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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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お前、また無理をしただろう。
広い廊下の端で呼び止められて振り返った瞬間に投げつけられる言葉にブレイクは思わず目を丸くした。
生真面目を絵に描いたような短く切り揃った髪の、まだ少年の域を抜けない相手は一動作で眼鏡の縁を押し上げるともう一度口を開こうとするので、それをひらりと片手で遮る。
「こんにちわ、レイムさん。いきなりどうしたんデス?」
「こんにちはじゃない」
「……不機嫌そうですネ?」
挨拶を跳ね付ける様に返したレイムがじっとブレイクを見詰めた。そこまで何かを疑うように人を見なくても意味もない騙し事はしないというのに、信用されていないのだろうか。揶揄う行為さえ出来ず自責の念に沈んでいた頃の自分を知っているなら無理もないのかもしれないが、何だって今日は全てを疑ってかかるような目をしている、とブレイクは内心思う。
折り目正しく着込まれた制服の襟が珍しく倒れていて、無意識に手を伸ばした。
「……何?」
「珍しいな、と思って。襟、変になってましたよ」
するりと器用に指先が襟を正した。
それを追う様にレイムの指も襟に触れる。確かに乱れていたのかもしれないと眉を下げたレイムの様子は先ほどの刺々しさが少しだけ薄れて、僅かに残った少年らしさが覗く。
「で、何の御用ですか?」
呼び止めたのだから用事はあるだろうとレイムの様子を窺いながら訊ねられた声にまた彼の眉間には皺が寄った。
失敗したかと瞬時に距離を取ろうとしたブレイクの行動を読んだのか、いつでも逃げられるように距離を離される前に先ほど襟を直した腕が捕まる。
運動は余り得意ではないくせに妙な時に反射が良い。
「レイムさん」
「ザークシーズ、あのな」
振り払う事は簡単なのかもしれない。
所詮物心ついた時から騎士として剣を握ってきたブレイクにとっては、例え力が敵わない相手でも上手く呼吸を合わせれば僅かに拘束された位であるなら振り解くことが可能だった。けれど躊躇う。ぎゅっと力を込めたレイムの手は布越しでも十分に温かいと知れた。
心配されているのだと理解している。だから振り払えない。
いつからか憎まれ口と軽口で冗談交じりの会話ばかりをするようになったのに、彼はいつでもブレイクを気にかけた。
時間を越え、自分の居場所も何もかもを取り戻す事も出来ず跡形もなく失って、絶望と後悔に沈みそうだったあの時から、彼はずっと変わらず一点の曇りもなく気にかけるのだ。人のことより自分を気遣えと言えば、そっくりそのままお前に返すと言われるようになってしまい言葉を失った事もある。
「具合が悪いんだろう」
「そんなこと、」
「嘘を吐け」
空いた方の手が気遣う優しさで失くした瞳を隠す長い前髪を掻き分けて額に触れる。
温かい指先が触れた瞬間、レイムがはっと息を呑んだ。
「休め」
「嫌ですヨ。これくらい平気です」
元から身体が弱かったわけではない。性別にしては、騎士として小さい頃から剣を握ってきた割には華奢だと言われた事もあるが、寧ろ丈夫だった方ではないのかと思う。こんな風に身体に無理が利かなくなってしまったのは、偏に自らの過ちの代償だ。
時折身体がどこまで平気なのか見誤るのも、今では大分減ったけれど。
「……平気なものか」
溜息混じりにレイムが呟く。
久しぶりに無理を強いてしまった身体は確かに不調を訴えているのだ。そんなの自身が一番良く分かっていると思いながらもブレイクは首を縦に振らなかった。暫くすれば治まると言い聞かせるのにも慣れ始めてしまって、気遣う相手が彼の他に少なからず存在してくれる事に感謝しないわけでもないが、自分にそんな価値は無いと思うのだ。
口にしたらきっと怒るだろう。目の前の彼も、気に掛けてくれるここの主人達も。
「レイムさん、あの……そろそろ離して貰えませんか?」
気が済むまでと思っていたが、どうにも離してくれない手を指し示せば唇を引き結んだレイムが腕を引っ張る。
突然の出来事に驚いたブレイクが姿勢を崩す事はなかった。腕を強く引かれて歩き出す。
「レイムさーん?」
無言で腕を引く相手に声をかけても返事は無い。
為すがまま引かれて大人しく後ろを歩きながら、強く掴まれた腕が少しだけ痛みを訴えて、ふと大きくなったなと思った。
手はブレイクの腕をしっかり捕まえてしまっている。初めて触れた時はまだ小さかった筈なのにと思ってレイムを見た。
当たり前になりすぎて気付かなかったが、いつの間にか視線を下に落とす事がなくなっている。いつからだったろう。一言も話すことなく廊下を歩き一室を空いた手で開けたレイムが、無抵抗のブレイクを部屋に引き入れた。
そのままソファの側まで進んで手を離すと、大人しくしていたブレイクの肩を掴んで座らせる。
意外に簡単に座り込んだブレイクを見下ろして腕から書類を奪った。
「ちょっと」
非難の声が上がり腰を浮かせようとしたブレイクの肩を押してもう一度座らせ、書類を持ち上げると一度目を通した。
簡単な内容だから片手間でも出来ると判断する。
「休んでいろ。これは持って行く」
「まだやってませんよ、それ」
「そんなの見れば分かる。やっておいてやるって言ってるんだ」
「それは嬉しいですけど、私、本当に大丈夫ですヨ?」
見下ろされた視線を真っ向から受け止めてへらりと笑えば、小さく溜息が落とされた。
「あのな、ザークシーズ」
「はい」
「気付いてないのかもしれないが」
レイムの指が長い前髪越しに額に触れる。くすぐったくて少しだけ身動ぎをしたブレイクが視線を上げた。
「嘘を吐けない位には具合が悪いだろう」
「……は?」
思わず間抜けな声を上げてしまった。
確かに具合は悪いけれど、一体どういうことだろうと首を傾げたブレイクに準備の良いことでそのままクッションが投げられる。上手く受け取ると同時に困ったような声が落ちた。
「他は知らないが、私にはそんな下手な嘘は通用しないぞ」
一体何年の付き合いになると思ってる、と呟かれた言葉に思わず笑ってしまった。
そうだ。数える事などしなかったが、ずっとずっと小さかった彼がいつの間にか身長を越してしまったくらいには年月が経っている。こんな風に振舞う前の姿を彼は知っている。
「……可愛くないなぁ」
ブレイクの口が紡いだ言葉に眼鏡を押し上げたレイムがじろりと視線を返した。
今まで自覚してなかった自分も自分だが、簡単に身長を抜かしてしまったレイムにブレイクが笑う。
「レイムさんったらいつの間に、そんなに大きくなっちゃったんだろう」
「……何の話だ」
「あんなに小さかったのに」
歳の割には分別の良く付く大人びた子どもだという印象はあったけれど。
まだ子どもだった彼は出会った頃から、周囲が扱いかね距離を取ったブレイクを気にかけ、時に叱り付けては主人達と同様ブレイクの閉ざされた心の扉を叩いた。
いつの間にか歳の離れた友人となったレイムに、どこかしら甘えてしまっているのをブレイクは自覚している。
クッションを両腕で抱えて頭をそこに預けながらブレイクは言う。
「ねぇ、レイムさん」
大人しく座って動かないブレイクに安心したか、少しだけ距離を置いたレイムが首を傾げた。
「これ以上、大きくならないで下さいヨ?」
「は?」

――だって、何かと頼りたくなってしまいそうだ。


意図を図りかねて困惑するレイムにブレイクは苦笑する。



>>気付いたら本編よりの二人は久しぶりな気がする眼鏡と帽子屋さん。
   掬って救われて、掬われて救ったような二人な気がするんだという話。

   うちのレイムさんは色々お小言が多い気がする。いいんだよいいんだよ。

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「ネェ、元就さん?」
背筋のぴんと張った姿勢の良い後姿に声をかければ、たった一動作滑らかな動きで中性的な面立ちの女性が振り返る。
音も少なく乱れない姿勢には成る程、彼女の国において彼女が優れた舞い手であると十分に感じられた。
「どうかしたか?」
ほう、と知らずに息を吐いたザークシーズに元就が訝しげに声をかける。
小首を傾げる姿はそれでいて狐のようで愛らしいので思わず笑みを浮かべてしまった。
「いえ、ちょっと聞きたい事がありまして」
部署は違えど時間の都合がつけばお茶を共にする関係にある二人は、それなりに仲が良い。
にこりと笑うザークシーズに元就は廊下に備え付けてあったベンチを示す。座って話す時間くらいはあるという意思表示に「ありがとう」と短く言葉が返る。
「それで?」
何を聞かれるのだろうと切り出した元就に、徐に手が伸びる。
白く冷たい指先が元就の肩で揃えられた癖のない髪に触れた。
「……?」
「日本人は髪が綺麗だっていうのは前から思ってるんですけどネ」
さらりと指通りの良い髪が白い指先から零れ落ちて元の位置で落ち着く。ザークシーズの甥の一人の想い人の髪も頓着が無いようで綺麗だと思うのだ。遺伝もあると言っていた気がするが、元就とその少女は血縁者だ。だから尚そう思うのだろうか。
「ザークシーズ、要点を得ないのだが?」
「ああ、すみません」
髪に触れたまま反応のないザークシーズに困ったように声が掛かり、はっと指先を離した。
「髪がどうかしたか?」
元就からすればザークシーズの持つ特有の色彩が綺麗だと思うのだ。
日本人にしては色素の薄い元就の髪だが、ザークシーズのそれは違う。少し紫の掛かったような白。その髪の毛は一定の光を浴びると不思議とハレーションを起こしたように見えるのだ。
そんな色は中々持ち得ないものだし、それこそザークシーズの生家の人間でも同じような髪の色を持つ人間にしか表れないらしい。親戚はここにも数人いるが、しかし彼女と同じような残滓を描く髪は見たことがなかった。
「お手入れってどうやってしてます?」
ふ、と。
真剣に問われた言葉に元就が呆気に取られる。
何を聞きたいのかと思ったらそんなことか、と思うのと同時にらしいと思ってしまった。
「……あ、笑いましたネ? 私、本気で聞いてるんですヨ」
「ああ、分かってる分かってる。ある意味お前らしいと思っただけだ」
元就が笑ってしまったのを冗談ととったのか、少しだけ機嫌を損ねた声にはたはたと手を振って元就が否定した。
何も彼女がふざけて聞いてきたとは思っていない。
矢張り姿勢が良く、普段は余り気にしてないような様相の彼女だが、元就は自分よりも彼女はずっとずっと可愛らしいと思うのだ。アフロディーテに来る前は軍人だったという彼女は王族でありながら女性的な格好はしてなかったが、それでもとても女性らしい。
「我よりもお前の方が洗髪料には気を使ってそうだがな」
「ええと、そうですか…? いや、髪質もありますから」
「普通だぞ。至って」
「矢張りそう答えますか。隆景君にも一応聞いたんですけど、同じような答えでした」
「何だ、隆景にも聞いていたか。あれは……我よりも無頓着だがな」
姉の末の子どもとは、今は縁あって同じ職場で働いている。
それこそ末の子は今になって大分女性としての自覚が芽生えてきたようだが、知り得る限り三人姉妹の中で一番無頓着だった記憶があった。髪を手入れするにしても何か拘りがあるとは思えない。
「うーん。隆景君も髪の毛綺麗ですよネェ。元就さんは置いても、彼女は確かに無頓着そうデスから秘訣があると思ったのになぁ」
「……秘訣か」
「矢張り何かありますか?」
「…………、いや」
興味深々に問われても何も思い浮かばない。
腕を組んで考え込んだ元就は、ふと顔を上げた。そういえば自分と隆景、共通する一つのことがあった。
「櫛」
「はい? 櫛?」
「ああ。そうだ、櫛」
「梳かすあれですよネ。それが秘訣?」
「あの姉妹には一人ずつ昔、櫛をやったのだ」
ちょっと待っていろ、と告げて元就はベンチから立ち上がる。言われた通り大人しく座ったままのザークシーズを置いて自分のロッカーに走った元就が無造作に鞄を引っ掴んだ。
そして元来た道を戻る。
大人しく待っていたザークシーズが首を傾げた。
「元就さん?」
「柘植の櫛はな、日本では昔からある櫛なんだ。髪を傷めず良いといわれていて、我はずっと使っていたし、あの子たちにも折を見て贈ったんだ。他の二人はともかく、隆景なんてあんまり櫛など気にしないだろうから貰って丈夫に使えるならずっと使っているはずだ」
鞄から和柄のケースに入った櫛を取り出して元就が指し示す。
柘植、と呼ばれる木が日本では櫛や印鑑に使われているのはザークシーズだって知っている。
昔から重宝するものであったらしいし、櫛に関しては大切に使えば一生物という話も何処かで聞いたことがあった。
目を細めたザークシーズの横に座り直して元就は笑う。
「他の櫛を余り使ったことがないので分からないが、静電気は起き難いぞ、それ」
「へぇ…。それは良いですネェ」
ケースから出された櫛は随分と使い込まれている。けれど使われ方が良いのか欠けたりはしていなかった。
まじまじと見詰める様子に元就が「そうだ」と声を上げた。
「……はい?」
「それは我がずっと使っているものだから、やれぬが。……今度お前に柘植櫛をやろう」
「え? いや。悪いですヨ」
「いつも土産やら何やら貰っているからな。気にするな、櫛を扱う店が実家に良く出入りしている」
何に置いても物には質がある。
元就の実家はそれなりの名家であるし、そんな家が懇ろにする店の品物は良いものばかりなのだろう。
それをさらりとやると言った彼女にザークシーズが苦笑を零した。どうにも矢張り悪い気がしてならない。
「でも」
「試しに使ってみると良い」
ふっと笑った元就はこれ以上の言葉を続けさせず立ち上がる。
用事は終わったとばかりに「またな」と手を上げて去っていく背中にザークシーズは肩を竦めた。


***


風呂上り。
無造作にそこら辺にあった輪ゴムで髪の毛が痛むのも構わずに一括りにしたヴィンセントは、するりと伸びた細く白い腕に捕まった。いつも通りに輪ゴムは解かれることなく、引っ張られるのを避けて切られる。
「ちょっとぉ、エノー」
「ハイハイ、駄目ですヨ。何度言ったら分かるんですか」
無頓着すぎるヴィンセントが邪魔にならないなら気にしないと輪ゴムで髪を結ぶのを、いつも止めるのはザークシーズだ。
手入れも何もしていない毛先はぱさついてしまっていてブラシを入れようとすると引っ掛かる。
それを嫌がるヴィンセントを宥めるのもいつも彼女だった。
「やだよー。ブラシ嫌いー」
だって痛いんだもの、と漏らしたヴィンセントに幼い子供をあやすような口調が返る。
「だったらもうちょっと気を使いなさい」
「別に必要ないもん」
「貴女は普通にしてたら美人なんですから」
大人しく座っていないと実力行使に出られてしまうため、大人しく座ったヴィンセントが唇を尖らす。
別に本当にどうだって良いと思っているのだが、周りの反応を見る限りそうもいかないらしい。
髪がブラシに引っ掛かって引っ張られる感覚が嫌で、憂鬱だなぁとぼんやり思いながら、
「あれ……?」
今更気付いた。白い指先が髪を梳かすのはいつものことで変わらない。
ただ少し固い材質なのだろうか。ブラシが入った瞬間頭皮に硬い感触があたり、それが妙に心地良かった。
櫛通りも滑らかで少しは引っ掛かるがいつもよりも抵抗もなくするりと毛先まで梳かされていく。
「帽子屋さん、ブラシ変えたの?」
「ええ。貰い物です」
するすると白い指が一通り髪の毛を梳かし上げ、赤い色のゴムで器用に髪を一括りに纏め上げる。
終わったのを見計らって振り向いたヴィンセントは、白い指が持つ見た目は質素とも言えるシンプルな櫛に目を留めた。
どうやら貰い物とはこれらしい。
「凄いねぇ、誰から貰ったの? いつもより痛くなかったよ」
「……元就さんからですよ」
「隆景のお母さんだね、良いの貰ったね、エノー」
にこりと笑ったヴィンセントに言わせれば、梳かしても髪に引っかかり辛い櫛というのがポイントになるだろう。
金の毛先が少し跳ねる髪に触れてザークシーズも笑った。
「そうですね」
いつもよりも引っ掛からず絡まなかった毛先は、静電気を起こして広がる事もなく落ち着いている。
さらりと指先から落ちた髪が背中で落ち着いた。
「これで貴女の髪のお手入れも少しは楽になりそうデス」

やだ、それって帽子屋さんの自己満足じゃない。僕別に良いもん。
そうぼやいたヴィンセントの声音が、そこまで嫌がっていないのを聞き取ってもう一度笑った。



>>個人的に柘植の櫛を頂いて使って感動したんで、その感動をエノアさんに代弁してもらったよ、っていうネタ。
  そんだけです(笑

打ち合わせの時間に遅れてしまいそうだ、と近道しようと細い道をわざわざ走って通り抜けようとしていたというのに、よりにもよってそんな状態で、隆景は足を止めた。
ふと呼び止められてしまうような微かな空気の震え。気付かなければそのままだったのだろうに。
でも僅かに琴線に触れる感覚に足は自然に失速してついには止まってしまったのだ。仕方の無いことだ。
(……歌?)
冬の名前を抱く想い人とは声が違う。だから彼ではないというのは分かるけれど、何か似ている気がするそれに自然と惹かれてしまった。頭の隅では自分で架した時間のリミッターが赤く点滅している。一度立ち止った時点で間に合いそうにもないと結論を出してしまったので諦めた。
細い路地を暫く歩くと角を曲がる。少しだけ開けた場所は四方を壁に囲まれていた。
「……あれ?」
確かに此処から聞こえていたと思ったのだ。しかし足を踏み入れた隆景以外に人影はなく、立ち去ったのだとしても道は一つだけ。隆景と擦れ違う筈なのに誰にも会っていない。
気になった歌は既に消えてしまっている。
「気のせいだったのかなぁ」
もしかしたら空気に震えて、自分は彼の歌声を思い出したんだろうか。
或いは記憶させたデータベースから無意識に情報を引き出したか。
考えても答えはわからず、仕方ないと肩を竦めて隆景は踵を返した。
本当、今からでは打ち合わせには間に合わないのだが……。走っていく方がマシだろう。軽い足取りで一歩を踏み出すと今度こそ目的地へと駆け出した。


***


―――あのねぇ、冬さん?
―――『どうしたの、景ちゃん』
―――デメテルとアテナのさ、第3区画間の抜け道の路地知ってるよね?
―――『知ってるよ。どうしたの?』
―――そこでさ、今日の昼間誰か歌ってた気がしたの。知らない?
通信回線越しの会話で相手が考え込む沈黙が流れた。
―――『ううん、僕は知らないな』
―――そっか。変なこと聞いてごめんね。
―――『良いけど。明日も早いんだから、もう寝た方が良いよ』
―――そうする。お休み、冬さん。
なんだ。彼でも分からないか、とベッドで寝返りを打って隆景は目を瞑る。
打ち合わせには多少遅れたが自分が怒られなかったのは、アテナの担当職員だったザークシーズも自分と同じように遅れてきたからだ。珍しい事もあるものだと首を傾げれば、彼女も少しだけ困ったように「少しだけ用がありましてね」と返して寄越したのだが。
ふわりと彼女の服から漂った香りに覚えがあった。
確かに今日、どこかで。と思ったのだけれど、思い出せずに打ち合わせに入ってしまって結局聞けず仕舞いだった。
ゆっくりと睡魔に誘われる思考回路の中で、ぼんやりと隆景はそうだと思い出す。

(そうだ。あれ、……あの路地を抜けた先の花畑の、)

だったら。あの優しい歌は彼女のものだったのだろうか。



>>強化期間は終わったので、今度は時折書けたら良いね具合にしようかなとか。
   そろそろ違うのも書いてみたいな

「あのな、エノア。話があるんだ」
その日、レイムは数日間気のせいかと思い込もうとしていた事柄について、結局放っておく事が出来ず自分の妻に相談する事にした。畏まった言い方にソファで本を読んでいた妻が首を傾げる。
何かありましたっけ、と言いたげな態度に少しだけ気まずくなりながらレイムは向かい側に腰掛けた。
「どうしました? そんな改まって」
本から視線を外して真っ直ぐ見詰めてくる妻に何から切り出せば良いのかと声を掛けたにも関わらず躊躇う。
その様子に何を思ったか、訝しげに眉を顰めたエノアが細いその指を伸ばしてきた。指先は真っ直ぐにレイムの眉間を捉え、指の腹でぐりぐりと揉み解される。
「何するんだ」
背もたれに体を預けるようにして身を引き、手から逃れたレイムが非難がましく言う。
それに全く悪びれのないらしいエノアが笑った。
「そんなに皺寄せてるからですヨ」
尤もらしく言ってのける妻に、一瞬眉間に伸びかけた手を止めた。
何とも情け無い話である。
「……で? どうしたんですか?」
ちゃんと話を聞いてくれる気らしい彼女が丁寧に栞を挟みこんで傍らに本を置いた。ぱたりと乾いた音が響く。
事の発端は一週間と少し前、自国の王家と血縁関係にある名家の娘が家出したのを保護したことに始まる。
余り大事にしたくないらしい彼の家の希望で、自国出身で口が堅そう或いは事情を少なからずとも知っている人間に娘の保護命令が下った。レイムも例外ではなく、同僚に手をつけていた仕事を任せて奔走することになったのだが、その騒ぎで自分にどうにも噂が立ってしまったらしい。
特段落ち度は見当たらなかったのだが、それからというものアポロンにいても管轄下の三機関に行ってもひそひそと何か囁かれる始末である。最初はそこまで気にせずいたのだが、未だ消えないどころか広がる反応にどう対応して良いのか分からなくなったのだ。
「……エノア。噂話を聞かないか?」
「何のデス?」
「いや、その……、最近一番噂になってるのは何だ、と聞いた方が良いのか」
歯切れの悪い夫の言葉に曖昧に相槌を打ってエノアはにこりと笑う。
「レイムさん」
「な、なんだ?」
「何をそんなに過敏になってるんですカ。人が見ているなら尚のこと、堂々としていたら良いんですヨ」
さらりと言われた言葉は、きっと彼女がずっとそうあったであろうことを容易に告げる。
何処においても、何時においても、例え周りが全て敵であったとしても、彼女は凛と背筋を伸ばして立っていたのだから。
「……、」
「デモネ、私、ちょっとだけ妬いてますヨ」
「は?」
「だって貴方の噂、貴方が一生懸命あんな長距離走やらかすもんだから。珍しいって言われるだけならまだしも、女性職員の中には”レイムさんって格好良かったんだね”っていう子も出てきちゃう始末デス」
「何を言って?」
「若くて可愛い子ばっかりですから、私は気が気じゃないですよ」
ふっと息を吐いた、少しだけいつもよりも落ち着いた声が落ちる。
穏やかに言い切った妻は、そう、自分と結婚した事を悔いてはいないだろうが、後悔はしないと断言さえして見せたが、年が十歳以上離れていることを気に病んでなのか、子が生めない体なのを気にしてなのか、少しだけ引いている部分がある。
何か言ってどうなるものではなく、言葉を重ねても変えられないからこそ、レイムは何も言わないのだ。
「……、エノア」
「何です? レイムさん」
「大事にするって言った筈だぞ?」
「……はい? ええ、そうですネ?」
不思議そうに目を丸くした、その紅い宝石のような瞳を手で遮る。レイムさん、と小さく困ったような声が聞こえた。
「だから安心していろ。お前以外は選ばないから」
視界を覆うレイムの手に白い指がそっと重なる。細くて冷たい指がゆるりと絡みついた。
そして重力に逆らわせないというように腕が下ろされていく中で、現れた紅の瞳がゆっくり細められていく。
「……約束だぞ、レイム」
「馬鹿だな。こんなの、約束しなくたって守れるぞ」
さらりと返した言葉に彼女は今度こそ声を立てて笑った。
何がそんなに面白いのか肩まで揺らして笑う彼女を見下ろして、レイムも笑う。
「もう平気そうですね、レイムさん」
笑い揺れる声音でそう告げる妻に、そうだなと相槌を打ちながら内心参ったと一人ごちる。どこまで計算されているのだかと疑うが、これでいてこの妻はこの方面に関しては全くと言って良いほど天然だ。ある意味無防備で困ってしまうと少しだけ違う心配が掠めたが、既に相談した筈のことなどさっぱり吹き飛んでしまった。


>>博物館設定、眼鏡と帽子屋さん
   アリスが帰った後のお話。この二人何もしなくてもくっつくんだな^q^

   そして私はこれで7月書き始めてから連続更新を成し遂げた…!
   がんばったねー。来月からはまたもったりだよ。。

シャトルターミナル内の通路を旅行にしては身軽な格好でザークシーズは歩いていた。荷物受取口で一つ鞄を受け取ったがそれにしても荷物は少ない。
ポケットに入れておいた飴を一つ摘んで外に出ると、すっかり暗くなってしまっている空を見上げて目を細める。
明日まで休暇申請は通っているから、明日は予め自宅に送っておいたお土産を各々に配りに行くとしよう。どこから回ろうか…? と考えを巡らせたところでするりとロータリーに入ってきた車がクラクションを鳴らした。
ザークシーズの目の前に音も少なに付けられた車の、その運転手を覗き込む仕草で彼女は手を振る。
「レイムさーん」
自分の夫を少しだけ間の抜けた調子で呼ぶとパワーウィンドウが下がって、中から夫が顔を出した。
短く揃えられた金茶の髪がターミナルの照明を受けて、鮮やかな色に染まる。
「荷物は?」
問われて手の中の荷物を少しだけ持ち上げると、心得たように後部座席のドアが開いた。
そこに荷物をおざなりに放り込むとザークシーズは助手席のドアに手を掛けて、するりと体を滑り込ませる。
どうにも夫の妙な気配りのせいで後部座席に乗せたいらしいが、彼女にとっては助手席の方が余程良い。
「後ろに乗れ」
「嫌ですヨー。此方が良いです」
既に助手席にちゃっかり座ってシートベルトまで締め終えたザークシーズに溜息一つ零して夫は車を発進させた。
エンジンの低音がどうにも心地良くて座席に全体重を預ける様子に、夫が苦笑する。
「楽しかったか?」
「ええ。今年は去年までとちょっと色が違いましてネ、面白かったですよ」
ザークシーズの祖国で毎年執り行われる祭りは、それに合わせて街全体が華やかに彩られる。
王族の中で選ばれる一人が毎年祭りのために色を決める籤をするのだという。箱は偏光硝子に色を混ぜた独特の細工で、外から中は決して見ることが出来なかった。去年は青。その前は藍。どうにも数年寒色系の色が続いたのだが、今年引かれた籤は違う色だったらしい。
去年は仕事の都合が何とかついて一緒に祭りに出かけられたのだが、確かに綺麗だった。
「今年は何色だったんだ」
「それがですネ」
くすくすと笑うザークシーズがついと運転する夫にその白い指先を伸ばした。
「……何」
「こんな色をしていたんですヨ」
微かに、短く切り揃えられたレイムの髪が白い指に引っ張られる。
嬉しそうに笑うザークシーズを横目で見て彼もまた笑った。
「そうか」
「綺麗でしたよ」
何故か自分が褒められたような気分になる言い方に、少しだけ気が気でなくなりそうな感覚を受けながら相槌を打ったレイムを紅の隻眼が真っ直ぐに見詰めてくる。
「ザクス?」
名前を呼ぶとふっと笑う。
順調に進んでいた車はそこで動きを止める。気付けば家の前に到着していた。
「――でも」
サイドブレーキまで引いて停止したのを見計らったようにザークシーズの手が、レイムの締めていたタイにするりと落ちていく。
その滑らかな動きとは違って少しだけ強引に引っ張られた。
触れるか触れないかのキスを交わして白い指がタイから離れる。
「こっちの方が余程綺麗だ」
満足そうに細められた目に、何を言うとレイムは内心零して宙に浮く白い指を掴み引き寄せる。
反射神経の良い彼女が少しだけ困ったような表情をして、シートベルトを外した。軽い体はいとも簡単に傍に寄る。
狭い空間で上手く抱き寄せてもう一度触れた唇から小さく声が落ちる。

「ただいま、レイム」
「ああ。おかえり」



>>眼鏡と帽子屋さん。
   お祭りの話のちょっとした続き。博物館設定にて。

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くまがい
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女性
自己紹介:
此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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