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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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「……”イカレ帽子屋”、私はお前との契約を望む」
捕まえた指先は違えない冷たさで、敢えて呼んだ名前に一瞬体を強張らせた相手に全てを分からせるように言葉を紡いだ。
例え人間ではない存在になったとしても、お前がお前であるならば何も変わっていないじゃないか、と伝えたかった。
「な、」
背中に迫る言い知れぬ気配は捨て置いて、振り解かれそうになる手に力を込める。
真紅の瞳に一瞬で感情が戻った。ああ、これは多分久しぶりに叱られるのだろう。
「どこ、……に。チェインに持ちかけられる前に契約を望む馬鹿がいますか…!」
声を上げたのと同時、杖をくるりと半回転させた自由になる利き腕ではない手が自分の脇をすり抜けて背後の闇を突く。
音も無く崩れる深淵の残滓が降りかかるのを気に留めず、窺うように向けられた視線に首を傾げる。
「それじゃあ、何て言えば良い?」
「はい?」
「お前が契約に応じないなら、私は欲しいものを手に入れるために違うものと契約するかもしれない」
余り良い言葉ではないと内心思ったけれど構ってる暇はなかった。予想通り眉に皺を寄せてしまった相手を見てもう一度笑う。
嘘ではない。この覚悟に偽りは無い。
片手を使えない不自由さを感じさせず背後に迫っていたチェインを一振りで凪いだ相手が微かに握っていた手を握り返した。
「……分かりました」
深淵ではなくこちら側で契約も為さず力を使うのには酷く制限が掛かる筈なのに、とんと地面を掠める程度に杖の先端を触れさせて力は行使される。背後にあった気配が消えていく中で、長い前髪に隠れていた失った筈の瞳が自分を捉えた。
「ただし合法にしてくださいヨ。でなかったら私の寝覚めが悪くなっちゃいます」

――どこにチェインにとって得の無い合法契約を提示してくるチェインがいるというのか。

先ほど投げつけられた言葉をそのままこれで返してやろうかと思いながらも、彼がふと笑ったので言葉は飲み込んだ。


   ...其れは廻って知る、こと


何とも人騒がせにも程がある。そうは思わないか。というか汝に言っておるのじゃ。聞いてるか? まだあちらには顔も出しておらんのじゃろう? 心配していたのだから出して来い。
部屋を訪れたバルマ公の言葉を一通り聞き流してブレイクはやれやれと肩を竦めた。騒がしく部屋に来たと思ったら自分を捕まえて捲くし立てるように一気に言葉を吐き出すので、言葉を挟む余地も無い。
肩を掴まれ揺さぶるように言われてしまった故に少しだけ乱れてしまった制服の襟元を直しながら、曖昧に相槌を打つ。
「あのですネ、私は何も顔を出さないと言ってないデスヨ」
「ほう? しかし行く気は無いと見えるが?」
間髪入れず返って来た言葉は案外鋭い。本当面倒臭いと内心思いながらブレイクは何とか距離を取ろうと試みる。
逃がすまいと思っているのか全く隙を見せない公爵に、実力行使をしたら後々厄介なことになりそうだと諦めて溜息を吐いた。
「帽子屋、往生際が悪いぞ」
こんな時に限って何だかんだと公爵を宥める事が出来るレイムがいないのを恨めしく思いながら、ブレイクは自分よりも目線が高くなってしまったバルマ公を見た。
どうにも駄々を捏ねる知識欲の塊の印象が強いが、歳を重ねているだけあって分別は持ち合わせているらしい。
正論過ぎて言い返す言葉も無いのだ。
「会いに行きますよ、ちゃんとね」
言いたいことは分かっていると言外に滲ませたブレイクは、それでもバルマ公の言葉の意図する行動を未だに取れてはいない。
迷惑も心配も酷く掛けてしまったのに、全く違う存在でありながら”ザークシーズ=ブレイク”として戻ってきた”イカレ帽子屋”は瞳を伏せて一度首を振った。
一度アヴィスに堕ちた身体には深淵の闇が深く染み込んでしまっていて、二度目の契約と称したアヴィスへの繋がりは否応無しにブレイクの身体に負担を掛けた。加えて契約をしたチェインは望んで深淵の主から手渡されたものであり、いつかはこの代償として深淵にいかねばならないと分かっていたのだ。
そしてその時には自分は人ではなくなるという覚悟もあった。
「そうか」
するりと肩から手を離したバルマ公がふと思い出したように宙を仰ぐ。
呆気なく解放された事に首を傾げて言葉を待つと、意地の悪い笑みを浮かべた公爵が口を開いた。
「ならば半刻もすれば、皆来るであろうから会うのだな」
さらりと。何でもないことのように言ってのけた後、踵を返して部屋を去ろうとする背中にブレイクは声を掛けられない。
どうにも弱みを見せたくはなく、であるのに酷く読まれてしまったことが悔しい。
「あの、アホ毛……。性質が悪い」
吐き捨てて、結局人であって二度目の契約を交わしたチェインと存在が同化してしまったブレイクは空いていたソファに腰掛けた。
”消滅”の力を有するチェインはブレイクが契約を交わした時には自我も言葉も存在せず、深淵の核である少女が言うには存在が不確定であったという。
人形なり猫なり、意志無きものに意志を与える空間の中で、全くの意志を持たなかったチェインが生まれたのは、本来それになる筈だった存在が為り得る前にアヴィスを脱してしまったが故だった。
二度目の契約でブレイクが”イカレ帽子屋”と契約を交わせたのは必然であり、彼以外が存在の不確定な”イカレ帽子屋”と契約は交わせなかったのである。つまり契約が成立したのは、深淵とこちらの世界で存在が一致したことに因る。
ブレイクがもう一度アヴィスに戻ることで完全なチェインとなった”イカレ帽子屋”は生まれ方も変わっていれば、存在としても稀だ。確立された自我と人の姿で行動出来る能力、何よりチェインとなる前の人としての記憶と人格が残っている。
だからブレイクは違えず”ザークシーズ=ブレイク”でありながら”イカレ帽子屋”なのだ。
大体仮説は立っていた、と現状を説明したブレイクに返したバルマ公は、故に彼が身を寄せていた、関わってきた人間達に顔を合わせろと言った。ブレイクが消息を断ったことで精神的に参ってしまったレイムに一番非があると言いながらも、戻ってきたのならケジメはつけろと言いたげな態度は尤もな事だ。
分かっている。会って話をしないといけないのだけど、今更どう顔を合わせれば良いのか分からない。
「……ザクス?」
ふと考えに耽っていたブレイクに声が掛かる。相変わらずの大量の書類を抱えて戻ってきたレイムが、両腕が塞がっているのに器用に扉を開けたところだった。
閉まりそうになる扉を押さえて手伝うと、よりにも寄って「ルーファス様を知らないか?」と問う。
「ああ、あのアホ毛公爵ならさっきまで此処にいましたヨ」
「一足遅かったか。今日はこれから会議に出て頂かなくてはならないのに」
「おや? そうだったんですか」
「付き人が泣き付いてきたんで、見つけたら言っておく……と、ザクス」
抱えていた書類を机に置き、言葉途中で切ったレイムが首を傾げた。
「どうかしたのか」
気遣うように伸びてきた手が測るよう額に宛がわれる。
「いいえ。ちょっとね」
「ルーファス様に何か言われたか?」
「……そうですネェ。怒られてしまいましたヨ」
肩を竦めてブレイクがそう言えば、問いかけたレイムの方が目を丸くして困ったような表情を見せた。
何を言われたのか大体当たりがついているらしい。額に触れたままの手を軽く払って、自分も相手も困ったものだとブレイクは内心呟いた。
「そろそろ逃げてばかりじゃいけませんね」
「ザクス」
「平気ですよ、レイムさん」
そう言えば、手持ち無沙汰な様子の払われた手がブレイクの利き手を掴む。
「大丈夫だ。……いつも通りに全員騙す勢いでいたら良いんだ」
結局お前はお前でしかない、と言外に含まれた言葉にブレイクが目を丸くする。
だというのに掛けられた言葉はフォローなのか微妙な響きを持っていて、思わず笑ってしまう。一体どこの性悪だというのだ、と思いながら言葉外に含まれた意味を尤もだと思うのだ。
本当に嫌になるくらいに本質を見抜き切っているレイムには敵わないと肩を竦めてブレイクが呟く。
「そうですねぇ、苛められたら慰めてくださいネ」
茶化して言った言葉に満面の笑みを浮かべたレイムが「勿論」と答えた。



***


合わせる顔も、どう接するべきかと考えたのも。全て無しにして訪れた客人にぺこりと頭を下げて見せれば、全員が駆け寄って抱きついてきた。思わず体勢を崩しかけるのを堪えて苦笑する。
幼い頃から共に過ごしてきた少女の姿をした女性は涙を堪えて「後で覚えてなさい」と怖いことを言うし、少年は完璧な笑顔を貼り付けて「おかえり」と言って寄越すし、少しだけ不器用に笑った青年は小さく「良かった」とだけ呟いたのだけど。
変わらない接し方にとりあえず困ったなと思う。
「……変に思わないんですネェ」
「何で? ブレイクが変わってるなんて、今に始まった事じゃないよ」
思わず零した呟きに対してオズが間髪入れず返した言葉に同意するよう、ぎゅっと抱きついて涙を浮かべていた少女も従者である青年も頷いた。
「嫌ですね、困りましたよ」
「わぁ。ブレイクに困られるの好きだよ、オレ」
肩を竦めれば笑顔を返す少年の言葉には毒が含まれていたが、決して冷たさは含まれていない。
そっと未だに抱きついている少女の頭を一度撫でるとブレイクは笑った。
「ごめんなさい、皆さん」
その言葉に顔を上げたシャロンが「違います」と返す。続きを待つと、オズがシャロンの言葉を引き継ぐように応えた。
「どうせならありがとうが良いよ、ブレイク」
さらりと自然に言われた言葉に目を丸くしたブレイクが、すっと瞳を伏せる。
当たり前だが当たり前でもない事だと思う。現状でどれほどいれるのかは知らないけれど、確かに謝罪より感謝の言葉が相応しいのだろう。
とりあえず今は、自分の存在が何であるのか知ってもなお変わらず受け入れる存在全てに。

「はい。ありがとうございます」

きっと礼を言わなければならないのだ。まだ繋がるものがある故に。




>>もしも設定。8話目。これで一応幕引き^^
   レイムは開き直ったら強い気がしている私。

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手を伸ばす。夢の中で絶対に駄目だと何度も再三言われ続けて、求めてはいけないのだと何度も何度も諭された。それは自分が思い出すだけの行為だったのだろうか。それとも何か外因があったのだろうか。分からないけれど、声は良く聞こえていた。
遠く近く距離はいつだってまばらに、でも理解して欲しいと真摯な響きで、この耳にいつだって届いていた。
記憶では、その声がする方に手を伸ばせば冷たいと心配になるような温度があったのに今は触れることさえ叶わない。
どうして? どうしていなくなったのなら。
こんなにも声は聞こえて、あの時確かに姿は実像を結んだのだろう。
追いかけて求めないで欲しいと言われても、残像はいつだって自分を呼ぶばかりでこの感情が何であるのかなど分からないままで、純粋に思うのだ。

――会いたい。

感情を見失ったままで、そんなに単純な事だったのかと思い至った瞬間ふと笑ってしまう。
違う。分からなかったのではなくて、知っていたではないか。少しだけ困ったように笑って初めて背中に寄りかかられた時に、ちゃんと自分はこの気持ちを理解していた。
掛替えのない存在だったのだ。友人という枠を超えて、たぶん一人の人間として好きだった。


   ...手を伸ばして、君に届く


「何とも可笑しな話ですけど」
その日、困ったように首を傾げたブレイクはレイムに話を切り出した。外はとても良い陽気で書類なんて放って庭で昼寝をしてしまいほどである。そんな中、珍しく書類を片付けて部屋に来たブレイクがぼんやりと言ったのだ。
「私はね、レイムさんにだけは敵わない気がするんですよネ」
掴みどころも、行動も、いまいち読めない人間だが、確かに本質は心得ているつもりだとレイムは思いつつ「何故?」と問い返す。
その声にブレイクが首を傾げた。
「分からないんですけど、なんかそう思ったんですヨ。レイムさんは凄いなぁ」
言葉の意味が良く分からない。
レイムが得意な事と言ったら事務処理くらいで、特段優れた所など見出せない。彼に「凄い」と言って貰える様なところは何一つ持ち合わせていないように思えた。
パンドラ構成員の中でも指折りに入るだろう優れた戦闘力は、全て彼本来の力によるもので、普段はとぼけているが優れた観察眼だって彼は持ち合わせていて、何も敵う所など自分にはないのだ。
それなのに彼は屈託も無い言葉で敵わないと言う。
体良くいつもあしらわれるだけのレイムに彼が敵わないと思うことがあるなんて思っても見なかった。
「ザークシーズ、疲れてるんだろう? お前」
「うん? なんでそうなるんデス?」
色々と考えてはみたが自分では答えなど出せる筈も無く、変なことを言うのは相手の体調が悪いのだろうと踏んだレイムに、それこそ不思議そうにブレイクは目を細めた。
そして気付いてしまった、とばかりに小さく笑う。
「あのねぇ、レイムさん」
とん、と机に手を置いて顔を至近距離で覗き込まれる。隻眼の鮮やかな瞳が真っ直ぐに見据えて、冷たいばかりの指先が寄った眉間の皺をつついた。
「別に嘘でも、困らせたくて言ったんでも、無いですからネ?」
「あのな」
「……ただそう思ったってだけで、そうなんだなぁって受け取ってくれたら良いんですよ」
溜息を吐いたレイムににこりと笑ってブレイクは詰めた距離を離した。
「ザクス……」
「つまりはネ? レイムさんは私にとって大切な友人だ、ってそういうことです」
その言葉は酷く飾り気が無く、虚実も無く、簡素だった。きっと彼の本質に近いところで告げられた言葉だと感じて、レイムは相槌を打つことしか出来ない。レイムの心中を察したのか少しだけおどけた口調で「何ですか、つれないですネェ」と宣ったブレイクがくるりと踵を返す。
片手をひらりと振って部屋を出て行った後姿を呆然と見送った後、まるで告白のようではないかと思い至って俯いた。
彼がレインズワースに保護されてから、彼の過去を詳しく聞いたりする事はなかったが、彼が極力人との係わり合いを持とうとしていないのを感じ取ってはいた。寧ろ必要が無いと切り捨ててしまっていると言ったら良いのか。
対面的に接する事はあっても、自分から誰かに歩み寄ろうとすることをしない。
そんな彼が自分を友であると言う。それ自体、彼にとっては特別な事なのだろう。
だから普段言わないようなことをさらりと口に出して、それこそ羽の様な軽さで言ったくせに、自分だけで意味の重さを背負ってしまうのだ。いつだって、たぶん。
何に於いて彼に敵うのかなど知る由もないが、ならば自分は彼にとって気づいたら体を預けられる存在に為り得たなら良いとレイムは思う。
口を噤み、背負うものの重さを誰にも悟らせないならば。
何も聞かず倒れそうなときに支えてやれたら良い。彼の想いにそう応えたいと思うのだ。

――でも結局、自分は彼にとって多少なりの支えと為り得たのだろうか?

前触れも無くいなくなってしまった友人に問いかけようにも、術もなければ返される言葉も無い。
また夢を見ていた、と薄暈けた視界の中でレイムは思う。
意識が落ちては夢ばかりを見て全然休めた気がしない。心配と迷惑を主だけではなく他方にかけているのは感じ取っている。
自分の状態は自覚が無いだけで決して良くは無い。過去に捕らわれているのか、願望に取り付かれているのか、或いは両方かもしれなかったが、チェインにとって付け入る隙のある格好の餌なのだろう。
だから彼は「追いかけず求めず、手を伸ばさず、ただ受け入れて欲しい」と願ったのだ。
子どもっぽい言動ばかりが目立つように振舞った彼は酷く大人で、自分のことを良く知っていたのだと思う。
きっと自分の気持ちにも気付いていた。だからあの時掴んだ手を振り解かずに受け入れてくれた。
「……、そうか」
自分は前から友人の枠を超えた感情を持っていて、きっと相手はそれを知っていて、それでも振り払いもせず離れもしなかったのなら、彼もまた同じ答えを持っていたのかもしれない。
知っていたから「忘れて欲しい」と聞こえない声で呟いたのだろう。届いていた、その言葉をやっと理解する。
途方も無く情けなく、馬鹿だと思い至ってレイムは笑った。可能性全てが現実へと繋がるように、不鮮明だった自分の立ち位置が明瞭になっていく感覚を覚える。
何度も聞こえた声はきっと自分が見せた記憶の再生ではなく、彼が存在して言い聞かせるように呟いてきた言葉なのだ。
そうでなければ鮮明すぎる訳でもない記憶が何度も繰り返され、鮮明さを増す筈がない。
「私もお前も不器用なんだな」
自然と笑みが落ちた。微かに夜闇の静寂に支配された時間の中で揺れる気配を感じて外套を羽織る。
求めない声であったから気付かない振りをしていたが、ずっとそれらの声はレイムに届いていた。
そんなものからも守られていたのだと振り払うように宵闇の支配する室外へ足を踏み出した。



***


一つ、二つ、三つ。
着地をした足を軸に体を反転させて、感性に従ったまま杖を振るった。背中まである銀糸が宙を舞いさらりと肩に掛かる。
ざらりと砂のように崩れ落ちる異形たちを見下ろして”イカレ帽子屋”は帽子を被り直した。
そこに近寄る足音に眉を寄せる。振り返りはしなかった。
「……ザクス」
呼ばれる声に反応してもいけない。姿も見せず、本当は悟られる事もしてはいけなかったのだと分かっている。
近寄ってくる気配がその手を伸ばす前に、
「私はお前の支えとなれたのか分からない」
触れてしまう前に姿を消さなければと思った途端、投げられた言葉に動けなかった。心地良い声は障りが無く飾り気も無い。
実直な彼の性格が酷く滲み出ていて、それ故に揶揄する時の頼りなさとは裏腹に回転も飲み込みも良い彼が想像しうる可能性全てを引き結んで、現状を把握したのだと理解した。
「……お前はいつだって私を助けてくれたのに」
それは違う、と反論しそうになる言葉を飲み込んで”イカレ帽子屋”は闇に紛れるため一歩を踏み出した。
かつんと靴が硬質な音を立て静寂の中浮かび上がる。
「”イカレ帽子屋”」
背中から今度は今与えられている名が呼ばれる。引き止められてしまうが故に、そして今の自分を知られたくなかった故にレイムには決して呼ばれたくなかった名を彼の口が紡ぐ。
「今も助けてくれたんだろう?」
けれど声は”イカレ帽子屋”として存在するものの本質を誤ることなく捉えている。
違う名を呼ぶくせに前と変わらぬ温かさで掛けられる言葉に”敵わない”と思った。
いつだって彼は、自分が誤魔化し紛れさせようとする本質を見抜き、見誤らずに受け入れてくれていた。それに何度と無く救われてきたかは分からない。
何もしていないという彼が、そこに在って接してくれる事が何よりの支えとなっていた。
一歩も動けなくなった”イカレ帽子屋”の手をレイムが掴む。確かに触れて、そしてゆるりと視線を上げ肩越しに振り返った先で笑う。
「やっと触れた」
笑う彼にどう反応して良いのか分からず視線を彷徨わせた先、彼の後ろで蠢く異形を見る。影は一つだけではない、――数が多い。
手を振り解こうとした瞬間、凛とした響きを持ってレイムが宣った。
「……”イカレ帽子屋”、私はお前との契約を望む」
”イカレ帽子屋”は目を見開く。言葉は不可視の効力だった。



>>もしも設定7話目。
   次が最後だよー^q^(笑)

どうしたらいいの、僕、ギルの声が聞こえ無くなっちゃったの。
そう言って泣きついてきた少女はもう一時間は泣きやまずに引っ付いたままなので、これは困ったとザクスは途方に暮れた。
魔女はある年齢になると親元を離れ、一人で暮らすようになる。
自分の住む場所を自らで決め、そして魔女として親から教わってきた全てで生活する。
普通の子供ならまだ親の庇護下で育つ年齢で彼女達は自立をしなければならないのである。
「ヴィンセント、そろそろ泣きやみましょう? ね?」
一時間以上泣いているのだから、きっと明日は目が腫れてしまってどうしようもない状態になるだろう。
ぎゅっとしがみついていた少女が顔を上げた。
左右違う瞳からぼろぼろと涙がまだ零れている。
「で、でも、どうしよ……。ぼ、く……何か悪いコトしたのかなぁ?」
よしよしと頭を撫でてあげてザクスは少女の背中に手を回した。
彼女が街に来て、家を探していると言ったので離れの部屋を提供した誼だが、何かと少女は懐いてきた。
まだ親の恋しい年頃だから仕方がないと思っていたのだが、こればかりは手に余る、と頭を撫で続けながらどうしたものかと考えていると「ただいま」と帰ってきた声が聞こえる。
「レイムさん。お帰りなさい」
「あれ、ヴィンセント。来ていた……ってどうしたんだ?」
ひらひらと手を振って挨拶をしたザクスにしがみつくヴィンセント。それを見て旦那は首を傾げる。
ぐすぐすと鼻を鳴らして泣き続ける少女はまた顔を上げた。
「どうにもね……、ギルバート君の声が聞こえ無くなっちゃったとかで」
「ええ? そんなことがあるのか?」
ギルバートとは少女が連れていた猫である。
ちょっと常識はずれた少女を度々窘めていたすらりとした黒猫なのだが、どうやらそれと突然話が出来なくなってしまったらしい。
魔女でなければ話すことが出来ないので、レイムもザクスもその猫と話したことは勿論無い。
「知りませんよ。……でも困ったものです。ずっと泣き続けてるんですから」
「明日になったら普通に話せるかも知れないじゃないか。ヴィンセント」
レイムも小さな少女の頭を撫でるが、少女は泣くばかりでちっともザクスから離れない。
「ううん。今までこんなことなかったもん…!」
ぎゅっと目を瞑ればまた大粒の涙が落ちる。本当に参った、と肩を竦めたザクスにレイムもどうしたものかと目配せする。
肝心の猫は部屋にでもいるのだろうか。
全く経験のないことなので分からないが、猫と話す行為は負担が掛かっていたりするのではないだろうか。
たとえば疲れていれば聞こえないとか。
「どうしよ……、僕、魔力が無くなっちゃうのかなぁ……。そしたら、僕、……どしたらいいんだろ」
小さく呟かれた言葉に頭を撫でていた手が動きを止める。
そっと覗き込むようにしてザクスが優しく問いかけた。
「ヴィンセント? どうしてそんな風に思うんです?」
というか抑も魔女が魔力を無くしてしまうことがあるのだろうか。とレイムは思う。
魔力が無くなってしまえばそれは普通の少女ではないか。
「だって、僕聞いたことがあるの。魔女でも時々魔力が無くなっちゃって、魔女でいられなくなっちゃう人がいるんだって」
きっと僕はそうなってしまうんだ、とまた泣き出す少女が泣き疲れて眠ってしまうまで、結局ザクスは彼女の頭を撫で続けることになった。


***


小型ラジオのような器械のつまみを回して、ザクスはふうと息を吐く。
泣き疲れて眠ってしまったヴィンセントを部屋まで抱えていったレイムがいないので部屋は静かだった。
ざぁざぁとノイズ音が流れて突然音が止む。端的に「何だ、私は忙しいんだ」と声が帰ってきて苦笑すれば、その声は訝しげな音を含んで問いかけた。
「ヴィンセントじゃないのか?」
勿論だと言いたいが、間違うのも尤もなことだ。この器械は魔女としての知識がなければ使えない遠隔会話を可能とする機器であって、普通に考えればこれの持ち主の少女が使っていると思うだろう。
「ええ、違いますヨ。お久しぶりですね」
「……その声、ザークシーズか」
「はい。お久しぶりデス」
相手の僅かながらも驚きを含む声音にくすりと笑みを零すとザクスは首を傾げる。
ヴィンセントを寝かしつけて戻ってくると言っていたレイムが戻る気配はまだ無い。
「どうして、お前が?」
「聞いてないんですか? 彼女、私のおうちに居候中です」
「お前の?」
「正確には私の旦那の、ですけど」
そうかと相槌を打つ相手には寝耳に水のことだったらしい。沈黙が続いて、結局切り出すには自分から言うしかないのかとザクスは口を開いた。
「ところで」
「……お前から見たらどう思うんだ」
問いかけるよりも先に問いかけられた。一瞬何を? と分からなくなりそうになったが言いたいことは分かる。
つまりは急に使い魔にあたる猫の声が聞こえなくなった少女の状態をどう見るのかと問うているのだろう。
一応ヴィンセントはまだ薬を作ることが出来るし、箒で空を飛ぶことも可能なようだった。今のところ何とも言えない。
「不安定期、なんじゃないですかネ?」
まだ成長途中の少女の精神に、左右されたとしても不思議ではない。
魔力が無くなると考えにくかった。
「たぶん、大丈夫だと思います」
「そうか?」
「ええ。そんな簡単に魔力が無くなるものじゃないって、貴女なら知ってるでしょう?」
ヴィンセントの母親に当たる魔女はその言葉に沈黙を返した。
部屋の静寂が耳に痛く、言葉を待ち続けるとやがてぽつりと返ってくる。
「では、お前は?」
「嫌ですネェ、私はまた特別ですよ。魔力が無くなることが分かってたんですから」
「天才と言われたのに」
「期限付きでした。私は、そのうち自分が魔女としては生きられなくなるのを知っていましたし」
――だから、大丈夫ですよ。
そう付け足せば相手が小さく息を吐いたのが分かる。
猫の言葉が話せなくなった時点で母親に泣きついたが相手にされなかったと少女は言っていたが、母親は母親なりに考えて少女を突き放しているのだろうと分かって苦笑する。
自立させなければいけないのだから不用意に手は伸ばせない。そう思っている相手を安心させるように言う。
「安心して下さい。とりあえず気に掛けておきますから」
甘いとは思うけれど。
「……すまない」
「良いですよ。昔馴染みの娘さんですからね」
それに自分も魔女として生き続けていたなら、同じように悩んだかも知れないとなれば無碍にも出来ない。
ありがとうの言葉にどういたしましてと返してザクスは機器のつまみを先ほどとは逆の方向に回した。
「結婚していると言ったな」
小さくなっていく声が最後に問うのに、ザクスは「知らないですよ」とだけ返してぷつりとノイズが途絶える。
人間として普通に生きていくことに苦労はなかったが、嘗て魔女であったことをザクスは魔女として過ごした街を離れてから誰にも明かしたことはない。
だから結婚した相手がその事実を知ることもないのだ。
でも、どうだっていい。
彼と自分は人間として出会って共に過ごすことを望み結婚したのだから。

「ただね、空を飛べなくなるのは少し寂しいですからね」

魔女として独り立ちしたばかりの少女に声を掛けた理由。
それは空を楽しそうに飛んでいる少女の笑顔が輝いていたのと、もう一つ。自分が飛べた頃を思い出したが故だった。
だからこそ少女の魔力が無くならないことを祈る。
とても楽しそうに空を飛ぶ少女を見送るのが、今の自分にとっては大事な一つの日課となっているのだから。



>>まじょこさんネタ。ヴィンスの宅急便(笑)
   キキがヴィンス。ジジがギル。お母さんはグレンさん。
   そしてパン屋夫婦はレイムさんとザクス兄さん。

   そんななんちゃってネタ。続かないよ。息抜きなだけ^q^

心の闇に、過去と現実と未来の間で叶わない願いを切望する声に、深淵に住まう存在たちは惹かれる。
引力には逆らえないと歪んだ空間の綻びから顔を出した異形にオズは容赦なく大振りの鎌を振り下ろした。断末魔はほぼ上がらず異形は形を成すことも許さないと言われた様に砂塵と化していく。
冷ややかな視線で一瞥した後、オズは息を吐いた。
少し離れた所で気配を探る黒ずくめの友人であり従者でもある青年に声をかける。
「どう? ギル」
「今日はそれだけみたいだ」
それだけを言って一つだけ明かりの灯った窓を見上げる。
「オズ……、そろそろカバーし切れないと思うぞ」
「うん」
「日を追う毎に多くなってる」
「分かってるよ」
ギルバートに言われなくてもオズには分かっている。レイムが心の整理を付けられず無意識で求める声にチェイン達が反応を示し、空間の綻びを抜けて接触を試みようとしている。それは、彼が契約の誘惑に乗る可能性が非常に高い事を示唆していた。
聡明な彼のことだ。そう簡単には落ちはしないだろうと思う反面、その誠実さゆえに危ういとも感じている。
何よりも彼は、自身が今どういう状況にあるのかを理解出来ていない。
彼の失ったものに対する呼びかけは”過去を変えたい”という願いに似て、チェイン達がアヴィスから外界に干渉出来る多大な力となっている。
時間でしか解決出来ない問題があるが、彼の思いはたぶん時間を置く毎に切望に変わっているのだ。
だからこそ最近はレイムに近寄ろうとするチェインの気配を頻繁に感じる。
アヴィスとの空間を繋ぐ能力を持つ”鴉”を持つギルバートからすれば、空間の綻びも多いという。
今はオズとギルバート、他に彼を気に掛ける契約者が気配を見つけては追い払ってはいるが、それを掻い潜って彼の元に辿りつくのは時間の問題のようにも思えた。
「……困ったなぁ」
「オズ?」
「いなくなってしまったなら、その後絶対に姿を現しちゃいけなかったんだ」
少年の呟きに従者は首を傾げる。
何の話だ? と言わんばかりの視線を受けてオズは微かに笑みを零すだけだった。

――ねぇ、ブレイク。例え、それが大事で。救うにはそうするしかなかったんだとしても。

不確定に望みを持たせるような行動は、理性では押さえの利かない願いを抱かせてしまう事になるのだから、してはいけなかったんだ。


   ...開かずの扉


あの晩、レイムが違法契約者のチェインに襲われた一件はパンドラ内部では物音を聞きつけた”オズ”がチェインを退けたという形で処理されていた。何よりもそう報告するより良い方法が無かったとも言える。
アヴィスに関わるものを”消滅”させる力を持つのは、オズの”黒うさぎ”とブレイクの”イカレ帽子屋”だけだった。
”イカレ帽子屋”と契約していたブレイクが事実上死んでしまったとされた中で、オズ以外の誰かが”消滅”の力を使ったことには出来なかった。だからそのように報告したのだ。
実際のところ、それで納得しなかったのがレイムの主とブレイクが身を寄せていたレインズワースの人間である。
「……そうですか。わたくしの”一角獣”でも最近は捉えられないチェインも増えてきましたし」
カチャ、とカップとソーサーの触れる軽い音を立てて、繊細な指がテーブルの上にそれらを置いた。
困ったように瞳を伏せた少女とお茶に同席しているのは、レイムの主であるバルマ公とオズとギルバートである。
レイムがチェインに襲われた時、レイムを救った存在はオズではない。それを自らの口で、報告とは違う事実を告げたオズは、為しえたのが”イカレ帽子屋”以外の存在であるとは考えにくいとも伝えた。何よりもその持つ能力が稀過ぎる。
抑も”黒うさぎ”はアヴィスの中で異端なのだ。アヴィスの核となる少女が望まずして生まれたチェインである事に間違いは無く、それ故に望まぬ力を持っていたとしても無理はない。
しかし”イカレ帽子屋”の、”黒うさぎ”と同等である”消滅”の力は普通に考えればアヴィスの意志の元で生まれたものである。
どんな経緯があって生まれたかは分からないが、ともすれば自分のお人形全てを消し去ってしまう力をそう簡単に作るとは考えにくい。たぶん与えられたのは唯一だ。
と考えが至れば、オズ以外にチェインを消す事が出来るのは”イカレ帽子屋”の能力以外に無い。
「限界かの。我も最近、良くあれの側で空間の歪みを感じるのじゃ」
「日に日に寄って来るチェインも増えてきていますし。……どうしたらいいのか」
空間を繋ぐ黒き翼のチェインを持つ二人は、まだ契約を為していないチェインが彼の元に向かおうとするのを敏感に感じ取っている。お茶菓子を一つ摘んだオズがふと視線を上げた。
「ブレイクが戻って来てくれるのが一番ベストだけど、そうもいかないし」
つい言葉にするには皆が戸惑う言葉を口にする。
悲しそうに眉を顰めたシャロンと、その言葉自体に面白そうに口角を上げたバルマ公、そして気遣うようなギルバートの視線を受けてオズは苦笑した。
首を竦めてみせて「ごめん」と言う。
戻ってきて欲しいと願うのは何も自分だけではなく、その思いだけならばシャロンの方が強いと思うのだ。
しかし、オズの言葉はシャロンや他の者達が望むものとは異なる意味も含んでいる。
彼女達が望むのは人間であるザークシーズ=ブレイクの帰還。無事とはいかなくても生きていてくれたら良いという願望。
しかしオズのものには彼が例え人間でなかったとしても、という仮説も含まれている。
「とにかく、レイムさんがもう少し落ち着いたら……。現状をお話しするのが一番な気がしますわ」
気が進まないことではあるが、と内心滲ませたシャロンが全員に同意を求める。
それには頷くしかない。
「でも……、難しい気はする」
一度、もう戻らないものを追いかけるのは止めて欲しいと言った時に返ってきた言葉。
レイムは頭では全て理解しているように思うのだ。ただ願望を捨て切れていないのであって。
それが痛いほどに見て取れる故に、全員がどうしたものかと対処に困っているのだが、今は何とか保っている現状は長く続きそうに無い。



***


「話をしたいんです。バルマ公」
話を終えて暫く廊下を進んだ先で少年が声を掛けた。それに姿は若いが、年齢で言えば老人に当たる彼が目を細めて笑う。
予想していたかのような表情だ。
「あの二人には聞かれたくない話かの? ベザリウスの子」
「オズです。……まぁ、はい。二人にはちょっと聞かれたくない話というか。聞きたいことがあるんです」
知識が一番価値あるものという考えを持つバルマ公ならば何らかの答えを持っている可能性もあると踏んだオズに、しかし彼は首を振って前置きをする。
「一つ言うておくがな……、たぶん汝の求める答えは我は持っておらん」
先を読む言葉にオズは思わず笑ってしまった。
前置きをした行為は非情にも思えるが、きっと彼なりの気遣いであるのだろう。寧ろ上手く振舞えない不器用さが微笑ましい。
「構いません。……ただ、自分だけで考えるのにも限界があったから」
本音を漏らせば「ふむ」と相槌を打ったバルマ公が一番近い部屋の扉を開けた。明かりは点いておらず無人であるのを確かめると入るように促し、自身も暗い室内にするりと身を滑り込ませる。
ぱたりと扉が閉まったのを確認してオズは振り返った。
「まどろっこしいのは無しで良いぞ。……先ほど汝は言ったな? 『帽子屋が戻ってきてくれたら』と。それが言葉以上に意味を持つのは分かる。何を知っている?」
単刀直入な問いにオズは目を丸くする。
彼は確かに知識欲に貪欲なのだ。だから些細な言葉の違いに気付いたらしい。
「あの晩、オレが駆けつけた時には既にチェインは”消滅”していました。それは前にも話したはずです」
「……何か見たというのか?」
「良くは分からない。最初は見間違いかとも思ったけど」
時間を掛け考えを纏めようとすればする程、一つ与えられた知識が酷く浮き彫りになるのだ。
「前にブレイクが言ってたことを覚えてますか?」
「何?」
「アヴィスに堕ちた人間がチェインとして生まれ変わるって話です」
それはブレイクが嘗て違法契約者としてアヴィスに引きずり込まれた際に深淵の主から直接与えられた知識。
深淵の核が嘘を吐かない限りは真実だろう、その――。
「”イカレ帽子屋”を見たのか、汝は」
「……はい。たぶん」
頷いて思い返す。
何かの聞こえない断末魔を感じて、通常ではない物音を頼りに暗い路地を走った先で、闇に紛れない銀糸を見た。
背筋を凛と伸ばして立つ影はオズの気配を感じてか、僅かに首を傾けて、目深に被った帽子で表情は見えなかったが確かに笑った。それは良く知っている笑みだった。
「それで、汝はどうするつもりだ?」
「ギルに頼もうと思ったけれど、貴方にお願いしたいんです」
「……何を?」
「アヴィスへの扉を開けて欲しい」
「馬鹿な」
思わず漏れた言葉にオズがにこりと笑って返す。
少年の言いたいことは全部言わなくとも理解が出来る。つまりオズは確かめたいのだ。
ザークシーズ=ブレイクの契約チェインであった”イカレ帽子屋”が現在どのような形で存在しているのかを。
「危険だ」
一度アヴィスに堕とされた経験があるなら、あの永遠の監獄と呼ばれる深淵がどれほど危険かを理解出来ているはずだ。
幾らアヴィスへ繋がる道を開く能力を有するとはいえ、ちゃんと戻ってこれる確証など無い。
「でも、確かめるのが一番な気がしているんです」
はっきりと告げるオズが、眉を顰めたままのバルマ公を安心させるかのように笑う。
「今は”黒うさぎ”の力もあるし……、それにバルマ公だって知りたいでしょう?」
誘うような言葉だった。
知識が何よりも尊い宝だと豪語するからには、人がチェインとなる可能性とその真実を確かめたくないわけがないだろう。
狡い手でオズは年長者を唆す。小さく溜息を零したバルマ公がふるりと一度頭を振った。
「良かろう」
上手く乗ってきたとオズが思った矢先、ふと視線を合わせてきたバルマ公が笑う。
「その代わり、この話は事情を知っている者に伝えた上、ほぼ全員の同意が得られたら……じゃ」
それでは色々と混ぜ返して混乱してしまう。思わず拳を握りしめたオズの肩にそっと優しく手が触れた。
「レイムのことは心配じゃ。何とか最善を尽くそう。……けど、それとこれとは話が別じゃ」
一つ、何かを堪えるように呼吸を置いたバルマ公が言う。それは普段は余り聞けない彼の心の一端。

――失う可能性のあることに、賭ける気に今はなれぬ。



>>もしも設定。ルー君が変に大人^q^

――呼ばないで下さい。どうか、そうやって私を呼ばないで。
小さく上げた声に自身で驚いて飛び起きた。そうすればきっともう声は聞こえないと思っていたのに、色を混ぜすぎて黒になりきれなかったような闇の中、声だけは確かに聞こえて止まないのだ。
「……馬鹿レイムさん」
小さく呟く。そうやって何時まで経っても名を呼ぶのは、歳の離れた、全てを失った後に出会った友人だった。


   ...擦り抜ける影


今日何度目かの溜息を廊下で吐いて、オズはパンドラ内部の最近通い慣れた部屋へと向かう。
自分の従者は置いたとしても、余りお小言のような内容を自分より年上の相手には言いたくないものだ。しかし状況としてそうも言ってられない。心底相手を気遣う調子でお願いしますと言って来たシャロンの為にもオズは言わねばならなかった。
目的の部屋まで来てオズは一呼吸置くと扉をノックする。直ぐに「どうぞ」と落ち着いた声が聞こえて、入室を促した。
「こんにちは、レイムさん」
机の上に置かれた書類を片付けていた相手が深く頭を下げる。畏まるのは良いと前にも伝えたのだが、彼の性分なのか結局深々と為される会釈が変わることはない。
後ろ手で扉を閉めてオズは笑みを作った。
「調子はどう?」
「はい。皆様のおかげもあって元気です」
「そう、良かった」
半月前、レイムは違法契約者のチェインに襲われ怪我を負ったが、幸い怪我は大したことが無く今では生活に支障は無いようだ。
相変わらず大量の書類を片付けるレイムには感心するが何も無理はしなくても良いように思う。
無理はしていないとレイムは言うだろうが、主始め彼を良く知る人間達は揃ってそんな様子を危惧しているのだ。
毎日というわけではないが定期的に部屋に訪れるオズが、「お構いなく」と言い続けた成果もあってかレイムは会釈をしただけでまた机に向かった。さらさらとペンの走る音だけが聞こえてくる。
「……レイムさん、あのね」
「はい」
空いているソファに腰掛けて声を掛ければ、間を置かず返ってきた声に思わずオズが視線を上げた。
その先で穏やかに笑うレイムがいる。少しずつだが彼もまた失ったということを前向きに肯定していると思いたかったけれど、オズは緩やかに首を振った。
「見えなくなったものを追いかけるのは止めて」
深淵に引きずり込まれてしまう。深く強く求める声は深遠に住む異形を引き寄せてしまう。
レイムを彼から紹介された時、彼はレイムを”友人”だと言った。信頼に足る人間だと言い、彼は常に掴みどころが無く誰にも寄りかからなかったというのにレイムにだけは容易く体を預けた。それを見ても、彼にとっても、レイムにとっても互いが”友人”という枠にはまらない大切な存在であったのは理解出来る。
だからこそ彼が、ザークシーズ=ブレイクがもうこの世界にはいないのだと納得出来ないのは痛いほど分かった。
オズだって一欠片の希望があるなら生きていて欲しいと願う。今だって生きているならと思うけれど、現実を受けきれず過去に囚われれば深い闇からの誘惑があることをよく知っているのだ。
ブレイクが消息不明となってからのレイムの行動に何かしら異常があるとは言えない。
ただ時折視線を彷徨わせる先、何も無いはずの場所で彼はぼんやりと意識も彷徨わせ、その度に深淵から彼を誘おうとする存在の気配を僅かながらに感じるのだ。
チェインは現実世界に契約無しでは、ほぼ干渉する事が出来ない。
人と契約を結び始めて本来の力を使うことが出来る。だからこそ過去を変えたいか、望むものはあるか、と人の弱みに付け込む甘美な囁きで彼らは契約を持ちかけるのだ。その手法をレイムだって良く知っている。
でも一歩間違えば、今のレイムは甘美な言葉の誘惑に負けてしまいそうな危うさを孕んでいた。
「……あいつと、ザークシーズと同じ事を言うんですね」
ぽつりと漏らされた言葉にオズはレイムを見詰めた。淀み無く動いていた筈のペンが止まっている。
「ブレイクと?」
意外な名前が出たことにオズは聞き返してしまった。
大体いつレイムとブレイクがそのような会話をするに至ったというのか。
「はい。……随分と前ですが、そんなことを言われた事があります。――”自分は貴方よりもずっと年上だから、貴方よりも先にいなくなる。だから、いなくなってしまったとしても、捜したり、手を伸ばしたり、……追いかけてもいけない”」
それがいつの事だったのかはオズには分からない。
しかし自分がいなくなった後、彼がこうなってしまうかもしれないとブレイクは予想していたのだろうか。
オズが先ほどレイムにいった言葉と嘗てブレイクがレイムに渡した言葉は同じ意味を持っていた。
「レイムさ、」
「分かってはいるんです」
穏やかに、あくまで声音は変わらず淡々とそうとだけ言った。感情が浮かばないその言葉にオズが眉を顰める。
「理性では、理屈では、ちゃんと理解出来る。あいつがそういった意味も分かってるつもりです。……けど、気付くといないのが不思議で、分からなくなってしまう」
それは彼がいなくなってからレイムが吐き出した初めての本心だった。
いなくなってしまったのだ、と。彼はもう戻ってはこないのだと頭ではちゃんと分かっているのだ。情報として頭の中では整理がついている。ただ反対に感情は追いつかず心の中での整理がつかない。
目が覚めて普通に過ごしていたらひょっこりと表れて、いつものように名前を呼ぶのだろうと記憶の残像がちらつくのだ。
全くもって情けなく未練がましい、と思うのに止まらない。
そっと手を組み額を押し付けて黙ったレイムの肩に手が乗った。
「……大丈夫。少しずつで良いと思う、レイムさん」
オズが笑う。
「そういうのは少しずつで良いんだ。……ただ、誘う声には乗らないで」
――取り戻したいか、と囁いてくる闇の誘惑には決して応じないで。
静かながらも必死さを含んだオズの言葉にレイムは頷いた。



***


呼ぶ声には抗えない、と深淵の主は言う。真白さを纏った純白は歌うように一つの事実を告げると、優しく笑い許しを与えたのだ。
――いいのよ、時折戻ってきてくれるなら。貴方はあっちにいても構わないわ。
それはアヴィスの核となる少女にとっては気紛れのようであり、手に入ったばかりの彼があちらにいるのが当たり前になっていた感覚からなのかも知れない。しかし言われた本人からすれば要らないお世話だった。
出来れば声には応じたくない。出来れば、その手を取りたくはないのだ。
全てを己が過ちで失って絶望の中にいた自分に温かさをくれた存在を、よりにもよって自分がこの闇に堕とすような真似は出来ない。
「……駄目です、呼んではいけないんです。レイムさん」
ずっと止まず聞こえる声に耳を塞いで蹲る。それでも声は途切れずふるりと頭を振った。振り払う事は到底出来ぬ呼び声に応じてしまえと、どこか自分の本能が言うのを何とか抑え込む。
自我も理性も前のまま残っているというのに、その本能から来る衝動だけは身に覚えが無く新しくて、自分は完全に人という存在から離れてしまったのだな、と抑えこむ度に再確認する。その行為さえ苦痛だった。
ぎゅっと目を瞑ってやり過ごす間に近づいてきた気配に顔を上げる。
薄っすらと開いた視界に真紅の隻眼が映りこみ、それは首を傾げた。
「”イカレ帽子屋”」
そして与えられた称号のような名前を呼ぶ。自分をずっと呼び続ける声が紡ぐ名前でもなく、深淵の主である少女が呼ぶ生まれた時に名付けられたものでもない、チェインの存在を示すそれを。
「……、何ですか?」
過去に必要以上に痛めつけてしまったせいか、普段は近寄ってこない猫が手を伸ばせば触れる位置にまで近づいていた。
珍しいと言葉を待てば猫が言う。
「良いのか? あいつの声に応えなくて」
「……アリスに言われたんですか?」
「違う」
どうして呼ぶ声に応じないのかと再三尋ねてきた主の差し金かと思ったが、どうにも違う意図で猫は来たらしい。
ぺろりと自分の手を舐めて目を細めた猫が仰ぐ様に視線を上げる。
「このままだとあれは、何かに唆されるぞ」
「……それは」
「お前の名を呼んでいるだけなら、まだ良いけれど。このままだと違うものと契約する」
最初、呼び止めるように続く声はただ追いかける純粋さだけが存在していた。それが最近は切望する必死さを含んでいるのを、一握りの後悔と言い聞かせるような諦めが混ざっているのを感じてはいる。
過去を変えたいと願う人の弱みに付け込むチェインにとって、彼の声も願いも格好のものになるのは考えなくても分かる事だ。
「お前はそれで良いのか? ”イカレ帽子屋”」
悪意も無く問われる声に、ならどうしろというのだと思わず反論したくなった。
猫が導く答えなど一つしかないだろうし、チェインの上に立つ絶対の主である少女が提案する答えも同じものだろう。
だけれど。だからこそ、躊躇うのだ。
嘗て主人達を守れなかった自責の念から呼び寄せた闇と契約を交わした記憶がある故に、その誘惑の抗えない力を知っているが故に、彼の前に姿を現せば自分がどんな存在であるのかを知ってしまえば、今以上に彼が苦しむのは分かっている。
「……あ」
何も言葉を返さないのにも気を悪くせず大人しく待っていた猫が声を上げた。
何事かと顔を上げれば、視線を戻した猫が真っ直ぐに見据えてくる。
「声を聞きつけて、少し出て行ったぞ? 良いのか」
その言葉に弾かれたように”イカレ帽子屋”は立ち上がった。強く握られた杖がその力で僅かに震えるのを猫は見たが、何も言わず目を閉じる。
躊躇う気配と、俯いて吐き出すように紡がれる声に。直後消えた気配に猫はふっと笑った。

――あの、馬鹿レイム。

人間としての自我を持ちながらチェインとして存在する相手だからこそ、抱いた思いに猫は困ったように頭を振り、拍子に首に新たにつけていた鈴が音を立てた。
純粋な想いほどチェインにとって心地良いものはない。




>>もしも設定5話目。
   ダメガネと成り果ててるレイムとか。云々。

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プロフィール
HN:
くまがい
HP:
性別:
女性
自己紹介:
此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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