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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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その日、急な呼び出し音に首を傾げた隆景は呼び出し相手が珍しい人間だったので素っ頓狂な声を上げた。

―――フィッシュ竹中さんだ。
―――《その勇気だけは評価に値するね。隆景くん》
―――ごめんなさい。えぇと僕に何の用?
―――《………こんなことを聞くのは誠に不服なんだけれど》
―――……うん?
―――《君、元就を知らないかい?》

その言葉にさらに隆景は首を傾げるしかない。
元就はミューズの職員であって、部署で言うなら管理部にいる隆景よりもミューズ所属である竹中の方が捕まえやすいはずである。
挙げ句、研究者としては割と律儀な方で事前に話しさえ通しておけば門前払いもボイコットも余りしたことがないので有名なのが毛利元就という学芸員だ。
それは調停者であるるアポロンの職員に対してもそうだし、同部署のミューズでも異部署のアテナ、デメテルであっても滅多に有ることではない。となれば―。

―――急な用だったの?
―――《違うよ。君が思ってるとおり珍しい事態なんだよ》
―――珍しい事態だから、僕にも珍しい人から通信が入るわけだね。
―――《まぁ、そういうこと。それで―?》
―――申し訳ないけど僕は知らないよ。他を当たって。何なら申請して貰えば権限を使って捜せるけど。

回線越しに盛大な溜息が聞こえた気がした。
どうやら自分に回ってくるまでにもう数人に連絡をしているらしい。

―――《そうだね。もう少しして見つからないようであればお願いするかもしれない。ありがとう》
―――いえいえ。此方こそお役に立てずごめんなさい。

気にすることはないから、と言って切られた通信。くるりと回ったもう一つの着信のサインに「はぁ…」と溜息を吐く。すぐに出なければなるまい。

―――もしもし?
―――《今、重治から連絡が入ったな?》
―――はい。読み通り。
―――《我はこれから接続を全て切る。………粘ってアポロンに捜索願が入ってお前に振られても突っぱねろ》
―――……………無茶言うね。
―――《頼む》

短くそう言われて隆景はもう一度溜息を吐く。この人のお願いには弱い。とことん弱い。
母親が早くに亡くなり祖母が扶養をしてくれたが、祖母はその道では知らぬものはいないと言われるくらいに医者として良い腕であったし、そんな状態だったから家に帰ってくることも幼い時分は少なかった。
そんな時なんやかんやと世話をしてくれたのが今の通信相手、―先程捜索されていた毛利元就という隆景とは親戚にあたる女性である。
毛利宗家は日本の中で芸保持者として多くの能の舞手を排出する名家ではあるが、元就自身は女性であるし上に兄もいたので宗家では肩身の狭い思いばかりをしていたらしい。いずれは同じような名家に嫁ぎ家の名を残す、今となっては古くさいしきたりを幼い頃から押しつけられ、それに対し抵抗はなかったのだと昔寂しげに笑っていたのを思い出す。
いつかは、と思いながら世界を知った彼女が選んだ道は何とも家族全員が反対をするほどのものであったのだが。
そんな中で祖母が「いいじゃないか。家は興元が守るのだし、今更名の残らない家ではあるまい」と彼女を庇ったのだ。
結果として家族全員を納得させた元就は現在アフロディーテの職員としてミューズに在籍しているのだが、今でも毛利方では彼女を家に連れ戻したいと思っている人間がいるらしい。
実兄である興元が「元就には元就の決めた道を、好きな人と一緒になって欲しい。当主である私の決めたことに対して意見がある者が有ればどうぞ遠慮無く言うが良い」と、その普段は穏やかな性分で知られる当主が凛然と言い放った言葉で静かになったとか。
続柄的には又従兄弟である隆景は、取り敢えず自分がそんな本家筋の人間ではなくて良かったと常々思うところである。何をするにしても自由にならないなんて。
それが嫌で家を抜け出すように医者になった祖母の気持ちが分からないでもない。

―――ねぇ。一つ、聞いても?
―――《なんだ? 簡潔に》
―――何から逃げてるの?
―――《音、か…。……済まないが時間切れだ。宜しく頼む》

最後は半分強引に通信が切られた。通信を繋げようとIDをコールしても未接続と出るのみでこれ以上のコンタクトは無意味と物語る。さて。

「………何から逃げてるの、お母さん」

”お母さん”。
幼い隆景は自身の母親が亡くなって暫くした後、頻繁に様子を見に来てくれるようになった元就をそう呼んだ。
まだ若い未婚の女性ならば気にするであろう呼び名であったのに彼女は一つも嫌な顔をせず答えてくれたものだ。窘めるときに「しかしお前の母親はちゃんとそこにいるであろう?」とすっと細い指で遺影を指す仕草は穏やかだった。
客観的に性格を比べたら母親と似ているところは余りないように思う。容姿は流石血縁者だからか多少は似通っていたが、それでも間違う程ではない。
ただ寂しくて家で蹲っていた自分にそっと差し伸べられた手の温かさが、母親が名を呼び抱き上げてくれた温もりによく似ていた。


「…………げ」

思い出に浸っていた隆景の脳裏に警鐘にも似た赤いサインが送られる。それは本当の音として表現されるものではないのに鮮明に隆景の感覚を揺さぶった。取り込み中のスタンバイ状態であるから通信はすぐに繋がらない。
通信元はアポロン。職員は―。

「無視…した方が良いのかなぁ」

途方に暮れた隆景の呟きに答えは返らない。ただ先程の通信で頼むと言ってきた元就の、間接的であれ味方の立場に回るしかないだろうと客観的に思った。

 

 

 

「……っかしいな」

いつまでも通信に出ようとしない相手にぼやく。重大なことがあるのに職員が一人出てきませんので捜索して下さいとミューズから依頼があったのはつい1時間ほど前だ。
いつもは問題を余り起こさない人物である。だからこそ意外と言えば意外なのだがかくれんぼは上手いらしい。
ミューズより上位権限のアポロンの職員が探し始めて今まで監視カメラにも移らず逃走しているようだ。

「隆景ちゃんに繋がらない?」
「ああ…はい。駄目っぽいです」
「仕方ない。とりあえず俺たちだけで捜すしかない」
「分かりました。慶次さん」

自分と同期で入った<ガイア>の少女であれば自分よりももっと上位権限で隅々まで見れるのでは…と思ったが、仕方ない。
もう一度と何度目になるか分からないセキュリティセンターの監視カメラのログにアクセスをする。
アフロディーテ内の様々な場所が映し出されるのに、捜し人は見つからない。

「……”ハルモニア”を捜せ…って容易じゃないぞ。これ」

ぽつんと呟きにも似たぼやきにまぁまぁと慰めるような慶次の声が掛けられた。

 

 

 

アポロンに緊急で依頼された内容は”ハルモニアを捜せ”ではなく、正確には”カドモスとハルモニアを捜してくれ”である。
漏れなく入る緊急のメッセージに同時に立ち上がったのは隆元と元春だ。お互い顔を見合わせると同じ部屋でお茶を飲み寛いでいる人物に視線を向ける。
来客用のソファに座って悠々と緑茶を啜っていた女性が口元に薄い笑みを浮かべる。

「その様子では、あやつらそろそろ手段を選ばなくなってきたな」
「……あの、それどころか私達にも捜索命令と、この部屋のカメラが機能してないので映像を早く回せと言われましたよ」
「仕方ない。そろそろ此処にも居られぬか」
「てか…なんでそんなに必死で逃げてんの?」

ソファから音も無く立ち上がって傍らに置いたショルダーバッグを肩に掛けた元就がふと思案するように顎に手を掛けた。
肩の手前で切り揃えられた癖の無い髪が揺れる。

「したくも無いことをさせられそうなので…な」
「はぁ…」
「邪魔をした。我が出て行ってから5分後にカメラと通信を入れよ。…であれば問題ない」

さらりと別れの挨拶をして堂々と部屋を立ち去る元就を見送って、隆元と元春は溜息を吐いた。
脳内では緊急を示す信号だけが流れている。極秘の緊急回線となれば一大事でもあるのだが…しかし一体どうして。

「今日は何かあったんだっけ…」
「ミューズで詩詠い達がなにかやるとか…そんな話は聞いてたけど」
「………関係ない、よね? 専門違うし」
「だと思うけどな」

肩を竦めた二人が通信を入れたのはきっかり5分後。
隆景同様この二人も元就には弱かったらしい。

 

 

 

今日は災難だなぁと明らかに見て取れる苛々した雰囲気を醸し出す人物に隆景はこっそり溜息を零す。
随分と粘って通信拒否をしてきたのだが、通信が出来なければ生身と割とあっさりと確保されてしまった。
脱色したかのような白に近い癖毛の髪を指先で弄びながら、不機嫌オーラ全開の竹中半兵衛重治はここぞとばかりに畏まって座っている隆景に畳み掛けるように言葉を浴びせた。
言葉遣いは丁寧だがかなり怒っているようである。

「………そんな事言っても」
「嫌でも捜して貰うよ」
「だからさ」
「もう限界なんだから」

一通り捲くし立てたからか多少肩で息をしている半兵衛を他所に隆景は首を傾げる。
たった一人。詩詠い達の会合に何故関係の無いはずの人間を、しかも躍起になって捜さなくてはならないのか。
未だ腑に落ちないと心中零せば、接続されたガイアが何かのデータを弾き出した。

「………何、これ。”Harmonia”?」
「君、僕が言ったことちゃんと聞いてなかったね?」

思わず呟いた言葉に冷たい半兵衛の言葉が返る。どうやらこのデータに関係することを先程話されたらしいが、如何せんとりあえず流しておこうと話は殆ど受け流してしまっていた。
改めて説明が欲しいかと聞かれふるりと小さく首を振った。
説明は必要が無い。接続されたデータベースが既に関する情報を検索し結果を表示している。

「つまりは何。……<アグライア>って相当負荷掛かってるってことじゃないの」
「そうだよ。データベース以外にアンプとしての役割も果たすなんて尋常じゃない」
「詩詠い達が回線を通して共有する擬似サーバーが<アグライア>内に存在してて、それは負荷が掛かれば少しずつ狂ってく。……でも毎年やってるんでしょ? 調整」
「してるよ」
「それじゃ今までの方法で良いじゃない」
「駄目なんだよ。今年は……負荷が掛かりすぎてる。君の詩詠いのせいでね」

詩詠いと呼ばれる学芸員は少し特殊だ。
歌、声を脳内で直接繋がったデータベースを介す事により、回線をアンプ代わりにして特定の美術品に干渉を引き起こす力を持つ。
ただ普通に機能しているデータベースを限られた詩詠い達が違う用途で使おうとすればデータベースの処理速度は比較するまでも無く低下した。
それで考えたのが、同じデータベース上に擬似サーバーを置くこと。専用回線を設けることであった。
歌の為だけに使われるサーバーは、どういう仕組みか矢張り音によって調整するらしい。
そしてその音が”Harmonia”。
調和と秩序の意味合いを示すその名の音。

「冬さん悪くないもん」
「悪いなんていってない。けど紡ぐ頻度が増せばね、負荷も多く掛かるって話だよ」

やれやれと肩を竦める半兵衛を横目にそれと今探す人物の関係性をガイアに求める。
しかしガイアの検索結果は0。データベースに乗らない情報だというのだろうか。

「ね、ちょっと良い?」
「何だい? そろそろ質問タイムを終えて捜してもらいたい所なんだけど」
「それなんだけど。何で元就さんを捜すの?」

目を丸くした半兵衛が、ゆっくりと口を開く。

「君、頭の回転は良いと思ってたんだけど。…普通気付かないかい? 元就がその”Harmonia”なんだよ」

―ガイア。最大限の権限を使って<アグライア>における”Harmonia”に関する情報を検索して。

投げられた言葉と同時に隆景はデータベースに指示を出した。
数秒後に検索結果が表示されていく。<アグライア>内における詩詠い専用サーバーの開設時に立ち会った学芸員の一人から得た音をサンプリングしたものをHarmoniaというのだと情報は伝える。
ならばその学芸員は?

「………ああ」
「納得してくれたかい?」

脳内ではガイアが検索した”Harmonia”が流れている。それは昔、寝付けずに布団の中で聞いた声に良く似ていた。
子守唄。そう、子守唄だ。

「でも詩詠いじゃないのに」
「僕も立ち会っていたから、あれだけど…当時から居た詩詠いの音では駄目でね。受け付けずに途方に暮れていたところで元親が持ってきた音源を使ったのさ」
「それが、これ?」
「そう、それ」

ともすれば夜のしじまにさえ溶け入ってしまいそうな音。
母親と同じ子守唄を歌ってくれた声と全く同じ―。

「……サンプリングした音で今まで調整してたんでしょ? 駄目なの?」
「だから負荷が今までの比じゃないんだ。サンプリングでは限界がある。だからこそ直接歌って貰うつもりだったんだけど」
「ボイコット…」
「何を考えてるんだか」

溜息は半兵衛のものだ。
サーバーの調子はどうやら本当に良くはないようだ。詩詠いの中にはその狂い始めたサーバーの状態の為か体調不良を訴える者まで出始めているらしい。しかし、頼むといわれたからには。

「あれ? そういや」
「うん?」
「元親さん、は?」

ふと過ぎった人物の名を出せば眉間に皺を寄せた半兵衛が「あの馬鹿」と珍しく悪態を吐く。
組んだ腕を組み直して

「あれも何でか行方不明なんだよ。本当に全くもう」

その言葉に笑ってしまう。
成る程。だからアポロンからガイアに送られた緊急回線のメッセージは”カドモスとハルモニアを捜してくれ”になったわけだ。
カドモスは調和の女神の夫となった英雄。
調和の女神には呪いの品が送られ子供達は不幸な死を次々と迎える。二人はこれ以上自分達の国に神の呪いが降りかかるのを恐れ放浪の旅に出たという。最後には人の姿ではなくなるが、二人はその後至福の島に送られたとされる。
此処は、ならば二人にとって至福の島となっているのだろうか。

「…あ」

その時。
丁度その時、声が聞こえた。
声とも言い難い微かな音が鼓膜を震わせる。回線を通じたその音は、確かに。そう、確かに。


「お母さんの子守唄だ」

呆然と呟いた隆景に、同じように視線を上げた半兵衛が苦笑する。
同じように隣接していた部屋に集まっていた詩詠い達もその音に聞き入る。その中に自分の想い人が居て、その人が視線を合わせて穏やかに笑ったので隆景も笑い返した。

 

 

 


風が強い。
この場所はアポロン管轄でアポロン職員以上の権限がなければ入れないブロックであるため、自然と捜索を免れた場所だ。
それに監視カメラの死角でもある。
滅多なことが無い限り見つからない絶好の隠れ場所に座っていた元就がゆるりと振り返った。
近く潮の香りがする。

「ったく。もう本当お前のかくれんぼの上手さには呆れるぜ」
「良く言う。共犯であろうに」
「まぁな」

笑って隣に腰掛けた元親が今まさに沈もうとする夕日に目を細めた。赤く、紅く世界は染まる。
それは調整された中でも美しい。

「……んで?」
「専用回線のパスは我も持っておるのでな。……とりあえずこれで問題ないだろう?」
「どうせ歌うんなら素直に歌ってやりゃ良かっただろ?」
「……見世物になるのは好きではない」

きっぱりと言い切った元就が視線を赤く染まった海へと向けた。
端から宵闇の藍が混ざっていく、刻一刻と色の対比の変わる景色を眺めながら波の音を聞く。

「……ハルモニアってぇのは大層な名前だよなぁ」
「母親の名前だろう」
「うん?」
「ミューズの母親の、…これは所謂子守唄なのだから」

隣で笑った元就の言葉の真意が取れず元親は条件反射で自身の回線を繋げてしまった。途端、回線を遮断していた間の通信履歴がリストになって押し寄せてきて思わず唸る。
その中に一つ。緊急と位置づけされて何名かのアポロン職員に渡っていたメッセージがあった。
”カドモスとハルモニアの捜索を依頼する”。

「…どうした?」
「いや。俺達、夫婦って思われてんのな。って思ってさ」

思わずにやけた元親が、素直に問いに答えれば一瞬目を丸くした元就がその後ついと視線を逸らした。
その顔が赤く染まったように見えたのはきっと夕日のせいだけではない。






>>BASARA寄り分類不可博物館惑星パロ。
   ハルモニアはアフロディーテの娘。一説ではミューズの母親。

   しかしハルモニアと聞くと 「ねぇ、きこえますか」の印象が強い(笑

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だから、と呟く声は虚ろ過ぎて不気味という言葉さえ通り越していた。ともすれば闇に紛れる漆黒の外套に不釣合いな銀髪。伸ばされた前髪の隙間から妙にぞくりと粟立つ様な、不穏な光を湛えた瞳だけが覗く。
聲が消えないんだとぽつぽつと呟く青年の焦点は合っておらず、腰に佩いた剣の柄に利き手はいつも掛かっている状態である。
同じような銀髪を緩く首の付け根で一纏めにしたもう一人の男がその様子に苦笑する。

「それでは君はどうしたいんだ?」
「……わから、ない」
「復讐は果たしたんだろう?」
「…復讐」
「……ふぅん。復讐であったかすらも定かではないというんだね」

言葉を充分に話さない青年にもう一人の青年はただ言葉を投げかける。
こくりと頷く青年に笑ってみせるもう一人は傍ら精巧な作りの双子の人形を慈しむように撫でた。

「ならば君はどうするんだろう?」
「俺は、どうしたらいいのだろう?」
「そんなの、僕は知らないけどね」

肩を竦めて見せて先を促そうとする男に青年は音もなく抜いた黒い刀身を向ける。
微かな明かりの中でもぎらりと光るそれに臆するでもなく「ふぅん」と詰まらなさそうにもう一人は声を漏らす。

「ここは狭間だ。迷ったのなら帰ると良い」
「何処へ?」
「そんなもの、知らないよ。けど」

ゆったりと向けられた刀身に指を這わせれば真紅の糸がつうっと落ちる。
視線で雫が落ちた先を追えば一寸の先も見えない純粋な闇。

「君は生きてるんだから、此処に来てはいけないんだよ」


諭すような声で青年を追い出したその唇で、大人しく引き返す青年の背中に自嘲するように言葉が投げかけられる。

――出来るなら僕もここを抜け出してしまいたいんだけどね。




>>ローランサンもえがおさまらない。
   あれ?(笑

古い、所々不鮮明な映像がスクリーンに映し出されている。色はなくモノクロの中で少女が一人踊っていた。
白で表現される洋服が本来どの色であったのかは知れない。モノクロ映像の中では白、灰色、黒でしか表現されず全てが本来ならば鮮明に色を持っていたのは事実だが伝える術はなく色は失われてしまった。
けれど。少女が部屋の中くるりと回って踊るその映像美は素晴らしく、しばし呼吸さえ忘れるように食い入っていた元就の頭の中に不躾な電子音が鳴り響く。眉間に深い皺を寄せて映像を止めた元就がすっと細い指を壁に埋め込まれたパネルに這わせた。

―――『おぉい、元就』
―――………。
―――『元就?』
―――元親。
―――『あ、良かった。ちゃんと反応があった。あのな…』
―――今すぐ首を吊って死んでしまえ。

凡そ人にぶつける言葉では無い言葉を吐き捨てて通信を切ろうとすれば、アクセス制御不可の赤い文字と相手側の上位権限にて通信がまだ続けられているという文字が浮き出た。
舌打ちを一つ零して元就はさらに眉間に皺を寄せる。
くるりくるりと通信のサインが回っているのさえ忌々しい。

―――『あちゃー…、もしかしてお前…今超機嫌悪いとか』
―――分かっているなら口を慎め。
―――『そうは言ってもなぁ。こっちも仕事だからよぉ』
―――………………それで?
―――『あれ。話聞いてくれるってのか?』

元就の言葉に明るい声を出した通信相手はすぐさまに資料を送りつけてくる。
ファイルを開いて確認するとそれはライブラリのリストのようだ。

―――元親? これは何だ。
―――『ムネーモシュネーに検索して貰ったヤツなんだがな。というかまず事の発端から話さねぇと駄目か』
―――いや、必要ない。
―――『いいのか?』
―――二日前にアポロンの人間が来て外部研究機関がどうのこうのと話していたものだろう?
―――『察しの良いことで』

指先でパネルを操作して映像を映し出していた装置を完全に止めると元就は小さく息を吐いた。
先程見ていた映像は昨日アフロディーテに搬入されてきたフィルムだ。
古過ぎて電子化出来ないデータは直接見て内容を確かめるしかない。段ボール箱に30という数を数人の学芸員で分けて判別をしていたところである。
なるべく早めに終わらせてしまいたかったが早速違う仕事を振られてしまった。

―――ライブラリの閲覧権限はアポロンの人間にも勿論降りていたと思うが。
―――『ああ。でも俺らじゃ分からんものもあるのよ。彼処の中には電子化されてないものもあるしな』
―――成る程。…であるならばライブラリの担当者がいたろう?
―――『それが休暇取ってんだよ。こっちは急ぎだってのにな。…それで頼みの綱が』
―――良い迷惑だな。
―――『そう言うなって。頼むよ。…何でも奢るぜ?』

通信越し両手を合わせて謝る元親の姿が容易に想像出来て元就は薄っすらと笑みをはいた。
もう一度パネルを操作すれば部屋全体の灯りが落ち、全ての機械が完全停止したのを確認して元就は部屋を後にする。

(―アグライア。映像室の使用許可時間延長の申請を)

直接繋がったデータベースに指示を出すと数秒もしない内に申請完了の旨が届いた。
地球の衛星軌道上に浮かぶ人口惑星アフロディーテ。
此処は全世界のあらゆる芸術や動植物を所蔵する最大規模の博物館である。
元就はその中で音楽・文芸を担当しているミューズに所属する学芸員だ。先程通信をしてきたのはミューズよりも上位にある総括部門アポロンの職員で、つい最近ミューズで保存している映像メディアに外部研究機関から資料照会があってその作業の助っ人を頼んできた。
面倒なことだと思いながらライブラリの入り口で手持ち無沙汰に突っ立っている男を見つけて歩み寄る。
首からはアポロンのIDをぶら下げ、半袖のTシャツに作業ズボンという出で立ちである。

「悪いな」

元就の姿を見つけるなり申し訳無さそうに言った男は先程通信をしていた元親だ。
統括部門所属の元親は元就よりも博物館内の権限が上でライブラリにも自由に出入りできたはずだが律儀に待っていたらしい。

「……それで、リストは確認したがそのうちどれ程要るのだ?」
「実際は3つ。出来れば早く欲しいって催促受けたらしい。いや…俺も参った」
「だろうな。今日は本当ならばアテナにいた筈だろう?」

ライブラリに入り込み灯りをつける。ずらりと整頓された棚に電子化されていない映像資料が所狭しと並べられていて、それを見た元親が大きく息を吐いた。無理も無い。闇雲に探せば見つけるのに何日掛かるか分からない量である。
データベースである程度管理しているとはいえ、完全な電子化のされていない資料は大体の位置しか分からない。

「アテナの仕事はしょうがないから違うやつに任せてきた」
「此方を違う人間に任せればよかったろう?」
「泣き付かれたんだよ。ライブラリ管理者がいない。資料がどこにあるか大体でも分かる方知りませんか? ってな」
「それで何故、我になる」
「お前、記憶力良いからなぁ」

からからと笑った元親に元就は不機嫌そうに眉を顰めた。
知覚化されたリストをデータベースと照合して大体の場所は掴めている。
迷うことなく目的の資料が並んでいる棚にまで行き着いて元就がゆっくりとディスクカバーに書かれている走り書きを眺め始めれば、倣うように元親も走り書きを見ながら目的の資料を探していく。

「……お前のせいで我は自分の仕事が出来ぬ」
「悪かったよ。聞いたら昨日届いた資料の判別してたんだってな」
「ああ」
「いいのあったか?」
「………そう、だな」
「そうか」

一つ見つけて元親に手渡した元就がふと先程まで見ていた映像を思い出した。
少女が部屋の中を踊る映像は何の変哲も無いようだが空間を最大限に利用したある種の映像美であった。
音も無い資料は、それでも音を伝えるようで元就はあの時呼吸を忘れたのだ。

「元就?」
「……いや、なんでもない。これで最後だ」

ふと思考に沈んだ元就の名を呼んだ元親が最後のメディアを受け取る。
十分も掛からず終わった仕事に満足したらしい。丁寧にメディアボックスに入れると、元就の頭に手を置いて些か乱暴に撫でた。

「……元親」
「ありがとな。んで、元就さん」
「……ん?」
「今晩は何が食べてぇんだ?」
「そうだな」

仕事を助ける代わりに何でも奢ってくれる約束だったか。
きっちりと守ってくれる気らしい元親に元就は思案する。外食も良いのだが―。

「………お前の手料理、第五映像室に出前しろ」

その言葉に目を丸くした元親が数秒後心得たと承知する。
ふんと視線を逸らせた元就が応えるように微かに笑むのを視界の端で見留めた元親が釣られて笑った。




>>博物館惑星パロでちかなり
   元就も元親も妙に書きづらいような気がする…。あれ?(苦笑

接続開始。
何故か一日で溜まりに溜まったメールを斜め読みしながら早速頭痛がしてくる。
どうしてこう毎日のように問題を起こしてくれたりするんだろうなぁ。
大体有休を取ると決めてたから今までの仕事全てを終わらせてから休んだはずであった。
だというのにたった一日でこれか。
割り振られていない仕事は全部で4つ。担当者の名前と顔を確認し問題は無いようなので自分以下の人間に振り分ける。
そして振られた仕事は2つ。一つは直接出向いて交渉すれば決着がつくだろう。

「よりにもよって何で第四ブロック…?」

頭が痛い。
音楽と舞台芸能全般を司る部署ミューズマターの依頼に添付された資料は何かの楽譜であった。

(うん? 聞いたこと無いな。ムネーモシュネー、検索掛けてくれ。結果は一覧表示)

「よお、佐助。休暇はどうだったよ」

脳内で直接繋がったデータベースに検索を指示したのと同時に同僚から声が掛かる。
同期の元親は首にIDを引っかけたまま上は作業着下はジーパンの姿で現れた。眠そうに欠伸をしながら片手をあげて声を掛けてきた元親に困ったような笑みを向ける。

「いやぁ。休暇は良いんだけどさ、一日でこの依頼量ハンパないねぇ~…。俺さまがっかり…」
「はは。しょうがねぇなぁ。確かに昨日は忙しかったし」

佐助の愚痴を軽く流して元親は笑う。
そう言えばと佐助は辺りを見回して、首を傾げた。

「あれ…、慶次はどうしたの?」
「……………ああ」
「……………まさか、撃沈?」
「たぶん」
「だから回されたか」

ミューズ管轄音楽棟第四ブロックには天敵がいる。
各部署の調停役を買って出るアポロンの職員が出来るならば相手にしたくない、ラスボス級の相手。

「何が?」
「いや…。依頼が入ってるのよね、これが」
「ああ。ヘルプか。……第四ブロック?」
「察しの良いことで。……しょうがない。呼び出したのはあっちだし、さっさと行ってきましょうかね」
「健闘を祈ってるぜ」

そう言って送り出してくれた元親にひらりと片手を振って部屋を出る。
気は重い。重いったら重い。
オーストラリア程の総面積を意図的に地球の気候に制御しているこの人工惑星アフロディーテは、惑星所有者の当初の純粋な願いもあってか様々な分野に渡り”美”を追求する所謂博物館である。
人間の生活圏の中で一番広大な面積を持つ博物館でもあるアフロディーテは、大分類として三つの部門に分かれていた。
音楽や舞台と文芸全般を担当する通称ミューズ、絵画工芸を担当する通称アテナ、動植物園を担当する通称デメテル。
その上部機関として三部署間の調停調整を行うアポロン。
その他に館長を始めとする管理部で博物館は成り立っている。
アフロディーテに所属する学芸員の殆どは脳外科手術によって各機関専用のデータベースと直接接続を可能としている接続員でもあった。
佐助はアポロンのデータベースである<ムネーモシュネー>に接続開始を告げ、次に向かうべき場所に通信を入れる。


―――《へえ? 今回は君が来てくれるのかい? 猿飛くん》
―――そんな意地悪な言い方は止めて欲しいなぁ。まぁ、そういうことで。お手柔らかに頼みますよっと
―――《それを言うならば僕の方だと思うけどね》
―――ああ。ならお互いにそうすることにしない?
―――《それは君ら次第だよ》

ああ。そう。
通信されないように内心で呟いて、約束の時間を15分後に取り付ける。
此処から音楽棟第四ブロックまでは徒歩で10分。丁度良い頃合だろう。


「にしても、俺……この仕事向いて無くない? 本当に」


これから繰り広げられる舌戦を想像してげんなりと佐助はぼやいた。
アポロンの人間にとって精神破壊力抜群な舌戦を繰り広げてくれる相手。
それはミューズ管轄音楽棟第四ブロックの主席学芸員のことを差す。
竹中半兵衛重治。誰が名付けたんだったか、アポロンの中ではフィッシュ竹中とも呼ばれていた気がする。
勿論本人の前で言ったらどうなるか分かったものじゃない。
休暇明け。初っ端からハードルの高い仕事に佐助は一度大きく伸びをして、先を急ぐことに決めた。




>>BASARAで博物館惑星。
   佐助は何処に行っても苦労性だと思う。かわいそうに。

………………。
アクセスブロックの文字が脳裏にちかりと浮く感覚に溜息一つ。
あの飄々として何処か掴めずそれでいて気難しい研究者は自分と言葉遊びをしたいらしい。


―――それで?
―――【おや? 今日は機嫌が悪かったかい? お嬢さん】
―――貴方と話してて機嫌の良い時なんてありません。用事は何ですか? ご丁寧に仕事のアクセスだけブロックしてくれて。ただの嫌がらせならこっちにだって手はありますけど。
―――【穏健派の君がそんなことしないだろう?】
―――先ほども言いましたが。機嫌が良くないんです。実力行使に出ても構わないのなら…
―――【分かった分かった。今日は君に免じて私の方が折れよう】
―――ああ。そうですか。助かります。それでは今までブロックしていた分のアポロンからの仕事回しますから。期日までに出してくださいね。
―――【ちょっと…隆元】
―――それでは、ご機嫌よう? サヴァン。

何か言いたげな声を一方的に切って大きく息を吐いた。
非常に肩の凝る相手だ。論理的なようで屁理屈を述べては此方からの仕事など受けようともしない。
だというのに自分の方の言い分だけは通そうとするのだ。本当に厄介な相手だ。
ゆっくりと首を回せばやはり凝っているらしい軋むような感覚に目を細める。
とんとんと軽く肩を叩いているとメールの着信を告げる控えめなサインが示された。
送信者は―……。


【親愛なるクロエへ。

 愚かなことだが、君に些細な問いを投げかけたい。
 君の感性で答えてくれたらいい。

 簡単だよ。


 ”海が塩辛い理由は?”


 出来れば詩的なものが好ましい。

             賢者 】


「馬鹿にするのも大概に…っ」
「隆元…?」

思わず漏れた言葉に隣で仕事をしていた職員が顔を上げた。
しまったと思ったのも束の間、ふざけたメールの内容を思い出しその場で大きく肩を落とす。
全くどうしてこう。

「……もしかしてアテナの賢者殿?」
「…………もしかしなくても」
「本当あの人は奇特な人種だよね。隆元をこうも怒らせられるんだから」

からからと笑う同僚に反論する気も起きず元は席を立つ。
ずっと座りっぱなしだったせいか身体中の血行が悪くなっているようだ。
頭ばっかり使う仕事も如何なものだろう、と思いながら部屋を出ると海に面した窓から綺麗な青が覗く。
そういえば今日の天気は快晴だったか。
全てが意図的に地球と同じ環境に制御されている、面積にすればオーストラリア程しかない人工惑星であるこの場所はあらゆる美術工芸を集めた言うなれば惑星一つが博物館であった。
きらきらと陽光を反射する海面は刻一刻と遷り、同じ時は何一つ無い。
忙しなく調停役であるアポロンのIDをぶら下げた人間が行き来する廊下で、海に視線を投げかけていたのは隆元一人。

「……海が塩辛い理由、か」

生まれた頃から海水は塩辛いもの。
そう当たり前に思っていた事象に今更理由をつけるとはいったいどういった趣旨なのだろう。
メールには”出来れば詩的なものが望ましい”とまで書いてあった。
とすればメールの差出人は科学的な根拠からなる一般論を求めていないことになる。
抑もある種の天才である彼にそんな当たり前のことを答えたところで意味はないのだ。

とすれば。


「…………………海の魚が、流した涙」

馬鹿らしい。
ぽつりと呟いた言葉に自嘲気味に頭を振れば、接続したままだったデータベースが控えめに反応した。
頭の片隅。
流れ込む情報に思わず苦笑する。検索を掛けて欲しかったわけではなかったのだが。

(―そうそう。ガイア。それで正解)

隆元の零した答えがどこから来たものなのか。それを答え合わせして欲しかったに過ぎないのだろう。
この惑星アフロディーテには高性能なデータベースが数種存在している。
それは各部署に設置され脳外科手術によって全体の半数以上の学芸員たちと脳内で直接繋がっている。
アポロンのムネーモシュネー。ミューズのアグライア。アテナのエウプロシュネー。デメテルのタレイア。
そして次世代型とも言える、未完成で未知数のガイア。
その中でガイアに接続している人間は少ない。自分を含めて三人の、接続者と言うよりは教育者。
人間の感情さえも鮮明に”理解”出来るようと作られたデータベースの性質は幼い子供のようだった。
何でも知りたがるし。何も知らない。
数値化されたデータとして記録するのではなく、それこそ理解しようとする。
芸術・美術において純粋に綺麗と思う、その感情をただの数値化されたデータとして保存するに留めないための、そのために作られたデータベース。

(うん、でも可笑しいな。……まさかこんな時に絵本を思い出すなんて)


片隅でよく分からないとデータベースが伝えてくる。
この感情もゆっくり勉強していこうと約束をして完全に接続を切った。
接続を繋げている負担を最小限に減らしているとはいえ、直接接続を繋げる負担というのは掛かる。
心なしか頭の軽くなった感覚を覚えて隆元は歩き始めた。







「えぇと。つまり…賢者、さん?」
「何だい。小さいお嬢さん」
「………慇懃無礼って貴方の為にあるような言葉だな。ホント」
「これはこれはお褒めいただいて光栄の至り」

褒めてない。
と小さく毒づいて隆景はとある研究室の一画にぽつんと置かれた石版を眺めていた。
綺麗に彫り込まれた精密な図柄は遙か昔の遺物であるのは言わずもがな知れたことである。

「話を戻して良い?」
「どうぞ」
「……貴方には想像力が足りないから力を借りたいってことだよね?」
「おや。無礼は君も同じなようだ」
「違うよ。僕は素直なの」

一回り自分の体格より大きいパーカーにデニムという一見少年に見間違えられそうな出で立ちの少女が肩を竦める。
眺めていた石版は先日此処に送られてきたばかりのものだ。

「……ノットねぇ」
「海を意味するのだけは知れたんだよ」

北欧の方では装飾の意味合いも込められて用いられるそれは縄や紐の結び目を模している。
ぐるりと絵を囲むようにある縄目に何か意味があって、それが”海”を意味しているのは知れたのだと目の前の研究者は言った。
其処で、困ったように投げかけられた問いが。

「でも何で”海が塩辛い理由は”になるの?」
「いや此処の縁のね、文字があるだろう? 解読したのさ」
「そうしたらそう?」
「そうそう。さっぱり分からないよ」

元々私は科学者気質なんだ。
そうぼやいた研究者を横目に隆景はその問いを思い出す。

(ガイア、通信履歴。ここの胡散臭い人がガイアを介した履歴を見せて)

ぱっと解析画面が表示されて、それに隆景は笑った。
ああ、成る程。この人は。

「あのねぇ。賢者さん」
「なんだい?」
「姉に振られたからって僕に寄越すのは如何なものかと思うよ」
「おや…」
「そして仕方ない。振られちゃった可哀相な賢者さんに一つ」

よいしょ、と椅子から立ち上がって傍らに置いていたキャスケットを被る。


「それね、海の魚が流した涙…だよ」
「ん?」
「姉ならそう言うよ。僕もそのお話は好きなの」
「……謎々かい?」
「違うよ。さっきの答え」

ひらりと手を振って部屋を出て行けば、思案顔の研究者が形式だけと手を振り替えしているのが見えた。
北欧の伝承を元に作られた絵本。
母親が買ってくれたものだったか。
綺麗な青が印象的な絵本だったように思う。
若い二人が世界に絶望して身を投げた。優しい二人の悲しい思いは海に溶けて、海にいた魚たちが彼らを思って泣いた。
その涙が海を塩辛くしたのだとそういう話だった。
どうして生きられなかったのという前に、斯くも世界は残酷で優しいかと思った。

(―うん。ガイア? このお話知ってるの?)

接続したままであったデータベースが先程もその話で検索を掛けたのだと応える。
自発的に行ったらしい検索結果に隆景は笑う。

(そっか。じゃ、僕もガイアも正解、だね)








「サヴァン?」
「……おや。直接出向いてくれるとはね…。嬉しいよ、クロエ」
「ついでです。ついで」

ばさりと預かってきた書籍を手渡すと一瞬その重さに目を丸くした男が笑う。
両手の塞がった状態であるのに器用に肩で扉を開けた男が隆元を部屋に招き入れる。
此処までその重い資料を持ってきたのだ。手伝いはしない。

「……先程のメールの答えですけど」
「ああ、うん」
「要らないですか?」
「いいや。君の答えが聞きたいね」
「………それが、余りに子供の様でも?」
「君の出す答えが聞きたいんだよ」

崩れないようにテーブルに資料を置いた男がすっと部屋の一点に指を向けたので、その指先に釣られるように視線を向ける。
保護用の布を幾重にも敷いた上に一枚の石版があった。
それは確か数日前にアフロディーテに届けれたものであったはずだ。

「ああ。貴方の所に来てたんですか。これ」
「文字の解読が難解だって、担当者に泣き付かれたんだよ」
「それで協力を? 珍しい」
「まぁ偏に興味があったからだけれどね」

歩み寄った石版は思ったよりも小さく所々風化して欠けてしまっていた。
本当は彩色もなされていたのだろう。それもすっかり剥がれ落ちてしまっている。

「……これ」
「そう。これに対する問いなのさ。あれは」
「エターナルノット」
「……うん?」
「永遠の絆、です。この周りの…」

紐を複雑に結んだような文様が掘られたレリーフの周りを飾る。その結び目が。
昔何処かで見た形に良く似ていた。
北欧では装飾の変わりに結び目を使ったものを代用していたこともあると聞く。その文献の一つで見たのだったか。
結び目を繋がった絆に見立て、循環するようにノットを幾重にも重ねたそれを。

「エターナルノット? エウプロシュネー、検索を」

隆元の呟いた言葉を素早く検索させた男が小さく「成る程」と漏らした。
海の描かれたレリーフの周りの循環された結び目。そして問い。
それらは全て。

「……海が何故、塩辛いのか」

本当は素手で触ってはならぬ石版の、その長い時を経て滑らかになった彫刻面に指を這わせる。
硬質な冷たさは余り感じず、ざらりとした砂と土の混じった感触だけが指先に残る。

「魚たちの涙?」
「知ってたんですか?」
「いや」
「……二人の若い男女が身を投げた。その二人の永遠の絆を忘れないために流した涙」
「二人が命を絶った事に対してではなく?」
「それは解釈の違いだから。……少なくとも、世界はその為に海を塩辛くはしないと私は思います」
「海を巡る永遠の絆。全ての命が繋がる円環。………ふうん。同時に送られてきたもう一つの石版の暗号が難解だったんだが、どうやら解けそうだね」

石版に触れていた指先を取られて導かれるままにしておいた。
どこか恭しく礼をした男がその指先に口付ける。それはまるで中世の騎士が守ると決めた主君に対して行った誓いの様でもあり、


「ありがとう、隆元。矢張り君は素晴らしいね」
「……そういうの止めてくださいって言ったでしょう。役に立てたのなら光栄です」


くるりと踵を返して彼の横をすり抜ける。
耳が少し赤くなっていたのはばれなかっただろうかと情けないことを思ったが、何も言わない所をみると大丈夫だったようだ。
音もなく扉が閉まった瞬間。
接続を切っていたデータベースから着信のサインが送られる。



「………嫌だなぁ。もう」

届いたメールに隆元は苦笑せざるを得ない。


【親愛なる照れ屋のクロエ。
 君の答えとなった物語、私もどうやら好きそうだよ】






>>やってしまった。博物館パロで分類不可。
   非常にサヴァンとか言う人間が嫌なやつだなと再認識した瞬間だったような(?

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そんなところです。

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