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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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夕焼けに染まる街と暗闇が忍び寄る路地裏のコントラストは切り絵の様で一種幻想的だった。
木造の古ぼけた扉につけられたカウベルが軽やかな音を立てる。その中からさらりとした癖のない亜麻色の髪の少年が路地に出てきた。ユイだった。
「それじゃ、ありがとう」
「どういたしまして」
店の中に声を掛けて一度会釈をしたユイは夕日に染まる空を見て溜息を吐く。
思ったよりも時間が掛かってしまった。もう少し早めに帰路に着く予定だったのだが仕方ないと割り切る。
母が先に家に着いているのなら連絡の一つもあるだろう。携帯電話に着信履歴はない。
「それは?」
路地を少し足早に歩くユイに通りの良い月の声が掛かった。
紙袋に包まれた荷物を大切そうに両腕で抱えるユイが笑う。
「探してたもの」
「…何?」
「えーっとね、絵本」
「絵本?」
絵本など頭脳的なレベル云々の前に年齢的に卒業しているだろうユイの言葉に月が首を傾げた。
半分駆け足になりながらユイが上がった息の合間に答える。
「父さんにも後で見せてあげるよ」
そう言いながらもユイは速度を落とさず、真っ直ぐに路地から表通りへの最短距離を走り抜ける。途端喧騒が聴覚を占めてユイは苦笑を禁じ得なかった。
これから帰る時間を考えれば、たぶん日が落ちるのと同時くらいだろうか。
ちらりと一定の距離を保ちながら着いてくる月の姿を確認して、ユイは荷物を抱え直した。
道路に面したショーウィンドウに自分の姿が映る。ぼんやりとそれを見ながら後ろを着いて歩く月の姿も間接的に確認すれば、悠然と歩く月を擦り抜けるように人が通り過ぎていくのが見えた。
実体を伴わないのだから当然と言えば当然だが何か変なものを見るような感覚で、思わずユイは肩越しに振り返り確認してしまう。
そこに月の姿は存在している。少なくともユイには視認出来る。しかし嫌でも彼がこの世に属さない存在なのだと、また月の存在に気付かず月を半分擦り抜けた通行人の後ろ姿を見遣りながら認識した。
突然自分の中で実像を結んだ父は、実は二週間という長い間見続けた幻影なのではないのかとさえ思えてくる。
ただユイが知り得なかった一つを幻影は与えるだろうか。
無駄なく帰路を辿り、一つのビルの前に行き着いてユイは小さく溜息を吐いた。
「遅かったですね」
どうやら一足遅かったらしい。
存在自体から色を排した様な容貌の女性が羽織った、落ち着いた色のコートがはためく。
「……母さん」
「お帰りなさい」
丁度一台の黒のリムジンが滑るように出て行くのを視界の端に捉えて、これは本当に僅かの差だったのかも知れないと思い、ならば余計な考え事などせず走るべきだったと思った。
足音も少なく歩み寄ってきたニアがするりとユイの頬に触れる。そして次の瞬間、軽い音を立てて頬が叩かれた。実に上手い具合に加減されたが故に痛みはない。
「ごめんなさい」
「いいえ。惜しかったですよ。通りを歩いているユイを追い越しましたから、もう少し早ければ間に合ってました」
微かに笑ったニアが優しい手つきで頭を撫でる。
既にそんな年ではないと思いながら普通の親子よりも共にいる時間が少ないことを十分に理解しているユイは、母親と過ごせる何気ないこんな時間と遣り取りが大切だと享受する。
「でも、母さん…。今日早いね」
「そうですか?」
「うん。だって日が落ちる前に帰ってくるのは珍しいじゃない」
幾重にも張り巡らされたセキュリティを潜りながら、ユイは黙って少し後ろを着いてくる月を母親に気付かれぬように振り返った。
二週間共に過ごして初めて見る表情だった。じっと観察するような様子の中に冷たい感情が混じっている。しかし憎悪ではなく何か見定めるかのように試す視線に思えて今度は隣を歩く母親の横顔をユイは見た。
前に月が言った通りニアには姿が見えないらしい。
他愛のない会話をしながら相槌を打っていたニアが、ふと視線をユイに向ける。
「私の顔に何か着いてます?」
「……え?」
「そんなに見詰められて、気付かないわけがないでしょう。…何か気になることでも?」
静かに問うてきたニアにユイはただ「何でもない」と首を振る。
気にならないわけがない。聞きたいことはたくさんあった。何よりユイの強がりな嘘など、ニアはとっくに見抜いているに違いない。
けれどニアはそれ以上は聞いてこなかった。
「そうですか」
静かで淡々とした声が隣から降ってきて、今度はちらりと母親を見遣る。
瞬間、真白な印象の容姿の中で唯一深い色の瞳とかち合ってしまった。気まずいと思う前にニアの視線が外れる。
「それは?」
「……え?」
ニアの視線が子供が両腕で抱えている紙袋に移る。
つられて自身の腕の中に視線を落としたユイが「ああ」と声を上げた。
「絵本だよ」
「……絵本?」
聞き返してきたニアが不思議そうに首を傾げる。それに思わず笑ってしまった。
先程、月がユイに荷物の中身を問い、答えを返した時の反応と良く似ていた。
「うん。ずっと探してたんだけど」
「珍しいものなんですか?」
「珍しいと言うより、絶版だったみたい」
「絶版?」
リビングに辿り着いたニアが羽織ったコートに指を掛けながらもう一度首を傾げる。
ふわりとした癖のある髪が揺れ、しかしニアの視線は紙袋から外れない。気になるのだろう。
音も、ニアからすれば存在も感じることなく、リビングに続いて入ってきた月をユイは視界の端で追った。
母親と同じようにその絵本が気になるのか月もまた促すように頷く。
「…うん。昔、見せて貰ったことがあるでしょ。お話は普通だったけど絵が綺麗で、忘れられなかった」
ユイは肩に掛けていた鞄をソファに置くと紙袋から丁寧な手つきで一冊の絵本を取り出す。
確かに絵が綺麗だと記憶するのに値するだろう、珍しく豪奢な装丁の絵本が露わになる。表紙に描かれたのは青い空と海。
見覚えはなかったが月も確かに綺麗だと思った。その横で小さく息を呑む音が上がる。
表情の起伏が余りないニアにしては珍しく酷く驚いた様子に、ユイは微笑み、月はまじまじと魅入った。
「…良く、」
淡々としたニアの声に少し感情が滲む。
「見つけましたね」
母親の言葉にユイは「はい」とだけ言って自身の手の中にあった絵本を差し出した。
恐る恐ると言った手つきでニアが絵本を受け取り、まるで零れ落ちた残滓をなぞるように表紙に指を這わせる。
細く白い指が絵本の端に掛かり、本が開かれた。綺麗というのが一番相応しいのだろう、絵本の内容よりも絵の秀逸さが記憶に残るようなそれをニアの手が一ページずつゆっくりと捲っていく。
箔押しで物語部分が挿入されている。言語は英語だった。
元々幼児向けに書かれた文章は簡単で、話自体は本当何処かで聞いたことのあるような在り来たりな物語。
一見変哲もない絵本をニアの深い色の瞳がじっと見詰め、暫くして思い出したようにページを繰る。
その間ユイは黙って母の様子を見守り、月は存在が気付かれないことをいいことにニアの手の中にある本に視線を落とした。
やがて最後のページに辿り着き、簡単で在り来たりな物語は終わりを告げる。最後のページには雨が降り、虹の架かり始めた空が描かれていた。
「……懐かしい?」
本を閉じたのと同時にユイが訊ねる。
視線を自分の子供と絵本と交互に見遣ってニアはゆるりと首を振った。
「いいえ」
「……そっか」
分からぬやり取りに月が眉を顰めるとユイが見咎めて笑う。
「母さんの本は、もう無くなっちゃったもんね」
「ええ」
苦笑とも呼べる表情を浮かべてニアが答えを返す。絵本を受け渡された時と反対にユイに返そうとして、ユイの手がそれを押し留めた。
「あげる」
「誕生日にはまだ早いですが」
「プレゼント、去年はあげられなかったし。早いけど二年分ってことで」
にこりと笑んだユイは母の手から絵本を受け取らず、ソファに一旦下ろした鞄を引っ掴んでニアの横をすり抜ける。
ニアが何かを言いかけたのを振り返って笑って止めて部屋に戻っていく。
その後ろに月は続いた。絵本の内容など簡単過ぎてニアがページを捲ったときに全て記憶している。
特段何とも無いようなそれにニアとユイ、月が知らぬ親子の何かがあるらしい。
「ユイ」
その時、リビングから顔を覗かせたニアが小さな背中を呼び止めた。
振り返ったユイが首を傾げると、ニアの余り表情を乗せない淡々とした声が訊く。
「貴方の方が誕生日は先ですね。プレゼントは何が良いですか?」
「……うん、それじゃあ」
ユイの言葉にニアが目を丸くする。無理はなかった。
凍りついたように動かない母親の思考が正常に動き始めれば面倒なことになるのは考えるまでもなく、逃げるようにユイは自室に入っていく。
部屋に入った瞬間、後ろを大人しくついてきていた月がユイの細い肩を掴んだ。
月がユイに進んで接触してきたのは初めてだった。
「ユイ、お前…」
「気に入らない? 言った通りだよ。僕は、ただ知りたいだけなんだ」
「僕のことを?」
「そうだよ。夜神月、…”キラ”のことを」


***


――夜神月について知りたい。

形の良い唇が紡いだ名前にらしくもなく思考が停止した。
隙を突くように自室に戻っていく後姿に掛ける言葉は見当たらず、気付けば一人で立ち尽くしている状況に自嘲が込み上げる。
誰にも、他言はさせていないはずだとニアは記憶の中を振り返る。そうじゃなくてもどう説明しろというのだ。
父親のことは生まれた子供がどう育つか、育てられるか、それを見て物事の判断の区別が充分に付く様になってから話すつもりだった。
それまでは父親の名前も教えずに育てるつもりだったし、現にそうしてきた。日本人にしては変わった名前だが簡単に見つけ出せるものではない。ならば誰がユイに教えたというのだろう。
ソファではなく床にぺたりと座り込んでニアは数週間前に見たメールを思い出す。悪戯にしては出来すぎた非現実的なメール。
差出元はこの部屋に置いてありながらセキュリティを外し仮想的に外部に押し出したパソコンからだった。
忙しくてあの後パソコンは確かめず廃棄した。
(悪戯ならば誰がと思っていたが…、まさか)
メールを悪戯として出すのだとしても犯人がユイであることはないだろう。
あの内容は本当に月本人が書いたような言葉回しであった。ユイは月のことは何も知らない。教えず育ててきたのだから当然だ。あそこまで似せられるとも思えないし、大体意味がない。
”幽霊っていると思う?”
躊躇いがちに問われた言葉が不意に脳裏に浮かぶ。
有り得ないと言いたくて、しかしニアは可能性として無いとは言えないと思い直す。
しかし出会った死神は言わなかっただろうか。人間は死んだら”無”に行くのだと。
お前たちの信じる神や何かは分からないが天国も地獄もなく無であって、其処に罪も罰も存在し得ない。
ニアは自身の細く白い手首に視線を落とした。
其処には躊躇いもないうっすらとした傷跡が残っている。
「………夜神月、本当に………居るんですか、」
指先は白い肌に残った傷跡をなぞり、そしてぱたりと床に落ちた。ゆるゆると首を振ったニアは訳も分からず泣きそうになっている自分を客観的に感じて不思議と思う。
今年、ユイは十歳を迎える。まだ早いと判断していたが父と母の才を十分に継いだ息子には、もう幾ら誤魔化しても無駄だろう。ユイが真剣に真実を求めたならば必ず辿り着いてしまう。なら――
(私が、私の…意地を清算する時が来たのかも知れない)
そう、ニアは覚悟を決めた。




>>間が空いた5話目。
   折り返し過ぎたと個人的には思っているけど、少し修正が必要になってしまって
   非常に難産。苦しい(苦笑

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砂嵐の中、はたはたと着込んだ外套が風に膨らみ宙を舞う。
肩から提げた箱状の機械を砂から守るように抱え込んだ少年の髪の色は青。柔らかそうな髪も宙を舞う。
一歩一歩確実に進む足取りに迷いはなく、抱え込んだ箱からは優しい音楽が流れていた。
ふと抱え上げてくれた手と声を思いだす。
起き出してから命令を聞いたのはたったの一度。そしてたぶん最後であるだろう事は分かっていた。
ゆっくりと少年は顔を上げる。
汚染されてしまったはずの世界の空は、綺麗な青をしていた。

 

***


「カイト」
呼び止められて青年は、誰だったかと声にあたりをつけて振り返る。人の良さそうな笑みを浮かべて手を振る中年の男性は確かに顔見知りだった。
「こんばんは」
「親父さんの葬儀は終わったのかい?」
「……家族っていっても、僕しかいないですからね。簡単に済ませましたよ」
「そうか。そりゃ、ご苦労だったなぁ」
「別に」
そう笑ったカイトに男性が少しだけ訝る視線を向ける。当たり前か。父親が死んだというのにまるで何事もないよう笑う相手を不審がったとして何らおかしくはない。
寧ろおかしいのは自分なのかもしれないとカイトは世間話をしていく男性に適当に相槌をしながら思った。
「それじゃ、気をつけてな」
「ああ、はい」
適当に切り上げて家路を急ぐ。
特段広くも狭くもない部屋に上着を脱ぎ捨てて、カイトはふと男性との会話で手に残った感触を思い出しそっと両手を握り込む。
幼い時分の姿をした人形。
最初に目を開けた時、じっと窺う視線を寄越し「ご命令は?」と訊いた声は人間と間違う程であった。
結局受け取って欲しかった荷物は何であったのだろう、とカイトは思案する。
あの見たこともない仕掛けの音の鳴る箱だったか、それとも自分の幼い頃に良く似た姿の人形だったのか。
実際の所よく分からない。
ただ記憶に埋もれて面影さえも忘れていた父は、記憶の中よりも小さく感じた。
葬儀はただ弔うだけの簡易なものであったし、亡くなった父に対面した時に悲しいとも思わなかった。
受け取った紙切れは主旨を余り得ていない遺言で、らしいといえばらしいと思って内心笑ったくらいか。
熱く淹れたコーヒーを飲みながら窓を見上げる。分厚いフィルター越しの空は青。本当に空がその色かは知らない。
「…、苦い」
考え事をしていて分量を間違えたらしい。想像していたよりも苦い液体にカイトは顔を顰めた。
”荷物を引き取れ”というのが遺言であって、その後どうすれば良いのかは書かれていなかった。
音の鳴る箱も自分に良く似た人形も、カイトが生まれる前にあった争いで失われた技術で作られたものだ。
父がどうやってその技術や、モノを手に入れたのかは分からない。
しかし漠然と自分も父と同じ末路を辿るのかも知れないと思った。
苦すぎるコーヒーを飲むのを諦め、流しながらぼんやりとカイトは抱き上げた人形の軽さを思い出す。
機械で出来ているのか、違うモノで出来ているのか。
自分の腕で持ち上がるくらいには軽かった。
『命令は、たった一つだ』
生まれ育ってきた街と、汚染され人が住めなくなってしまった世界とを隔てる壁の前で告げた。
カイトを見上げ、黙って次の言葉を待つ少年の頃のカイトと同じ姿の人形は一度だけ、笑った。
渡された歌う箱を大事そうに抱えて、誰もが越えようとしなかった壁を軽々と飛び越えて宵闇に紛れて消えていった後ろ姿。
箱から聞こえた知らない言葉で紡がれた音楽はカイトにふとした憶測を構築させた。
見たことがないのなら調べればいい。
大体の形状は分かっている、と葬儀を終え人形が壁の向こうに姿を消した後、父の部屋に残っていた古い文献を片っ端から漁った。傍目からは父の遺品を整理しているようにしか見えず不審がられない。
そして知った。
嘗て一定の周波数を介し音を伝える機械があったこと。人形に持たせた箱と機械の説明としてあった図解の絵は良く似ていた。
ならば、矢張りいつか。
この隔絶されてしまった世界は繋がるのではないのだろうかと思う。
ラジオは拾える周波数が無ければ、音を紡がない。
カイトの住む街に電波塔は無い。
この街にしか人が住む場所がなくなってしまっているのなら、ラジオから音が流れるはずが無かった。
ならば、他の場所で同じように人が住んでいて、一つの音が、歌が、それを持った”あのこ”がいつか其処に辿り着くだろう。
何年かかるかは分からない。
若しくは自分が死んだ後かも知れないと小さく笑みを零す。
それでも大事に抱えた箱と、カイトの意志を読み取ったように頷いた”あのこ”は世界をきっと繋いでくれる。
カイトはそう思った。

 

***


肩から提げた箱が、流れる綺麗な旋律と相反した雑音の混じった歌が、突然鮮明になる。
それは彼の主人が望んだことに近づいた証拠のようだった。遠く蜃気楼のように揺らめく鉄塔が見える。
弾かれたように少年は視線を箱に向けた。箱の様子は特に変わってはいない。空は呆れるほどに快晴。
「…マスター」
少年は知らず呟いた。肩から箱を下ろし両手で大事に抱えて空を仰いだ。
果ての見えない青空を眩しそうに目を細め見詰めた少年が、もう一度「マスター」と遠い、声の届かない相手に言い聞かせるように呟く。
少年が大事に抱えた箱からは、ノイズの途絶えた優しく綺麗な歌が流れていた。




>>KAITO。オールドラジオネタ。
   mixiにもサイトにも上げる前にこっちにちょとあげておきます。
   本当はもう少し練って色々一悶着とか、そんな話で書こうかなと思ったら…
   本一冊作れるくらいのネタだったという話。なので雰囲気重視で。

永久。
本来時間の隔たりによって消え失せる筈であったものがある。精霊と、人と、世界と、全てを結び応える歌声。
契約にも、予め定められた理にも似た其れは音と認識出来るものでありながら、既に音としての領域を逸脱している。
たった一声とは言わぬ。一旋律で人間の与り知らぬ世界の奇蹟さえ引き起こす存在は、存在の神秘性を示すように皆性別の区別が付かぬ怪しく麗しい容姿をしていた。
その、音の統率者ともいわれる存在を歌貴と呼ぶ。
紗の被り物を頭からすっぽりと被り、星明りだけを今頼りに歩く線の細い人物もまた歌貴であった。
彼らが彼らだと外見で見分ける唯一の統べた額にある翡翠のツノ。
顔半分を覆うようにして被った紗で隠したとは言っても、本来この人物の持つ雰囲気なのだろうか。
既に尋常ではない静謐さを携えていた。
「………おぉい」
その細い背中に、やけに鷹揚な声が掛かる。
僅かに視線を其方へやれば、星明りの下、まるで星影の残滓を集めたように極端に色素の抜けた髪がぼんやりと暗い中で浮いた。
「元親」
形の良い薄い唇が名を呼んだ男の名を紡ぐ。
さらりと耳に心地良く通りの良い声は僅かな大きさであったが男に届いたらしい。
にっと元親が笑い大股に歩み寄り、すっぽりと顔を覆う紗の被り物に目を留め眉を顰める。
「こんな時間に何処に行くってぇんだ?」
「……無粋なことを」
「まさか逢瀬なんてことは言ってくれるなよ?」
元親の大きな手が肩に掛かっていた紗に触れ、そして一気に引き抜いた。
はらりと音も略立てず露になった顔は矢張り男とも女ともつかぬ中性的さを持つ端正な面差だった。
「元親」
咎めるような響きに元親が笑う。
「隠すのは勿体無ぇだろ? 元就」
元就と呼ばれた歌貴は、元親の手から紗の布をひったくる様に取り戻すと頭から被るのは諦め、流れるような動作で羽織った。
柔らかな髪が紗に触れた拍子にゆらりと揺れる。
「で、何処に?」
「特段決めておらぬ」
元親の質問にきっぱりと返る声。
人目のない場所でも気にはなるのだろう、細く形の良い指先が落ち着かぬ様子で自身の翡翠のツノに触れたのを元親は見逃さなかった。
「こんな時間に散歩…ってか?」
「今日であるから、だ」
全く意図が掴めぬといった様子の元親に溜息を返して、元就は空を仰いだ。
時間の偶然か。月は空に上っておらず、ただ星空を敷き詰めた強弱様々な光が空を埋め尽くすのみである。
「嗚呼、成る程」
天にある星明かりの帯を見て元親はからからと笑った。
意図が読めたと笑う男に元就もつられて苦笑を返す。
「確かに無粋か」
「…今年はよう晴れた」
まるで最初に会ったときのようだ、と呟いた元就の肩を逞しい腕が気遣うように抱いた。
体の重心を預けるようにして見上げる空に雲は一つも見当たらない。
「こうやってられるのも、な」
「うん?」
頭から声をかけられる形で元就が身じろぐ。
視線を向ければ、海の色を写し取ったような瞳がじっと元就を見据え、労わるように声は続いた。
「また…色々と先行きが怪しい」
「…戦か」
「その時になったらまた、力を借りることになる」
静か過ぎる声に元就は微かに頷いた。
「そのように気に病むことではない」
「…いや」
「自分で望まなければ、歌は歌えぬ。…我はお前だからこそ意味を預けた」
歌貴の歌は人間には理解できぬ響きを持つ。
真に歌貴の恩恵を受けるには、其の歌貴の言葉の意味を知らねばならなかった。
歌貴が言葉の意味を教えるのは自分が心を許した相手、民のみ。
元就はふと笑い、今身を預ける男がまだ子供であった日のことを思う。
矢張り今日のように夜空を見るために、年に一度天の王に引き裂かれた二人の逢瀬が許された夜に空を見るため、元就はその夜も顔とツノを隠し暗闇を歩いた。
満天の星空の下、出会った少年の髪は光の残滓を纏い、余りにも儚く綺麗でふと足を止めてしまった。それこそ運命のようではないか。
年に一度会うことを許された恋人が出会う夜に、出会うなど。
「…ああ」
掠れた元親の声が耳朶を打ち、元就はゆるりと過去に浸かっていた意識を戻した。
元親の大きな節くれだった手が優しく髪を梳く。
許すように瞳を閉じて元就の唇が、微か、音を紡ぐ。
性別も分からぬ不可思議な神秘性に満ちた、その静かで優しい音に元親が笑った。
歌貴としての力を行使するため歌う歌と違い、それは純粋に元就の紡ぐ歌である。

「初めて会った時に歌った歌だな」


答えの代わりに続く旋律が、やがて一つから二つ、多重に重なっていく。
元就の声に応える様に、世界に宿る精霊たちが音を辿って追っていく。
歌う元就の背中から腕を回すように抱き込んで、元親は神聖な響きを享受して空を仰いだ。
出会った時と寸分違わぬ夜空が其処にあった。



>>七夕の季節とかけて。壱夢庵、朋子さんから借りた設定でのお話。
   ああああ。しかし全然、駄目だったああああ…!orz!

そこに一つ、綿々と継がれた一つの文化があった。
栄華を尽くしたか、荘厳であったか。今はもう分からない。長い時間を掛けて遺跡となった都市の中心部で青年は立ち尽くす。
乾いた風が頬と髪を嬲り通り過ぎていく。
目に砂が入らぬよう半ば生理反射で目を閉じた青年は瞼の裏に残像を結ぶ。
ゆったりと酷い猫背の男が、金髪と銀髪の子を連れて丁度この場所を歩いている…そんな残像。
「…竜崎」
呼びかければちらりと振り向いた男が、しかし何処か視線を彷徨わせてまた青年から離れていってしまう。
残像は明確に結ばれたのにまた離れていく。
そこで青年は伏せた瞼を持ち上げた。
広がるのは嘗て繁栄した名残も見せぬ打ち捨てられた古都。
乾いた大地には水はなく、既に死せる地にさえ思えた。
ゆっくりと青年は残像が消えていった方向に歩き出す。砂埃が一歩踏み出す度に舞い、肺に埃が極力入らぬよう青年は首に巻いていた布を口元まで引き上げた。
進む先にも人の気配無く、生活の跡も今はない。
到底誰も住めない場所なのは一目瞭然である。見失いそうになる残像を青年はまた瞳を閉じて脳裏に結んだ。
この場所には一度も来たことがない。だから本当は知らない場所であるはずなのだ。夢であるならば何故こんなに現実的に鮮明で見たことのない場所を違うことなく脳裏に浮かべることが出来るのか。
青年には甚だ疑問だった。
「……竜崎」
自信の中で結んだ残像は実像なのか。
ただ青年の通りの良い声で名を呼べば僅かに男は振り返り視線をくれるのだ。
しかし青年はどうやって彼の名を知ったのか覚えていない。最初から知っていた気もするし、彼から聞いたような気もする。だが残像でしかない彼が名を教えることなど出来るだろうか?
青年は考えるのを止めて現実に広がる遺跡に目を向けた。
色褪せたモザイク画の残骸が辛うじて壁となり、地面に散らばった彩りに陽光があたれば影に鮮やかな色を施す。
不安定な足場に気をつけながら崩れかけの壁をくぐり抜け青年はそこで立ち尽くした。
遺跡の中心に位置する広場は崩れた壁が大半を覆い、元の様相の半分は予想も出来ない。
青年は一歩踏み出してぐるりと開けた空を見上げた。容赦なく照りつける日光が目を焼く。
そしてすっと一度息を吸って目を閉じた。
鮮やかに瞼の裏、残像は結ばれる。いや、最早それは残像とは呼べなかった。
男が広間の中心で振り返る。酷い猫背の男は顔色もまた酷く悪かった。男が両脇に連れていた子供も同じように振り返り少しだけ困った様子で笑う金髪の子供と、興味も無さそうに視線を彷徨わせた銀髪の子供が男の両脇で大人しくしている。
この二人の子供のことも、何故か知ってる気がして青年は呼びかけようとする。
男の名は知っている。
―竜崎。
何度も呼んだ。現実でも夢の中でも数えられないくらいに自然と男の名は口に出来た。
けれど男が両脇に連れている子供の名は思い出せない。
「……、夢と現実、私と幻」
「幻想と現実、虚構と真実」
「此処に来れば罪の呵責が消えると思いましたか?」
ふ、と。
今まで幾ら呼びかけても答えなかった三人が口々に言葉を言う。
「…な、に?」
からからに乾いた喉がこくりと鳴った。自然と水分を求めた結果に掠れた声は妙な響きを持ち不自然に浮く。
「目を開けて下さい。月君」
真ん中にいる男が優しくそう告げる。目を閉じた、残像を結んだままではなく現実をと望む声。
従って目を開けば途端に大半が瓦礫と化した都市の広場が視界に飛び込んでくる。先程と違うことと言えば、瞼を閉じなくても目の前に残像としてあった男が存在していることだ。
「竜崎」
「…酷い有り様ですね、此処」
青年の呼びかけに男は答えずきょろきょろと見渡してのんびりと感想を告げる。
何を呑気なと言い掛けて、確かに栄華を極めた文明の末路だとしたら酷い有り様だと思い直した。
男だけでなく両脇に寄りそうにして子供も二人、じっとそんな青年の様子を見据えている。
「追いかけてくるとは思いませんでしたね」
「…どうして?」
「振り返らない覚悟があるのだと思っていたからです。正直貴方にはがっかりです」
白い無地のシャツにゆったりとしたジーンズを穿いた男はきっぱりと辛辣な言葉を投げて寄越す。
日光に晒されるのと対照的に男の血色の悪い白さは際立った。
「……後悔してるんですか?」
「何?」
「……L、」
ふふ、と笑みを浮かべた男をまるで窘めるように銀髪の子供が男の服の裾を引く。
記号のような名で呼ばれた男は応えるように頷いて、空いた手で子供の頭を撫でた。
「月君、此処をどう思います?」
ぐるりと見渡す廃墟のような場所。
嘗ては繁栄と典雅と活気に満ち溢れていたに違いない場所。
「……寂しい、」
「貴方が作ったんです」
青年が言い終わる前に男が告げる。
何の感情も乗せない凪いだ声で告げる。
気遣わしげな視線が金髪の子供から投げかけられ、青年は男の言葉を上手く理解出来ずに首を傾げた。
途端、今まで居たはずの景色は音もなく書き換えられ混じりけのない暗闇に浸される。
「本当、泣いてどうするんです。夜神月」
呆れた穏やかな声は耳朶を打つばかりで、青年は未だ自分の状態が如何様であるのか把握していない。
泣く?
泣いている?
誰が、と思いかけて確かに頬を伝う冷たさに気付いて男の言葉が嘘でないと知る。
「良いですか。貴方が望んだんでしょう? 今更、私達を追いかけても無理です。私達はもう貴方の道とは交わらない」
当たり前だと言い返そうとした青年の声は喉に詰まり反論も出来ない。
「そして、世界は貴方の望む通りに変わったんです。満足でしょう? ……だからこんな現実逃避はいけません」
塗れた頬に低い体温が、さらりとした感触の指先が触れる。
少しだけ笑っている男は何処か悲しげだった。

「さあ、起きて下さい。また貴方の、貴方が望んだ世界での、一日が始まります」
 ―そしてもう、私達を追ってはいけませんよ?


突然浮上していく意識の中、様々なものが逆巻きに記憶として再生される。
男の両脇で大人しかった子供の名も今は頭の中にあったし、自分が何であって、自分がどうしなければならないのか…青年は全てを理解していた。
その中で、夢を見ていたと結論づける中で、結局あの男の名前だけは忘れなかったのだと何故か笑いが漏れた。
全てを勝ち取り、姿の見えない具現化された神となり秩序となった青年は自嘲する。
男も二人の子供も自らが世界から葬ったのではないか。
それを追う残像を見るなど。確かに罪の呵責とも取れて笑ってしまう。
「……、でも違う。僕は、」
敵対したその三人を葬った事に対しての罪悪など無い。あるのは期待だったのだ。
選んだ道、交わった道、最初の選択が無ければ決して無かった邂逅を、それでももしかしたらと考えてしまうそれ。
心の何処かで望んだ期待を青年は夢の中で残像として追った。既に叶わないからこそ。

 

そっとそこまで考え目を開けた青年の視界に窓から差し込む光が柔らかに映し出された。
ああ。やっと夢は終わったと納得するのと同時に、男が最後に投げつけた言葉でもう二度と同じ残像を追うことはないだろうと思う。
寝具から身を起こしながら光を遮るように瞳を閉じた。
男の言う通り脳裏はもう残像を描かない。
「ああ、本当にお前はいつまで経っても気にくわない」
青年はぽつりと呟いて笑う。自嘲というよりは、泣いてしまいそうになったのを誤魔化したような笑みだった。
その日から青年の夢は残像を映さず、抽象的でなければいけなかったはずの一人の人間の正義が押しつけられた世界は青年の瞳にモノクロに映って見えるようになった。
最後に残像を追った夢の景色の意味を青年はゆっくりと噛み締める。
認めたくないのに、苦労して青年が作り上げた世界の秩序が青年の瞳に破綻を映した。




>>デスノって現実的な表現も、抽象的な表現も良く合うと思う。
   個人的には月をどこか崩れかけた遺跡にいさせたかっただけのネタであったりしました。

   Lもメロもニアも破れて、新世界の神になった月の少しの後悔。

辛島くん、と耳が声を拾った。
少女の声だった。
それは普通すぎる、有り触れた何処にでもある声。
一瞬出そうになった声を押しとどめて辛島と呼ばれた少年は振り返る。
成長途中の不安定に細い線の彼は色素の薄い髪を揺らした。
駆け寄ってくる少女が振り返った辛島と目が合い笑う。国府さん、と口の中だけで呟いた。それは少女の名。
極力、少年は自分の声を出すことを抑える。
否応無しに彼の声には行使力があり、少年の意志に関係なくその言葉は口にした内容を、それを聞き届けた相手に従わせる。
一種奇跡のような声。
しかし少年にとっては人間として生活する上で一番煩わしいものだった。

「良かった、追いついた」

軽い足音を響かせて辛島に追いついた少女が淡く笑う。
肩で息をする彼女は随分と走ってきたのだろう。
未だ整わぬ息の途中で少女はすっと指先を、先程辛島が曲がった道路の先に向けて話し出した。
「あのね、あそこで丁度辛島くんが見えたから…」
「追いかけてきたの?」
不意に疑問に思って口を突いて出た言葉は細く、しかし少年はしまったと口元を手で押さえた。
「…うん、そう」
望むと望まないとにかかわらず、行使力を持つ辛島の声に少女が怯むことはない。
そっと口元を覆った辛島の手に自分の指先で触れて笑う。
「大丈夫。これくらいじゃ」
全てを知った上で少女は言う。
気持ちを伝えたら相手が「否」でも「応」と答えさせてしまう、意志に関係ないその声の力に怯えたのはいつだったか。
少女に答えるように辛島も笑う。
微か、余り表情のない彼が見せる笑みはいつも柔らかく優しげでどこか儚くて。
人の持つ精神に直接揺さぶりを掛ける声を持ち得た少年の、人間としての怖れは無口な性格とあまり表情を見せないことの表れだと知った時に気付いた気持ちを少女は何と言っていいか分からない。
ただ触れたいと思った。
その、幻影さえも見せる鮮やかな声に。存在に。何より彼自身に。
少しだけ身を引いた少年の、未だ口元にある手をそっと取って少女は笑った。
「いこう」

少女の声に行使力はない。
けれど辛島の心にはそれで十分だった。



>>突然の あかく/咲く声ネタ(笑
   漫画自体を実家に置き忘れているので色々間違いがありそうで怖い…。ブルブル(こら
   とりあえず捧げ物。

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