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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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――ねぇ、どうして? 求められたのに応えなかったの?
純粋な少女の声が側で聞こえて、どうにも伏せていた目を眠っていた意識を引き戻さなくてはならなかった。
色彩は滅茶苦茶で綺麗な蒼をしていたかと思えば次の瞬間には血で染めたような赤に変わる、そんな空間で色を持たない少女が笑う。
「ね、どうして?」
空間は捻れ到底生身の人間が長く存在出来るものではないと感じる。そう、最初に来た時に身を持ってして実証した事だ。
ぼんやりと焦点の合わない視界の中、ふわりと近づいた純白がそっと髪を撫でた。
「ケビン? ちゃんと起きてる?」
そして問う。起きてはいる、と返したいのにどうにも体が余り言う事を聞かないのだ。視界もまだ定まらず上手く像が結べないまま、暈けた中で少女が首を傾げたのだけは分かった。そっと髪を梳く手が肩から零れ落ちる一房にも触れて笑う。
「もう起きる時間よ、ケビン」
くすくすと笑みを象る唇が近づいてそっと触れた。瞬間、あんなにも暈けていた視界が鮮明さを持って実像を結び、少女の笑顔が眼前に浮かび上がる。
「……アリス」
掠れた声で名を呼べば少女は満足げに目を細めて髪から手を離した。そしてくるりと裾を翻し踊るように回って、もう一度問いかける。
「ねぇ、どうして応えなかったの? ケビン」
「したくないことはしなくていいと、言ったのは貴女でしょう?」
「そうだったかしら? でも本当にしたくないのかしら? ケビンは嘘が下手ね」
にこりと笑う少女の言葉はあどけなく、それ故に酷く鋭利な刃物のように心を突く。
まだ慣れない感覚に内心嫌気を覚えながら立ち上がると足元がふらついて、結局は今まで凭れ掛かっていたソファにもう一度座り込む羽目になった。
「ああ、まだ慣れてないんだから無理はしないで?」
その様子に少女の声が返る。軽い足取りでもう一度近づいた彼女が目の前で手を振った。
「でも、無茶よね。まだ慣れてもないのに契約も無しであっちで力を使ってくるなんて」
貴方馬鹿なの? と付け足した少女に笑う。
「そうかもしれないですね」
「そんなにあの人が大事? ねぇ?」
問う声は酷く純粋に聞こえて首を傾げれば、少女もつられるようにして首を傾げた。
「分からないわ」
ぽつりと呟いた声は真実なのだろう。本当に理解し難いというように眉を顰めた少女が彼に聞こえないように呟いた言葉を反芻する。

――なら何故、”忘れてください”なんて言ったの?

そんなの簡単だ。忘れてくれたら悲しまないのだから、忘れてしまったらもう追いかけて苦しむ事もないのだから、そんな姿を何よりも見たくないから祈るように呟いてしまったのだ。
彼には聞かれないように、本当なら誰にも聞かせないように。


   ...心を占める残響


アヴィスは深淵に沈む全てを飲み込む闇、とは実際の所いかなかった。
捻れ歪み色々なものを内包し全てが定まらない中、その深い底で純白を纏った少女が存在している。彼女こそがアヴィスを形成する核であり、アヴィスで生きるチェインにとっての絶対であった。
部屋の中、腕で抱えられる限界の大きなうさぎの縫い包みを抱きかかえた彼女が鈴の音に顔を上げた。
部屋の入り口に現れた黒い闇に笑って手招きをする。
「いらっしゃい、チェシャ」
その言葉に鈴を鳴らして入って来た、人の姿を取る、元は猫であったというチェインはソファに大人しく座る存在を一瞥した。
一度それには酷い目に合わされている、と決して近寄らない様子に少女が首を傾げる。
「そんなに怖がらなくても良いのよ? 彼には貴方を苛めない様にちゃんと言ってあるわ」
「アリス、でも」
「大丈夫よ。ねぇ、ケビン?」
促すように名前を呼ばれてしまえば何かしら答えを返すしかなく、ゆるりと視線を上げた先で少女の視線が絡みつく。
「……ええ」
それだけを答えてまた瞳を伏せてしまった様子にチェシャが首を傾げた。
「なんだ? まだ動けないのか?」
「違うのよ、チェシャ。やっと動けるようになったのに馬鹿だから、あっちで契約も無しに力を使ってきたの」
「……何で」
「大好きな人の為に、なのよ。可愛いわね」
さらりとした少女の言葉に猫は分からないと首を振り、ゆっくりとソファに座る彼に近づいた。
丈の長い上着を着込み、帽子を斜めに被ってソファに凭れる彼の癖の無い銀糸がふわりと揺れて、同じ色の瞳が開かれてチェシャを見る。
途端歩みを止めた猫に彼は小さく笑った。
「ちょっと、苛めないでと言ったでしょう?」
少しだけ嗜める声に肩を竦めて彼は言う。
「苛めてなんていませんヨ? 一方的に怯えてるだけです」
しれっと言い切った存在にチェシャは何とも言えない感情を覚える。
容赦なく痛めつけられ、大切に守っていたものを彼に奪われた感覚はまだ新しい。それを忘れてしまったような物言いはチェシャにとって癪でしかなかった。爪の長い腕を音も無く振り上げたチェシャがソファに座る彼に振り下ろすのを少女は止めない。
チェシャの爪先が床を抉って初めて気付いたというように笑んで椅子に座り込み、たった一動作でチェシャの爪を避けた存在と尚も腕を振り上げる猫を見詰める。
「”イカレ帽子屋”、チェシャはまだ許してない」
「……そうですか。案外ネチっこい性格なんですネェ」
くすくすと口元に手を当てて笑う彼が今にも落ちそうな帽子を片手で被り直した。
振り上げられたチェシャの腕が力任せに下ろされるのを何の感情も浮かばない瞳で見据えて、いつの間にか手に持っていた杖で退けようとする。
「ケビン。チェシャを消しては駄目よ」
ふっと、少女がそれだけを告げる。心得ているというように杖はただチェシャの攻撃を受けただけで、彼は何もしない。
くるりと距離を取るというよりは戯れるように軽い足取りで距離を取った彼が、ギリギリと怒りの感情で歯を食いしばる猫を見た。
片方ずつの同じ色の瞳が互いの姿を映す。
「……もう困ったわね」
テーブルに頬杖をついて少女が溜息を盛大に吐き出した。その様子に猫がびくりと体を震えさせ、反対に彼は動じないまま構えていた杖を下ろしてしまう。
少しだけ怯えの色を滲ませた猫と無言で従った帽子屋に少女が満足そうに笑う。
「そうそう、仲良くしましょう? ケビンはもうこちらのものなんだから」
お茶の時間よ、と少女の口が歌うように紡ぐと部屋の柱時計が軽やかな音で狂った時間を告げた。



***


ソファに凭れてまた眠りに付いてしまった存在を見ながらチェシャは部屋の主である少女に問いかける。
「アリス、何でこいつを残したんだ?」
それは真っ当な質問だっただろう。違法契約によって最後深淵に引きずり込まれる人間は使い物にならないか、或いは新しくチェインとしてアヴィスで生きる存在になる。どちらにせよ人間としての自我が残る事はない。
しかし今ソファで静かに休む存在は人間の頃と変わらなかった。違うのは存在を意味付ける定義だけ。
彼は彼としての、人として生きた記憶を持ち、自我を持ち、アヴィスの意志である少女の意思をある程度受け付けない。
それが許されていたのはチェインの中でもチェシャともう一人、”血染めの黒うさぎ”だけだった筈だ。独立し、人を食べる、その欲求を持たない特別なチェイン。
しかし今そこにいる彼には、それが与えられた。
「あら……、妬いてくれるの? チェシャ」
にこりと笑う少女が猫の頭を撫でる。
「簡単よ。ケビンを気に入ったから残したの」
「気に入った…?」
嘗て彼が人として此処に落ちてきた時の目的は自分の失った目の代りに彼の目を与える為ではなかったか。
その時は確かに少女にとって彼は数多の違法契約者と同じ存在だった筈だ。
「そうよ。だって、ケビンだけがあの状態でも最初に願った思いを忘れてなかった。愚かで可哀想だけど、それは凄く綺麗だと思ったの。それにね」
細い繊細な指を一つ立てて、秘密を教え込むように少女が言う。
「……初めてだったのよ」
何を? と猫は思う。黙って先を促せば少女は瞳を伏せて「ほら、聞こえるわね」と見当違いの言葉を落とした。
倣って耳を澄ませたチェシャが、繰り返し繰り返し誰かを呼ぶ声を拾う。それは悲しい響きを持って、しかし深淵の横たわる明けない闇に吸い込まれていく。微かに響く音。
「私の名前を知らなかったのに、名前を呼んでくれたでしょう?」
他愛も無い、と一蹴するには少女の言葉には酷く不釣合いな重さがあった。
それは時間さえ狂ってしまった中、永劫とも呼べる中で、少女にとって繰り返される日常の非日常の中で、唯一となったに違いない。
故に彼は人間のまま彼女の願いを聞き、チェインとしては異例の”消滅”の力を与えられた。少女にとって唯一思い通りにならない”黒うさぎ”と同様の力を少女自身が与え、そして彼の存在は人でありながらチェインと重なったのだ。
「それでチェインになったのに、あいつはあいつのままなんだな」
「そうよ」
人としての理性を持ったまま違うものとして生きる事がどれ程残酷かなど、少女の知ったことではない。
ただ少女は堕ちてきた一人の青年が名を呼んだ時に、アヴィスで初めて名を教え呼ばれたのだと理解したのだ。呼ぶ声が鼓膜を打って心に酷く響いた。
性別にしては華奢な容姿も、自分よりは銀を混ぜたような白銀の長い髪も、その赤い瞳も、存在の全てを失くすには惜しいと思ってしまった。
だから半分以上アヴィスの力に浸かってしまった彼に願いと”消滅”という異例の力を持ったチェインを渡し、時が経てば戻るよう、タイムリミットを刻む刻印は回り切っていたのに彼の時計の針を止めなかった。
眠る彼が此処に戻ってきたのは必然。
再び闇の底に沈んだ時、彼は何となく全てを理解していたのか諦めたように綺麗に笑ったので、それにも少女は満足した。
「とにかく、”イカレ帽子屋”はもうケビンなの。仲良くして頂戴ね」
意思を持たなかった”消滅”のチェインは、指で数えるまでもない存在自体が稀な特別なチェインへと変わっている。
少女の可愛らしいお願いの仕方に猫は黙って頷いた。



>>もしも設定4話目。
   ぶっちゃけると、どこまでなの…^q^? の感じ(笑)

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暗闇の中、引き摺られ命を絶たれるだろうと思われた異形の闇から唐突に解放され思わず目を見開く。足に絡み付いていた影の触手が力を失った。闇夜に僅か銀色の軌跡が描かれて、それが触れた先から影の触手は脆く崩れていく。まるで存在してはならないと絶対的な力でもって命じられたかのように消滅していく。
砂のように零れる闇の残滓には覚えがあった。彼が契約していたチェインを使うときに酷く良く似ていたから。
「……ザクス?」
思わず名を呼ぶ。闇夜の中、その暗闇が支配する中で自分を庇うように異形との間に割って入った影は華奢だった。
微かにその影が揺れた気がした。闇に紛れる暗い色の裾の長い服を着て、帽子を被ったそれは振り返る。肩を滑り落ちた銀糸は初めて会った時と同じくらいか、少し長い程度でその背中に落ち着く。
表情は帽子のせいでよく見えないが、少しだけ困ったように首を傾げたのだけは分かった。
なんだ、ちゃんといたじゃないか。そう言いたいのに声が出ない。今になって石畳を引き摺られた痛みが全身を襲い、強かに打った胸の辺りで呼吸が不自然につっかえた。
食事の邪魔をされた異形が人間では判別のつかない声を上げる。空気の震えだけで聞き取れない音に、しかし自分を庇う影は嫌そうに眉を顰めた。厭うような仕種で手に握っていた杖を振るう。
とん、と地面を杖の先が叩く乾いた音が響いた直後に異形を象っていた闇がざらりと力なく崩れ落ちていく。今度ははっきりと断末魔のような空気の震えが鼓膜を叩いた。
異形は跡形も無く消え、残ったのは夜の静かな闇だ。全てを覆う明ける闇。
「……ザクス、」
その中でふわりともう一度舞った銀の残像を追う様に視線を上げる。見上げた先で振り返った影と目が合った。
記憶と変わらない真紅の瞳がすっと細められる。何とか伸ばした腕で無防備だったその手を掴んだ。
冷たい、ああ、この温度だ。と思うと同時振りほどかれた手が頬に触れる。ひやりと冷たい感覚と、少しだけ屈んだ相手の表情が闇に邪魔されて見えない。

「        」

――何て言った?
唇の動きを追おうとすれば白い手が視界を遮って、確かに何かを呟いたであろう声を逃して、そして急激に意識は落ちた。


   ...残像を繋ぐ


ベッドで今日一日は安静にしていろと主を始め色々な面子に言われてしまえば、どうすることも出来ずレイムは何もすることも無くベッドの中で大人しくしていた。
確かに体のあちこちが微妙に痛いのだが動けないわけでもないし、ましてやショックを受けたわけでもないので非常に手持ち無沙汰になる。暇を貰っただけであれば何も映らなくてもふらりと外を歩く事が出来たが、今の状態では無理だろう。
控えめなノックの後、トレイに食事を乗せて来た少年と後に続いて入って来た少女にレイムはベッドから起き上がろうとした。
「レイムさん、動かないで下さい」
そんなレイムの行動を止めたのは少女の声だ。やんわりと穏やかな声だったが有無を言わさぬ調子にベッドの上で頭を下げるレイムに入って来た二人が苦笑する。
「調子はどうですか?」
「はい。全然平気なんですが、安静にしていろと言われてしまいました」
「それは仕方ありませんわ。怪我は大したことが無かったとはいえ、チェインに襲われたのですから」
ベッドの傍らの椅子に腰掛けてレイムの手を気遣わしげに握った少女が笑う。
「でも、大事が無くて本当に良かった……」
「有難うございます。シャロン様」
もう一度僅かに頭を下げたレイムが、視界の端でサイドテーブルにトレイを置いた少年に視線を向けた。黙って会話を聞いているだけで水差しを差し替える行為に申し訳なくなる。
本来の立場ならそんなことを自分がして貰って良いわけではない。
「オズ様、良いです。そこに置いてください」
慌てて言い募るレイムに笑みを零したオズがトレイの水差しを置き、今まであった水差しをトレイに上げた。しっかり差し替えてトレイを両手に抱えたままベッド脇まで歩み寄ったオズが、大事を取って包帯が巻かれたレイムの腕を見る。
「あの時別れなきゃ良かった。ごめん、レイムさん」
「いいえ。私がふらふらとしてたからいけないんですよ」
レイムが違法契約者のチェインに襲われる可能性がゼロでなかったのに別れたことで、オズを責める人間は誰もいなかっただろう。大体予測不可であったと言って良い。相手は無差別に人を襲っていたのだ。
けどオズは途中まで送っていくと提案した手前、割り切れなかった。
「それに、申し出を断ったのは私ですから。気になさらないで下さい」
レイムの言葉にオズが苦笑する。怪我をしたというのに、その前に大切な存在を失くして精神的に余裕が無いだろうに、他人を気遣う優しさは彼らしかった。
「有難う。でも、レイムさん?」
「はい」
「無茶はしないで。暫くは本当休んで」
シャロンが握っているレイムの手に、シャロンの手の上から重ねるように手を置いて言うオズに素直にレイムは頷いた。
気遣って心配する二人にただ感謝する。
傷に障ると悪いと席を立ったシャロンに合わせて二人が部屋を出て行こうとするのをベッドから見送って、しかし部屋から退室したのは少女だけだった。扉に手を掛け背中を向けたまま動かないオズに声を掛けようとすれば、
「ねぇ、レイムさん。少し良いかな」
少しだけ落ちた調子の声が訊ねる。
肩越しに振り返ったオズに頷いたレイムに、再度言葉は投げられる。
「レイムさんを助けてくれたのは、誰?」
聡い質問だった。意識を失う前に自分が見たものを話して信じて貰える保証はない。だから誰にも話してはいない。
けど主から聞いた話では、チェインに襲われ意識を失ったレイムを最初に見つけたのはオズだという。なら少年はたぶん何かを掴んでいるのだ。何故チェインに襲われながら、対抗策を持たぬレイムが無事であったのか。違法契約者のチェインは掻き消え精神が崩壊した契約者だけ残されていたのか。
「……オズ様」
「ううん。話したくないなら良いんだ。……でも、あれは消えてたね」
何かを言わねばならないと名を呼んだレイムにオズが首を振る。
そして少しだけ首を傾げて、”消えていた”という言葉を使った。通常チェインとの契約を断ち切る際、チェインに致命傷を負わせアヴィスへ帰させることで繋がりを絶つことはあっても存在自体が消えてしまうことはない。
チェインも一応、世界に存在するのだから死はあるのだが、大体は致命傷のままアヴィスへ戻るのだ。そうでなくても、死という形になった際、何も残らないことはない。
消えてしまう―――、”消滅”してしまうことは稀だ。
「……それは」
「ちょっとお邪魔し過ぎちゃったな。また来るね、レイムさん」
トレイを持ち直してにこりと笑ったオズが扉を開ける。
見かけの幼さよりもずっと頭の回転の良い彼のことだから、レイムが何を言いたかったのか大体は分かられてしまっただろう。その確認のための問いかけだったのかも知れなかった。
自分以外に誰も居ない静けさを取り戻した部屋でレイムが瞳を閉じる。
路地で見た彼を見間違いじゃないと思いたい。しかし、だとしたら”あれ”は一体何なのだろう。確かに容姿は良く知った人のものだったけれど、彼の人が消息を断ち時間が経つにつれ分かった事実がある。何よりも認めたくなかったであろうシャロンの口が結論を出したのだ。
――彼はもう生きてはいまい、と。
では、彼に見えたあの存在は何だ? 問いかけても答えを与えるものは何も無くてレイムは包帯の巻かれた自身の手を見下ろす。
あの時に確かに掴んだ筈の、触れた温度は慣れた冷たさだった。


***


「オズ?」
「ああ、ギル」
廊下をゆったりとした足取りで歩き、やがて歩みを止めた少年に声が掛かる。
視線を上げて笑えば黒を纏った青年が近寄りオズの手からトレイを受け取った。
「何かあったのか?」
「……レイムさんに会ってきたよ」
「そうか」
「どうしたら良いかな」
どうにも問いかけに答えなかった彼の表情や行動から、彼が助かった寸前何が起こったのか大体読み取れる。
物音を聞きつけオズが駆けつけた時には、意識を失ったレイムと精神崩壊を起こした違法契約者だけが路地に取り残された状態だった。僅かに残された気配からオズは違法契約者のチェインが”消滅”してしまったのだと確信した。
砂のように崩れたチェインの残骸がまだ世界に溶け切らず残っていた。チェインをこのように”消滅”させる力など稀で、言い換えれば自分の持つ力ともう一人が持っていた力だけだったと思っていたから、直ぐに結論に辿り着いたのだ。
でも理解が出来ない事がある。
「ねぇ、ギル」
「うん?」
「人がチェインになる、って前に聞いた話。もし本当だとして」
それはオズの思考回路が導き出す一つの仮説。
「普通は残らない人格とか、理性とか、……そういうのを持ったまま存在する事は可能かなぁ」
そうでなければ、自分の他の存在が人を助けるためにチェインを”消滅”させるとは考え難い。でもオズ自身は力を行使していないのだから、”消滅”を望んだのは”血染めの黒うさぎ”ではなく、たぶん”イカレ帽子屋”なのだ。
アヴィスに関わる全てを消滅させる力は、その二つしか持ち得ない。
「……オズ」
「良いんだ。まだ決まったわけじゃないし」
小さな可能性が、限りなく有り得ないと分かっていても縋ってみたくもなる。
自分の他に”消滅”の力を行使する事が出来る彼が、人としてまだ存在しているのだと。



>>もしも設定三話目。
   どこまでやれるか分からないギリギリさが付き纏ってるんだぜ!

夢の会話は過去のもの。繰り返されるうちに分かったと振り払う回数が増えてしまった。本当の彼がそれを言った時には少しだけ寂しい思いを抱きながらも受け入れられたのに。今更、自分は否定するのだ。
例え「嫌だ」と言っても相手は何も返してはこない。
ただあの時に分からない、嫌だ、と返していたなら、どう反応しただろうかと思う。
駄目だと嗜めただろうか。仕方ないと笑っただろうか。
いや、違う。たぶん何も言わずにふっと笑っただろう。彼はそういう人間だった。
追い求めるものの為に身を捧げるくせに、追い求めるものは直接彼に利益を齎すわけでもなく、それは違う誰かの為のものであるのに、彼はそれを誰かのためとは言わず自己満足だと笑っていた。彼自身の求めるものは少なく、けれど満足だと笑う。
おどけた言動の下にあるのは誠実で真っ直ぐな人柄だった。
だから振り回されても嫌いになれなかったのだ。
最後に会ったのは何時だったろう。
ふと、思考の渦に飲み込まれそうになりながら思い返す。そうだ、確かいつも通りに少し遠くから手を振って笑っていた。
今日は夜中まで仕事だから眠れそうにもないと少しだけ軽い調子でぼやいていたから、起きていたなら甘い物でも用意しておいてやるから頑張って来いと返したはずだ。
神出鬼没だったが、自分が寝てしまえば彼は気遣って部屋に入ってこないのを知っていた。だから起きていたらと言った。
自分の言葉に笑って頑張ってくると返した、きっとそれが交わした言葉の最後。
まだ薄れてはいない記憶に安堵するのと同時に、彼の指の冷たさを忘れかけている自分が嫌になった。
忘れるのにはまだ早いじゃないか。
だって存在を過去のものに出来てもいないのに、自分の感情がどうなってしまっているのかも分からないのに。
でもきっとそんな自分を責めたりはしないのだろう。
寧ろ笑って許してくれる、そんな気がして苦しい。



   ...触れた指先



書類を主に届けに行けば、珍しく気遣わしげに眉を顰めて溜息を吐かれた。
「レイム、お主……ちゃんと眠っておるか?」
書類を受け取ったルーファスはどうにも冴えない表情を浮かべるレイムに暇を与えるべきかを考える。
こうなってしまったのは数週間前に起きた一件で彼の友人であった人間が消息不明となってかだらだ。気丈に大丈夫と言うレイムであったが日に日に浮かべる表情に感情が乗らなくなってきている。
幼い頃から仕えるレイムを見てきているルーファスにとって、彼の大丈夫が嘘である事など言わずとも分かっていた。
「寝ていますよ。どうしたんですか」
「いや」
笑う表情は穏やかだがどこかしら無理が漂う。暇を与えてしまう事と今まで通り仕事をこなさせる事、どちらが良いのか判断も付かず、これは幼馴染に密かに相談した方が良いと内心思う。彼女ならば何か良い方法を見つけてくれる気がした。
「それはそうと、ルーファス様」
「何じゃ?」
退室の一礼をしたレイムが声を掛けてくる。
今日は特段何の用事も入っていなかった筈だが、何か忘れてしまっていただろうかと首を傾げれば目を伏せたレイムが言う。
「少し暇が欲しいのです」
どうしようかと考えていた矢先の言葉に一瞬どう反応すべきかと迷ったが頷く。
「分かった。ゆっくり休むと良い」
暇が与えられなければどうするのかも分からない表情に頷くしかなかったとも言える。「ありがとうございます」と言って出て行った従者の姿を追うように閉められた扉を見詰めてもう一度大きく溜息を吐いた。
全くとんでもない。あれでは。
「帽子屋よ、汝はあれを堕とす気か?」
きっと彼の本意にそぐわないだろうが。問うた声に返る言葉も術もないことを知っているが故にルーファスは踵を返す。
幼馴染の所へ意地も何も無く会いに行かなければと思った。


***


休暇を貰ったとして何かしたい訳でもなく、どうして良いのかも分からないまま、ただ仕事に対してきちんと対処しきれない事が嫌だと筆を休めた。特段することもないまま一日は勝手に過ぎていく。その間あることといえば記憶を浚う行為だけで、好い加減それも止めなけばおかしくなってしまいそうだった。
とっぷりと日の落ちた暗い路地を歩きながら思う。
記憶はあるのに付随する色々なものは忘れていってしまうのだ。例えば鮮明な声や表情、そして温度。
あの時笑っていたと思い出せるのに曖昧になっていくようで、記憶と現実の間から抜け出せずにぼんやりと思考は沈んでいく。
残像は見えるのに実像は見えない。いなくなってしまったという事実を突きつけられて、どれ程経ったというのか。
彼が守るべきと常に傍らに居た少女は少しずつではあるが現実を受け入れ気丈に振舞っているのに。
レイムにはそれが出来ない。分からない。自分が今どんな顔をしているのかさえ、分からなかった。
ただ暇を願い出る際に酷く心配そうな表情を主が浮かべていたところを見ると相当良くない状態なのだろうと、客観的には捉えることが出来る。だからといって解決法は見つからない。
休めば良いのか。考える暇も無いほど働けば良いのか。実際レイムにさえ分からない。
「……あれ、レイムさん?」
不意に考えに沈みこむレイムを呼ぶ声が聞こえる。
声変わりの終わらない少年の訝しげな声に振り返れば、金色の髪を揺らして走り寄って来る少年と視線が合う。
「オズ様…?」
「どうしたの、こんな所で」
それは此方の台詞だ、と危うく出かけた言葉を飲み込んでレイムは首を傾げた。
首都の下町に位置する路地で出会う相手ではないと思ったが、今オズが身を寄せている相手を思えば納得がいく。つまり今はギルバートが自らで借りた部屋にいるのだ。
「少し暇を貰ったので」
「ああ……。それはシャロンちゃんから聞いたよ。……大丈夫?」
気遣わしげな声に頷く。笑ったつもりだが上手く笑えたかも知れない。
全て理解している風のオズは頷くだけで、ただ気掛かりなことがあったのだろう。小さく声を上げた。
「余り遅くならないうちに家に戻った方が良いよ」
「……え?」
「一週間くらい前からここら辺で人が襲われてるんだ」
そんな情報は耳に挟んでいないから普通の通り魔だろうか。レイムが首を傾げると尚も少年は言う。
「オレとギルはそいつを捕まえるために、こっちに今来てるんだ」
だから気をつけて、と言った言葉に相当自分が参ってしまっているのだとレイムは思わざるを得ない。
オズとギルバートが動いているという事は紛れも無くパンドラ内で解決する事案だということだ。つまり通り魔は違法契約者の仕業である可能性が非常に高い。寧ろ既に裏も取れてしまっているのかもしれない。
そのことを全く頭に入れ切れていないなんてことは、今までのレイムでは有り得なかった。
「……レイムさん、何なら途中まで送っていこうか」
無言で考え込んでしまったレイムに提案が出される。
はっと顔を上げれば心配そうに覗き込んできたオズがレイムの言葉を待っていた。
「いいえ、大丈夫です」
捕まえるために行動していると言うなら、今もその為に動いていたのだろう。手を煩わせるわけにも行くまいとやんわりと断れば食い下がる事も無く少年は頷いて、レイムが向かっていたのと反対の路地の奥へ向かっていった。
後姿を見送って引き返す。
確かに通り魔に遭ってしまえば、例え違法契約者でなかったとしても自分では敵うまい。
情け無いことだが戦闘行為が只管に向かないのをレイムは痛いほど身に沁みて分かっている。
街灯の光がほぼ届かない路地を歩きながら、レイムは大通へと向かっているの自分の足取りに疑問を覚えた。
方向も道も間違っていないのに違和感を覚え、何と分からず歩みを進める。規則正しい足音は自分のもので、それ以外の音は無い。
それが間違いなのだと気付いたのは十数秒後。大通へと向かっているのだ、もう近いはずなのに何故自分の足音以外に何の音も聞こえないのか。それ自体がおかしいと頭が答えを叩き出した瞬間、背中に冷たい汗が伝う。
本当に全くもって自分は向いていないのだな、と何処かしら呑気に思い振り返らず走り出した。その判断は正しかったが如何せん遅すぎる。
影が伸びるよう足元に絡んだ何かにレイムの足は縺れ、硬い石畳に転がる羽目になる。
背中越し振り返って見えたのは暗い路地から伸びる濃い影の触手と、夜の闇に溶け込む事の出来ない異質の闇。
(――チェインか)
足に絡まったままの影が力ずくでレイムの体を引いた。全くもって自分は籤運が良いらしいと内心毒づいたレイムは狭い路地に引き摺り込まれそうになる。こんなことならオズともう少し行動を共にした方がお互いのためにも良かったのかもしれない。
湿ったようで乾いた変な音が近寄ってくる、その気配と感覚にレイムは覚悟するしかなかった。
目を閉じる。瞬間に閉ざされた闇の中で見えたのは、闇夜でも紛れない銀の残滓だった。

――追いかけても、望んでもいけません。私はそう言ったんですヨ? レイムさん

それは記憶の会話ではなく、困ったような願望によって作られたような紛れも無く聞いた覚えの無い言葉だった。




>>もしも設定。眼鏡と帽子屋さん二話目。
   しかしどこまで続くかは分からない。

それは確信だった。とても現実味ばかりを帯びるのに頭の中で”どうせこれは夢なのだから”と自分が囁く。
だから夢なのだと理解していた。疑おうともせず、ただそんな鮮明な感覚の、不思議と曖昧な中で声が聞こえて、耳を傾ける。
心地良いと言えばたぶん困ったようにきっと笑うだろう。
その声が、聞こえる。
『いいですか? 私は貴方よりもずっと年上ですから』
ああ、これはいつぞやの会話の記憶なのだなと思った。丁度身長を抜いてしまった頃にした会話かもしれない。
決して陽の下を歩かないわけではないのに不健康な白さをした、他よりも冷たい指を一つ立てて、子どもに言い聞かせるように紡がれた言葉だった。
『貴方よりも先にいなくなります。だから』
年上だというのは良く分かっていた。出会った時と変わらぬ容姿ではあったが、自分がいつの間にか身長を抜かした頃に何年が経ったのか数えて笑った、その時でさえずっとずっと大人だった。今ではどちらが年上に見られるか分かったものではないけど、それでも追いつくことも追い越すことも出来ないのだ。
それは確かに体の成長が止まったのだとしても、世界にあって共に歩む時間があればこそ。
『もし、私がいなくなったとしても、捜しては駄目ですよ』

――手を伸ばしてはいけませんよ。

それを望んではいけない、と諭すような声音はきっと過去を顧みての忠告だったのだろう。
けれどどうしてそんなことを言うのだろうと思ったのだ。確かに多分先にいなくなる確率が高いのは相手の方だけれど、まるで覚悟をしておけと言わんばかりの言葉を、それでも自分は何となく理解した。

何故そんな夢を見たのだろう、と午前がそろそろ終わる頃になってもまだ珍しく眠気を引き摺ったままの頭で考えたレイムは机に積み上げられていた最後の書類を片付けた。昔の会話だ。本当何年前かの会話に、けれど相手の容姿は未だ全く変わらず、変わったといえば彼が気にかける子どもが増えたくらいで。
揶揄う振りをして何だかんだと気にかけているのを知っているのは、たぶんあの中ではシャロンくらいのものだろう。
彼が此処に来てからずっと一緒に過ごしてきた彼女と、そして同じ時に出会ったレイムだけは少なくとも彼の生真面目さを知っている。
しかし変な感覚だと思うのだ。
決して寝覚めが悪かったわけでもなければ、夜更かしというほど夜遅くに寝たわけでもない。
それでも眠気が意識を引いて油断すればまた夢に落ちてしまいそうな感覚に頭を振る。疲れているのかもしれないと結論付けた頃に騒がしい足音が近づいてドアをノックした。
そして夢はきっと自分の中の何か予感めいたものだった、と知る。


   ...零れ落ちた、温度


足音を荒げる事は無く、けれど半分駆け足のような形でレイムはその部屋の扉をノックした。
小さく応えが返るのと同時に礼を取って部屋に入る。確かめるには此処に来るのが一番手っ取り早いと顔を上げた先、ソファに座った少女が泣き腫らしたと分かる目でレイムを見た。
「ああ、レイムさん」
常の穏やかながらも凛とした声音が、今は沈んで掠れてしまっている。
癖の無い柔らかなシャンパンブロンドの髪も心なしか乱れていて、彼女は寝ていないのかもしれないと思い至った。手招きをされたので近くに寄ると向かいのソファに座るように促される。
主人は違えど使用人の立場である身として本来ならばあってはならないことだが、今は言わずとも良いだろう。
大人しくソファに座ったレイムを見て少女が微かに笑う。
「シャロン様」
「……話を聞いたのですね」
「すみません。シャロン様にお聞きするのが一番早いと思いましたので」
「いいえ。良いのです」
ふるりと力なく首を振ったシャロンの、膝の上で組まれた細い指に力が篭る。
レイムが何故ここに来たのか目的は分かっていると言外に告げたシャロンが顔を上げた。矢張り眠っていないのか、と憔悴した顔を見て思う。
「それで」
「……報告の通りですわ」
ぽつり。漏らされた言葉はきっと彼女自身が認めたくない事実だ。
きっと何度も可能性を否定して、彼女は自分の持てる力の限りで否定に足る証拠を探そうとしたに違いない。
「では、ザクスは……」
「ええ。ブレイクは消息不明です」
普通に上がった報告であるならば彼の人が生きている可能性は限りなく高いだろう。しかし情報収集を主とし影の間を行き来出来る能力を持ったシャロンが言うのであれば、限りなく絶望的なのだ。
彼女はきっと何度も捜した筈だ。彼の人の影を。存在を。
「……シャロン様」
それでも見つけられなかった。
「ブレイクは……、ザクス兄さんは……たぶんもう」
正午になる手前、レイムの部屋に届けられた報告では違法契約者の追跡中に彼の存在が確認出来なくなってしまったということだった。どうやら追いかけていた違法契約者のタイムリミットは近く、最悪な事に時間切れとなった時、追跡をしていた人間数人を巻き込んだらしい。
一緒に巻き込まれたかは定かではないのだが、確かに同時刻に彼は姿を消したのだ。
深淵の底に引きずりこまれて行く契約者の巻き添えを食らった可能性はゼロとは言えない。
もっとも良く知る人間からすれば彼がそんな失敗をやらかすとは思えないのだ。だからこそ、シャロンは一晩寝ずに存在を捜したのだろう。
「こんなことなら、”一角獣”をちゃんと影に潜ませておけば良かった」
堪え切れないと少女が顔を両手で覆って涙を滲ます。
必要があればいつだって手助けとなるようにと少女が彼の影に自らのチェインを忍ばせていたことをレイムは良く知っていた。
きっと今回は必要ないと言われ従ったのだろう。
その判断が現状を招いたのだと言わんばかりのシャロンの姿に居た堪れなくなり、嗚咽を零し震える肩に手を添える。
「シャロン様」
あれがそう簡単にくたばる訳が無い、と軽口を言いたかった。
きっといつものようにひょっこりと現れて呆気に取られた自分と少女を交互に見てふっと笑う、そんな風であったなら良かったのに。
きっとそれは幻影でしかない。
昨晩見た夢はきっと予感だった。彼が居なくなった夜に、あんな内容を見る、それ自体が。
「レイムさん、わたくし……っ」
ぎゅっと肩に乗せられたレイムの手に少女の手が重なって握られる。
こんなにもいなくなることで悲しませる存在がいるのに、置いていかれる苦しみを彼は理解していた筈なのに、それでも突然消えてしまった友人をレイムは恨む事が出来なかった。



***


――良いですか? いなくなってしまったものを、それを望むのは駄目です。絶対に駄目です。

分かっている、と言いたかった。また夢を見ているのかもしれないとレイムは落ちそうになった意識を引き上げる。手に持っていたペンが紙にインクの染みを作っていた。どうやら居眠りをしていたらしい。
どうにも最近はあの会話ばかりを思い出すのだ。
ブレイクが姿を消して、消息不明とされてから既に二週間が経っている。
シャロンは未だに時折”一角獣”を使って影を捜す行為を繰り返してはいるようだが、最近になってレインズワース公から止められたらしい。これ以上続けて貴女まで倒れてしまうつもりなの? と純粋に心配して嗜める祖母の声は彼女に響いたようだった。
彼女にとってブレイクは血は繋がってはいないが歳の離れた兄のような存在だったのだ。
幼い頃にレインズワースに保護された彼とずっと一緒に過ごしてきたのならば、取り乱しても無理はないと思う。
では、自分はどうだろう?
レイムは眼鏡を外すと瞳を伏せて大きく息を吐き出した。
ブレイクと初めて出会ったのは、彼の公爵が管理する”扉”の前。シャロンと一緒に血塗れで倒れた彼を見た。
仕える主が違うため、シャロンより過ごした時間は少なくなるだろうが彼と過ごした時間は長いのだ。十年以上の関係。いつの間にか外見はほぼ同じ年頃になって、けれど歳の離れた友人は良く笑って廊下の端でひらりと手を振っていた。
「……なんで、」
いなくなってから思い出すのは彼の穏やかに言い聞かせるような言葉ばかり。
ふといつもの景色に入り込む残像は、きっと脳裏に焼き付いた記憶で、実際はそこに像も結ばず手は宙を掴む。
呼ぶ声を思い出す。少しだけ明るい調子でわざと変にだらしなく履いた靴の、特徴的な音。
でも鮮明に思い出すのは、どうしてかあの会話ばかりなのだ。まるで自分に有りの侭何も望まず受け入れろというかのように、記憶がリフレインされる。
「勝手にいなくなったんだ、お前」
何も言ってないじゃないか。
確かに彼の体には限界が近づいてきていて、別れは遠からず来るのだろうと覚悟はしていたけれど。
しかしこんな風に何も残さず消えてしまうとは思わなかった。

――ね、レイムさん?

呼ぶ声は、いつのものだろう。脳裏で繰り返される声は揶揄も含まず穏やかで、それをしてはいけないと言い聞かせるような大人の声。
困ったように笑えば、するりと白い指先がいつも眉間に伸びて冷たさを宿したまま構わず触れてきた。その温度が他人より冷たかったのだけは覚えているのに、正確な温度がもう分からない。
「……お前が戻ってくることを望んではいけないのか」
零す言葉に返る言葉は無く、ただ記憶に刻み込まれた彼の声が、会話を再生した。それが答えのようだった。



>>なんだこれ…?な、もしも設定。
   たぶん続く。途中で切れる可能性も高い。

確かに手元に置いてあった筈の金属のひやりとした冷たさがなくなって、寂しくなった手先が少しだけ動いた。これを何とかしたいと思ったのに何も出来ないのも酷くもどかしい。
失くしてしまう筈もないから、きっと何処かに置いたのだ。
無意識的にぱたぱたと手はそれを探し、ふと違う何かに行き着いた。
「……、あれ」
それは余りにも温かいので違うと分かる。判断してまた探そうとした指先は何故かその温かさに絡め取られた。
自分よりも幾分か小さい、それは手。
「どういう心算?」
温かさは体温だと判断した瞬間、寝呆けていた意識は全て覚醒へと向かった。容易く微睡みの羊水は破れ、瞳は鮮明に焦点を結ぶ。途端見えた金の色。
「良くないと思ったんだ」
冷たく言い放った問いに悪びれもない声が答える。
まだ声変わりが終わっていない少年特有の声と共に、そのまだ未発達の彼の手には無意識下でも探していたものがあった。
控えめに細工の施された金の鋏。
「何が? 可笑しなことを言うんだね」
「そうでもないよ? オレは思ったことを言っただけだもの」
手を伸ばして奪い返そうとすれば、一歩下がって距離を取った少年がにこりと笑う。
矢張り悪びれも何も無いのだ。
器用に二、三歩後ろに下がり距離を取った少年の手にあるのは、間違いなく自分の鋏である。そういえば前にも「よくないよ」と言われて鋏を取られてしまった事があった。別に何てこと無いのに、何が良くないのかも分からない。少年の言葉は良く分からない。
「返して」
すっと手を差し出して促せば、首を傾げて少年が鋏と手を交互に見遣った。
考えあぐねている仕草と少しだけ困ったように零される溜息。溜息を吐きたいのはこっちの方だ、と思った。
どうして自分の持ち物を奪われて、しかも非難がましく言われなくてはならない。何の謂れもない。
「ヴィンセント」
そっと声が呼ぶ。
「何?」
「ヴィンセントは、満足するのか?」
不意に問われた言葉が何に掛かるのか、理解が追いつくまで時間が掛かる。
満足とは何に対して使われた言葉だ? そう考えた瞬間に彼が答えのヒントを与えるように金色の鋏を揺らす。
「ああ……、そうだね。だから返して」
「答えになってないよ」
人形を鋏で切り落とす、カーテンも、下手をすればクッションや枕も。
いつからだったのかは覚えてはいないようで、でも本当は覚えている。自分と兄に暖かい場所をくれた、そんな人に出会った後に温かさを奪われるかもしれないと気付いた時に鋏を取った。
幼いから剣も何も使えなかっただけなのだが、思えば今も延長にあるのかもしれない。
「それじゃ、君はどういったら満足するの?」
金の鋏は貰ったものだ。刃毀れを起こしてしまった鋏は危ないと取り上げられたので、新しいのが欲しいと強請り泣いたら、その行動を良く思ってなかった筈の兄は困った顔をしながら、それでも願いを叶えてくれた。その時の鋏だ。
だからそればかりは取られるわけにはいかない。
「ねぇ……。本当は、何が欲しいの?」
溜息が一つ落とされて、その後の言葉はまるで幼い子どもに大人があやし問う声だった。
差し出したままだった手の上に少年が鋏を返す。冷たい感触が手に触れる。安心する。
「さっきから可笑しなことばかりをいうんだね」
「……うん。それならヴィンセントも」
ぎゅっと握りこんだ手を見下ろした少年が薄く笑った。

「可笑しな事ばかりを訊くんだね」

それは少しだけ呆れたような冷たさも含み、それでいて不思議な温かさを含んだ。


(――自分が今どれだけ泣きそうな子どもの顔をしているのか、知ってる? ヴィンセント)



>>オズとヴィンス。
   なんか前にも同じように鋏を取り上げたのだけど、それの続きみたいな感じで。

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此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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