送られた資料がどうなってるのか僕は分からない。僕は芸術方面に関わる仕事はしていないからね」
「ええ。日本の…公的機関の方ですよね。研究ではなく」
「ああ、行政の方のね」
「引き上げられたのは日本の太平洋沖です。十数年海に沈んでいて殆ど損傷がないのは素晴らしい」
アフロディーテに引き取られた”あれ”。―”春の微笑”と呼ばれる彫像は数ヶ月前に太平洋側日本領海にぎりぎり触れるか触れないかの位置から引き上げられた。
沈没した貨物船の残骸の中、コンテナの一つに入っていたものだ。
世界大戦の折、ポーランドの美術館から紛失した彫像。名前を”春の微笑”といい、彫像家の名前は当時無名であった。そんな彫像家の名が有名になったのは戦争終結からまた数十年後である。
彼の彫像は現存するものも名前のみ資料であげられるものも含めて両手で数え上げられるほどしかない。
精巧な作りと見るものを魅了する柔らかな作風が芸術的に素晴らしいと評価されている。
その、彫像家の処女作なのだ。
「腕以外は」
月が言う。
確か送られてきた彫像は深海から引き上げられたのと同時に丁寧克つ精巧な洗浄処理がかけられている。
両腕の無かった講堂に鎮座する彫像を思い起こしてニアはもう一口とコーヒーを啜る。
参照で脳裏に呼び出された資料にも腕の破損断面から見て、海に沈んだ際に出来た可能性が高いと簡易的な検査結果が書き出されていた。しかし腕がどのような形であったのか…。
抑も”春の微笑”はポーランドの美術館にあった時も展示物としておかれてはいない。
当時の資料は紙媒体であったため喪われてしまった資料も多い。”春の微笑み”に関する記述のある資料は今のところ存在していなかった。
「確かに両腕はありません。貴方は見たと?」
「信じるか?」
「話を聞いてみないことには何とも」
美術館から紛失した後、闇に紛れ密かに売られ渡っていたのだろう。挙げ句の果て、海に沈んでしまったのは幸運なのか否か。
僅かに頭を振った月が視線を浮かせた。
「子供の頃だ。たぶん十歳にもなってない」
静かに思い起こすように、記憶の断片を引き出すと言うよりは記憶を再生するかのように月が話し出す。
(―”エウプロシュネー”、会話の記憶を)
脳内で出来るだけ記憶は出来る。けれど確実な方が良い、とニアはすぐさまデータベースに指示を出した。『REC』のサインが点灯し、これからニアが止めるまでの会話ログが音声データで残る。
「僕は”あれ”を船の中で見ている」
そう語り始めた月の声は本の一篇を読み上げるように淡々として、耳に残るには酷く触りが良かった。
音声データを聞き終えた政宗が「ふぅん」と品定めするように声を漏らす。
「まぁ、つまり。あのお綺麗な顔の官僚さんは、”これ”の乗っていた船の沈む直前に寄った港で、遊びで忍び込んで腕のあったこいつを見ていた、と」
こつん、と石膏軽く叩いて首を傾げた。
一晩経った後、午前中の工芸部門アテネでのミーティングで既に”春の微笑”の研究者は決定している。
「そうなりますか。彼の記憶力は素晴らしいです。”エウプロシュネー”に物体演算のホログラム機能が付いてないのが惜しいくらいです」
「要らないだろ? これだけ精巧にお前が図を作って寄越せば」
「一晩かけました」
主任は政宗で、担当する学芸員はニアの他に三人ほど。しかし全員が全員乗り気なわけではない。他に研究対象を抱えている人間もいるのだから仕方のないことだった。
ニアでさえゼンマイ仕掛けの美術品を他に抱えている。
「一晩? 良い出来だ」
口笛を吹いて称賛を示す政宗にニアが首を傾げる。
厳密に言えば一人でやった訳ではないのだ。話し終えた後、さらさらと机の上にあった不必要だった紙の裏を使い、図を書き始めたのは月だ。それは説明するための落書きでなければならないのに、彼は非常に器用だった。
気付いたら図面を書く製図用の紙を引っ張り出して来て、月の説明と大まかな図に専門知識を書き加えていく形でニアが仕上げていった。没頭しすぎて気付いたら窓の外は朝日が差し込む時間に及んでいた。
思わず笑ってしまったのは言うまでもない。
自分の従兄が天才ならば、彼もまた天才なのだとニアは思う。
学者としてさえ通じるのに彼の才能はそこには留まらないのだろう。
「あとは、捜索依頼を掛けた海域で腕の残骸でも出てくれたら良いんだがな」
「海域を割り込めたんですか?」
「上部のデータベースには素晴らしい演算機能がついてるだろ? 使わない手はないぜ」
にやりと不敵な笑みを浮かべた政宗の言葉に思い当たって溜息をつく。
たぶん間違いなく今は部門を変え研究に没頭している、だが接続先は一つ上のデータベースにつないでる彼の親友に頼んだのだ。
「全く……」
「とりあえず、あれだな。出てくるとは限らないと言うよりは、出てこない可能性が高いわけだし……。それ試しに作ってみることにするか」
「簡単に言いますね」
「体を動かすのが好きなヤツだっているしな。……それでぴったり枠にはまって、何かが読み取れるのであれば」
「”差しのばす手は、隔てなく誰にでも優しさを与えるようだった”」
「Why?」
「さっきの音声記録には残してませんが、彼が最後にそう言ってたんですよ。だから忘れられないって」
政宗がじっと部屋に運び込まれたまま物言わず微笑を浮かべる彫像に視線をくれる。
倣ってニアもまた視線を移した。
途中で途切れてしまった腕の、その元の形に等しい情報は与えられてはいても、そしてその通りに復元したとしても、たぶん元の様相にはならないだろう。
最初からあればこそ、後で容易につけられるものではないのだ。
そんな芸術品など幾らでも存在する。
一人の彫像家が何を思い生み出したのか。読み取るにしても、
「仕方ねぇ。作るのはとりあえず保留にして、砂漠から砂金を探すみたいな可能性にかけてみるか」
失われた腕はすでに海中のバクテリアや長年海水に晒されて形も残っていない可能性が高い。
だが容易ではないからこそ、ここの学芸員たちは日々頭を抱えつつも充実した毎日を送るのではないか。
「そうですね。そうしましょう。それまでは」
余り笑うことをしないニアが微か笑んで、机の上に広げた図面を器用にくるくると丸めていく。
全てがニアの手のひらに収まったところで小さく息を吐いたのはどちらだったか。
「色々調整が必要になりそうだ。アポロンにも手伝って貰わなきゃな」
「そこはお任せします」
「あのな、お前」
「主任は貴方ですから。頼りにしています」
そう言われて言葉を飲み込んだ政宗にニアはもう一度笑いかけた。
暗い自室に辿り着くなりベッドに倒れ込んだニアは、ふと思い出したかのようにデータベースに接続を繋ぐ。
そして今は違う場所にいてやはり研究に明け暮れているだろう従兄にメールを認め始めた。
『お久しぶりです、エル。
先日お会いした貴方の友人ですが…』
それは用件のみをいつも伝えあう相手であるエルが少し驚く、長いメールであった。
>> ジャンルはデスノだけどごちゃごちゃなので本当は分類不可かな(苦笑)
そんな博/物館惑/星パロネタ。
途中で見失ったが、政宗さんは面倒見が良いと勝手に思っている。
ねぇ、アロマちゃん。
そう言うのに何度躊躇った後に口にしただろう。
モニターから全然目を離さなかった姉が少しだけ視線を投げてきた。
研究に没頭しながらも、そう言う仕草の時はその続きを投げて良いと言うことになる。
「………」
しかし言葉は結局どうしようかと言い出せず、吐き出されたため息はアロマのものだ。
「あのね、何?」
話しかけたならいいなさいよ、と付け足して彼女は今度こそモニターから視線を外した。
くるりと椅子を回して性別以外は瓜二つと言っていい弟に向き合う。
「……、あの」
「うん?」
「アロマちゃんはさ、あの人のことどう思ってるわけ」
「誰のこと?」
そこで無意識に首を傾げたアロマにフェイズがため息をつく。
どうしてそこで分からないのだろう。
「だから、エイルマットのこと!」
「ああ…。別に? 何とも。というかどうしてそんなこと聞くの、フェイズ」
「だってアロマちゃんさ…」
言いかけてフェイズは口を噤んだ。
何を言えばいいと言うのだ。鈍い姉に何とも言えない感情を覚えて、「やっぱいい」と言い直した。
それにも首を傾げて「変なフェイズ」と言い置いて、アロマはモニターにまた向かい合ってしまう。
その背中を見つめて、「やっぱり」と呟いたフェイズの言葉は聞こえていないようだった。
「で? フェイズはイルたんが嫌いなのよ?」
話す相手を間違えた、と頭が痛くなっているフェイズを余所に、キャンバスにただ絵の具を塗ったくってるようにしか見えない天才は振り返る。
二つに結った髪が揺れて、感情を余り移さない少女が少しだけ笑った。
「別に、嫌いなんて言ってないでしょう?」
「言ってるのと一緒なのよ。あ、違うのよ。気に入らないだけなのよ」
この子は容姿は幼いくせに、酷く時折鋭い。
椅子に座りながらフェイズはキャンバスに絵を描き続ける少女を見つめた。
「気に入らないなんて」
「じゃあ、何なのよ。言ってみたらいいのよ」
そう問われて言葉に詰まる。その後ろを会話はどこからともなく聞いていたのだろう、二人の顔見知りである若い金髪の青年が笑って通っていく。
「違うよ、リムル。フェイズはさ、ただ悔しいだけなんだって」
「エッジさん?!」
驚いて振り返ったフェイズを余所に、どこ吹く風の笑顔がそこにあった。
「大事なお姉さんを取られた気分でね」
「ああ、そうなのよ? フェイズってば案外可愛いところあるのよ」
>> 博物/館惑星/パロ、SO4部分。
メールでもえぶそくを訴え続けた冬さんの戦利品。
私としては急拵えの何か(苦笑)
「例えば、」
”祈りを捨てた手。”
”野良猫の瞳。”
”小さな背中。”
”独りがいいとうそぶく唇。”
”茨に囲われた心。”
つらつらと単語が並べ立てられていく様は、見ていて心地良かった。
小柄な少女が紡ぐ声は低めで触りが良い。
「そんなものなのかもしれないと、誰かが言ったよ」
「ふぅん」
「……個人的に言えば、僕は一番は有りだなぁと思ったって話」
「”祈りを捨てた手”?」
「捨てたってことは信じていたのを断ち切ったということだもの。どれだけの覚悟を?」
音声通信ではなく直接空気を介す会話で少女が笑った。
そんな手で何をするのだろう、と頭の中に付け加えて声が重なる。
「論議にもなりはしないな。それは」
少女の言う言葉は感傷に近い。論理的ではないのだ。だからこそ博物館惑星アフロディーテ上部データベース”ガイア”接続者として、彼女は適任なのかもしれないが。
「論議じゃないよ。冬さん」
窓辺に腰掛けた少女が笑う。
そんなことをしたって分が悪いのなど百も承知だと言外に告げられ、目を細めた。では何故?
「僕は、冬さんにそれを見た」
「……何?」
祈りを捨てた手を、まるで抽象的な何かを見た気がした。野良猫の瞳とは違って真っ直ぐ前を向いていた。媚びることも怯えることも無くただ真っ直ぐ何の感情も移さずに。小さいのは寧ろ自分の方だから背中は比べようが無いけれど、後姿が儚くて消えてしまいそうだなと思うときはある。「一人でいいんだ、僕は」という言葉は出会った頃に聞いた言葉。
茨に捕われた心は見えない。時折ふと垣間見えるくらいの波が触れる位で。
何よりピアノが下手だと言う男にしては白い指先は、疾うに祈る行為を止めてしまってる様に見えた。
頑なに頑なに振り払うような、そんな。少女は祈りを捨てた手を持つその存在を愛す。
「ガイア、これは覚えても分からないからいいよ」
彼女に繋がったデータベースが素直に記録しようとするのを少女は一言で押し留めた。
複雑すぎてやっと確立させられたデータベースには負荷が掛かりすぎる。その一存だった。
「愛してあげたいと思うものは? だったよね」
「そうだね」
「一つ、引用の利きそうな単語がデータベースにあったから引っ張っただけだけど、強ち僕は馬鹿に出来ないと思うよ」
「そう」
「イヴェールは?」
愛称ではなく本名で呼んだ少女が問う。
一拍考え込んだ青年が困ったように首を傾げた。
「君の引用してきたものを用いるなら”小さな背中”だろうね。時折何処か行ってしまいそうだなって思うよ」
「……へぇ?」
「そんな時、触れられたらと思う」
「僕も」
祈りを捨てた手で何かを為そうとする男の姿を見るたびに、その苦しみを見るたびに、理解が出来なくても構わない。ただ触れて温かさを伝えたいと思う。エゴ故に。
(……ガイア、覚えちゃ駄目だよ。愛がエゴだなんて、捻くれた考えはさ)
どうせ少しずつ記憶され学習していくのだと知っていても、人である自分達はそのエゴさえ愛であると錯覚しておきたいのだから。
―さて、君の愛してあげたいと思うものは何…?
>>引用の利きそうな単語と文中にある単語は、「虚式実験室」の「愛してあげたい5題」から。
とりあえず足あと踏んだ55555踏んだ(誰にも報告してないけど)むつきさんへ捧げます。
眠さの中で書いたので文章になっているか、不安だけど。
博物館惑星パロ、冬さんと景ちゃんでお送りしました…(苦笑)
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サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。
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