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謂わばネタ掃き溜め保管場所
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それは先刻のようであったな、と言う声は酷く酷く耳障りで、どうせなら目に映る全てを遮断してしまおうと少年は瞳を伏せた。
途端鋭くなる聴覚に具合が悪くなり選択を誤ったなと思う。どうだっていい話。
「ねぇねぇ」と囁く声は纏うので。
「何もないし買わないよ」と返した。

「まぁそれが妥当でしょうけど」

妙にはっきりした声が意識を浮上させる。
人買いばかりの街でこんなに潔い声を聞いたことは無かった。
こつんと僅かに金属と床のぶつかる音に視界を得る。艶やかな黒髪が宙を舞い真紅の瞳と視線が交わった。
「不用心ね」
華奢な、日本人形のような容姿の少女が笑う。
鈴を転がすような声は自然と耳に馴染み、もっと聞いていたいと思わせた。それよりも真紅の瞳が酷く印象的で、先程までの不快感は全て吹き飛んでしまっていた。


そうね、と彼女は言う。少女の名前はシノと言った。黒髪を一纏めにして邪魔にならないよう無造作に結んだ彼女は、実質治安の宜しくないこの街を不用心な体で、その実うまく躱して目的の場所まで辿り着いた。
不思議な雰囲気を纏う少女に道案内をしていた男は「ここだよ」と最後の役割を果たす。
「それじゃ、気をつけてな。ここは本当に危ないから」



途中まで文章

 

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人外と関わることは避けなければならない。
到底叶えられぬ事象を引き起こす力を持ち、願いを成就させる存在であっても人間は彼らと関わってはならない。
人間と外見上は何ら変わらぬと伝え聞いた存在は、確かに目の前に現れてしまえば本当に遜色なく自分たちと似た形をしていた。
呼ぶ為の方法はならぬと禁じる割りに酷く簡単な方法だった。月の無い夜に暗闇の中両の掌を打てば良い。たったそれだけ。他に何も要らない。
彼らが人間の呼びかけに応える時、彼らは人間が価値があると認めるあらゆるものではなく、たった一つだけを秤に掛け価値を見出す。
それは、

「今晩は、リタ。今日も良い夜ですねぇ」

掌を数度打ち鳴らし宵闇に気配を探る間、ぼんやりと榛の利発な瞳を思い出していた。
程なく闇に沈んだ茂みから気配と共に音が鳴り、闇の中では褪せた色合いの着物を着た少女が一人顔を出す。
呆れたと口を開かなくても分かる表情を浮かべ自分を見詰める瞳の色は榛。
肩の上で切り揃えられた髪は癖なのかあちこちを向いていた。その髪に葉が一枚ついているのが目に留まる。
勝ち気な印象は拭えないが可愛いと分別に値する容貌の少女は髪に伸ばした手を不思議そうに見遣って、摘み上げた葉を見て合点がいったようだった。
「……葉っぱです」
「見れば分かるわ」
差し出された葉を受け取った少女が素っ気ない言葉を返すので思わず笑った。
訝しげに眉を顰めた表情さえ可愛らしいと思う。同性でありながら幾分か下げなければ合わない目線を、今は敢えて合わさない。
乾いた音を先程あげた両手を軽く示せば少女の眉間に皺が深く刻まれた。
「駄目だって言われなかったの?」
「言われていますね」
「なら、それは道理よ。碌なことなんて無いわ。止めておきなさい」
きっぱりと言い切る声は心地の良い低さを兼ね備えて闇の中ですとりと落ちた。
両の手を見下ろして思案する。少女の言い分は多分正しい。十中八九正しいと評価されるのは分かり切っている。
「でも、」
「でもは無いのよ、エステル」
言い含める声に名を呼ばれて顔を上げれば、少女が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
少女が何に対して苦い感情を抱いたのか、考えなくとも直ぐに見当が付き自然と笑みが零れる。
「名前、呼んでくれましたね、リタ」
消え入るように失敗したと呟いた少女が、今なお闇へ目を向ける自分を苦々しく思っているのは分かっている。
空にはささやかな星ばかりで月は無く闇を一層深く引き立て、自分が事を為すには絶好の日和でもあった。
遠く闇に響くように打ち鳴らそうとした手の片方を、音が鳴る手前で掴み引き留めた温度は暖かく、力任せに引かれた先で聞こえた声は震えている。
「エステル、止めて」
止めた少女が俯いている為、顔は見えない。
僅かに身を屈め覗き込もうとした気配を察したか、首を捻って顔を逸らしてしまう彼女は心底優しいのだと痛い程理解出来る。
なのに自分は彼女の言葉に応えることは出来ない。
「ねぇ、リタ。わたしはどうしても叶えたいことがあるんです」
人の身では、たった一人のか弱い女では、到底叶えられないであろう願望を、人外との取引で叶えようとするのは愚かだ。
代償が余りにも大きい。それは未来とを引き換えにする行為。
「リタ、」
「……ねぇ、エステル。願いを叶えたからと言って、その結果の未来に貴女は生きていられない」
「知っていますよ?」
「自分の命と引き替えに願いを叶えようだなんて、意味無いわ」
月の無い夜。闇が一層深くなった晩に取引を望み手を打ち鳴らす際、人外の彼らに支払う代償は、人間が価値を見出す財では無い。
人が人として唯一を持つ命を彼らは秤に掛ける。
願いを叶えても、その結果を引き出した未来に願った本人は生きてはいられない。それが”鬼”との取引だ。
「意味は無いかもしれない。リタにとっては意味を見出せないかもしれない。けどわたしはそれで良いんです」
「エステル」
「それが良いんです」
笑えば震える息を吐き出した少女が逸らしていた視線をひたりと合わせてきた。
真っ直ぐ射抜く視線に今までとの馴れ合いには見せた事の無い冷酷な色を混ぜて、薄い唇が言葉を紡ぐ。
「契りが成立すれば、取り消しは効かない。それでも?」
「はい」
「……あたしを」
「はい?」
ふ、と。
合わせられた瞳が揺れた。一瞬泣きそうな表情を浮かべる、それに気を取られて言葉に返事が遅れる。

「友達だって言ってくれたじゃない、エステル。……でも友達のままじゃ居させてくれないのね」

伸ばされて触れてきた指先は少し冷たさを纏い、反射的に目を細めた。
片方の手が所在無げに揺れるのを見て咄嗟に両手で握り締める。
最初に彼女に会ったのも月の無い夜。闇の中、視界が順応し切らぬ内に乾いた音を立て耳を澄ました。
がさりと気配が立った瞬間、自分でも驚くほど心臓は早鐘を打ち呼吸も侭ならず、しかし次の瞬間呆気に取られたのだ。
自分と同じ年頃か、少し幼く見えるだろう少女の姿に。
「わたしの命は、リタにとって価値がありますか?」
「……愚問よ。契りはあたしが価値があると認めなければ成立する事も、持ちかけられることも無いわ」
「でも、リタは躊躇ってくれたじゃないですか」
「あたし達にとっては一度じゃなくても、”人間”にとっては一度限りだもの」
命を代償にするのだから、唯一しかないものを掛けるのであれば、確かに一度限り。
取り消しも効かないと少女が言った、正しく一度切りだというのなら、自分は彼女に残酷なことを思う。
「わたし、契りを交わすならリタとが良いです」
「エステル」
「……友達の居なかったわたしの、友達になってくれたリタに、わたしの命はあげたい」
馬鹿ね、と泣きの入った声が耳朶を打つ。
人外との取引は愚かな事。命を掛ける行為の先、続く未来に願望者は居らず、成果を与えた存在に命を代償として払う。
成果を与えるのは”鬼”。対し代償を払うのが”人間”。
けれど本来は違うのかもしれない。堪らず少女の頬を滑り落ちる涙を救い上げて思う。
自分達よりも力を持つ彼らは、少なくとも彼女は優しい。命を秤に掛ける為か人間よりも命を尊ぶ。
契りを交し成果を齎した先、緩やかに命を彼らが掌握する時間は、彼らに如何様な感情を与えるのだろう。
若しかすれば代償を払っているのは、自分達ではなく”鬼”たちかもしれない。



>>微妙に世界観だけ続いてる似非和風。エステルとリタ。
   なんかリタかわいそうだな、と書き上げてからすごくすごく悲しくなった(苦笑

あ、と声が上がった。
余り聞いた覚えのない珍しい声にふと顔を上げれば、視界に宵闇と似た色をしながら紛れぬ漆黒の髪が映り込んだ。
仄かな光源に照らされた顔色は余り宜しくない。伸びた腕が闇を掻いたが何にも触れられはしなかったろう。
証拠に僅かに眉を顰めた青年がゆったりとした動きで首を傾げる。
動きに合わせて伸ばされた漆黒の髪が肩から滑り落ち、僅かに頬を掠めた。可笑しいなと呟く声は低さを伴った通りの良い声で、聞き慣れてしまった声音だ。
すっかり元の調子に見える様子に、しかし髪から僅かに覗く首の血色の悪さから見せ掛けなのだと知る。
たぶん立っているのも辛い。
「……座っても良いんだよ?」
「いや、良いんだ」
今日は調子が良いからと付け加えた青年の言葉が静寂に溶ける。ふっと息を吐いたそれに白が混じって矢張り溶けた。
視界の端で眺めて浮かんだ感情を何と言おう。
「ねぇ」
「何だ?」
伸ばした指が血色の悪い頬に触れる。期待を裏切らず血の通った暖かさの希薄な温度に薄ら笑みさえ浮かんだ。
出会った頃は肌は白かったが決して虚弱を寄せ付けない力強さを備えていたものを。
「後悔はない?」
「今更じゃねぇか」
からからと笑った青年は触れた手を取る。頬と同じように手もまた冷たく血色が悪い。
暗闇の中仄かに浮かぶような白さは不自然な印象さえも含み、彼が何かに憑かれたのだと噂する周囲の言葉は正しく的を射ているのだと自嘲した。
心配する人間達の言葉を「大丈夫」という言葉で封じ込めた青年の、けれど運命は既に絡め取られてしまっている。
他でもなく絡め取ったのは自分だ。
薄い掌が打ち合わされて鳴った音に惹かれてしまった。
その先に見えた青年の、漆黒を溶かした癖のない髪と紫暗の瞳が宿す意志の強さに目を奪われた。
いつだって呼びかけには応じなかった自分が、その時だけは相手に言葉を言わせたくて逆に持ちかけた。
平然と話を聞き入れた青年が思案する間に吹き込んだ、虚偽を織り交ぜた甘美な誘惑に、されど虚偽を見抜いた上で成り立った契りは代償として命を掛ける。
成果を与えたのは自分。代償を支払うのは青年。
命はゆったりと個人差は伴うものの、両の掌で取り零さぬよう慎重過ぎる程の緩慢さで滑り落ちる。
潔く椿の花が地に落ちる様にはいかず、日々若干の変化でもって弱っていく命を体感していくだけの日々。
最近は外に出ることさえ侭ならぬ青年の様子を心配する人間は割と多かった。
出会って間もなく両親は居ないので気兼ねは要らないとさらりと告げられた事実に嘘はないのだろうが、こればかりは仕様が無い。咎められるべきが存在するなら両者の一つの行いでしかないだろう。
「ユーリ」
「……ん?」
彷徨わせていた視線がゆったりと焦点を自らに合わせていく。薄く水の幕を張った瞳に反転した姿が映ったのが見え、想像よりも覇気のない顔に浮かべた笑みは自然と引っ込んだ。何とも可笑しな話とはたぶんこれを言う。
「後悔してんのは」
「ユーリ?」
「お前の方だな」
ふと息を吐くついでとばかりに笑みを浮かべた青年が手を重ねる。
冷たい指先は若しくは既に感覚も失い掛けているのかも知れない。
「何を、」

「お前は優しいから」

知らなかった、と言う。知らなかったと思う。けれど知ってはいけなかったと後悔だけはしてはいけない。
摘み取る命に先は無く自分には未だ自由になる時間が余り有る。
「ユーリ」
「ありがとな」
囁くほどの大きさで述べられた感謝に声を返せない。頷き覚えた痛みを顔に出さないように努めるのが精一杯で言葉など探せなかった。
緩やかに掌握する命。それは他ならぬ目の前の存在の命だ。
姿形は良く似ていても人と自分は存在を異とする。彼らが覆せない現実を代償に因って叶える人型の異形を彼らは”鬼”と呼んだ。
生きる時間の尺も違えば本能も違うらしい彼らとの取引は”鬼”が優位で有るはずで、成果を与える故に本来なら自分らが何かを償うことは無いのだと思っていた。
昔馴染みの”鬼”が人との取引を交わした経験を「後悔してはならぬ罰だ」と喩える。
終ぞ取引を持ち掛けられても応じなかった自分には分からない真理ではあったが、今更身をもって知った。
もう青年に残されている時間は両手で指折り数える日数にも満たない。
ふらりと傾いだ身体の脇に腕を差し入れ支えれば軽さに驚く。元より細身であったがこれでは、
「たぶんな、明日かそれくらいじゃないかと思う」
心の裡を読んだように言葉は紡がれ、受け止めるより流れる中手元に残されたものを茫々とでも感じ取る方が、時間を数えるのは容易いのだろうと思い至った。
彼の言葉は真実となるだろう。
「僕は、ね」
「後悔したら駄目なんだろ? 俺は感謝してる」
手を拱いて喪うはずだったものを救えたと青年が言ったが、価値は見出せそうになかった。
救った中に目の前の存在の未来は含まれない。一個人が願う幸せは小さく、数多ある命の中で目の前の一は些細なものでしかないのだろうが。
「酷い言い方だとは思うけど」
「……そうだね」
契りを交わしたその時より、命が手元に落ちる迄の間。
手に入れる命、喪われる存在から自分たちは一定以上の距離を隔てることは赦されない。
それは正しく自らが取り上げる価値を看取る時間なのだろう。
抑も取引として契りを交わすには、異形である”鬼”が対象となる人間に対し、力を貸しても良いと思うだけの価値を見出さなければ成立しない。
「でも僕は後悔はしない」
「……うん?」
「したら駄目なんだよ。持ち掛けたのは僕だ」
言い切れば既に生気の欠片しか持たぬ青年が困ったように笑った。
寒さで元より色味が喪われた唇が紫に変わっているのに気付いて、何も言わず寝所に向かう道を戻る。
青年は「もう少し」と強請ることはしなかった。代わりに薄雲に掛かった空を一度見上げ目を細め名を呼ぶ。
出会ってから初めて、呼ばれた自分の名だった。

「ユーリ」

引き留めるように呼び返す名に視線を戻した青年が小さく首を傾げる。
気遣って促し差し伸べた手を掴んで笑う命は明日には完全に自分の手の中に落ちるものだった。




>>相変わらず雰囲気だけの。似非和風っぽい感じ。人外カロルと人間ユーリ。
   カロルの名前が出てこないので、勘違いすればフレンにだって取れるという代物。

それは鮮やかで鈍い赤と混じった様に現れる記憶。
乾いた呼吸音が気持ち悪く、まるで己のものではない様な錯覚を起こし、耳を塞ぎながら歩く場所は何処とも知れない。
暗い路地で逃げ回る靴音が矢張り気持ち悪くて眉を顰めて消してしまおうと思う。
助けを請う声は酷く掠れ歪んでいた。「ああ、気持ち悪い」と握っていた剣を振るえば鈍い感触が手に残る。
瞬間幼い少女が名前を呼ぶ幻聴を聴いた。今は呼ばれない名前で呼ぶ、その声をよく知っている。

「……おじょう、さま」


   ...花冠の埋葬


パンドラ内部に宛がわれた一室、机の上に積み上げられた書類と格闘していたレイムは小さく聞こえた声に顔を上げた。
少し離れた場所に形だけの小さな応接用のテーブルとソファがあるが、其処ではなく窓際に一つだけ配置されたソファの方から聞こえた声に耳を傾ける。
「……ザクス?」
呼びかければ、自分の方からは背もたれが邪魔をして見えない相手の身動ぐ気配がする。するりと持ち上げられた手がはたはたと振られた。制服の袖口から伸びる手は男性にしては細く、それでいて血色も良くはない。
暫く手の動きを追っていたレイムが立ち上がろうとすると察したのか声が掛かった。
「何でもないです、レイムさん」
寝起きのいつもより明瞭さを含まない声と緩慢に身を起こす姿を見遣ってレイムが首を傾ると、相手の背中まで伸びる銀糸がさらりと肩で一度留まり落ちる。
ついと長い前髪に隠れた左目がレイムの姿を捉えた。
「魘されていたんじゃないのか?」
「……いいえ?」
問われた言葉に作り物めいた笑みを浮かべたブレイクが、長い前髪を掻き上げて億劫そうに溜息を漏らした。
血色の良くない肌に銀糸の髪、その中で見える真紅の瞳がやけに色を伝える容姿は彼が瞳を伏せてしまえば儚げに映る。
彼の身を包む落ち着いた色で統一されたパンドラの制服だけが現実に引き留めているかのようだ。
「夢を見ていたのか?」
再度問う声にブレイクが首を傾げる。
視線を宙に彷徨わせぽつりと呟かれたのは「分かりません」という一言で、夢を見た後に良くあることだとレイムは納得する。曖昧な夢は見ている間は酷くリアルだというのに覚醒した瞬間に輪郭が暈けてしまう。たぶんそれなのだろう。
けれどと内心思う。魘されるほどの夢は覚めた後も覚えている可能性が高い。
二人きりの部屋で小さく上がった声を聞き逃すほど鈍い覚えもないし、ただ言いたくないだけか。
「レイムさん、眉間に皺が寄ってマス」
そっと伸びてきた白い指が眉間に触れて遠慮無くぐりぐりと寄せられた皺を揉み解す。
揃った両目が銀糸の向こうで瞬いて笑った。
「ザクス」
「さぁさ、お仕事して下さい。まだ残ってるんでしょう? 邪魔はしませんから」
言い残してソファに戻る姿に少しだけ違和感を感じる。昔の彼ならば本当に寝ているのか分からないほど睡眠欲やその他の一次欲求でさえ希薄な印象を残していたが、今の彼は必要以上に睡眠を貪る傾向がある。
現に今もソファに身を横たえて目を瞑ってしまった。
どうにも聞いたところ、存在自体を人から異質なものへと変えた反作用に近いものらしい。
ブレイクが人であった頃の存在の定義は此方側に、現在チェインと変わった存在の定義は彼方側――つまりアヴィス側にある。
此方側にチェインが実像を結ぶ際、契約という寄り代がなければ満足に力を振るえない事は知っていたが、契約を為しても影響がある存在もあるということだろうか。
ブレイクがチェインとして持つ力は深淵の闇にとっても特殊で異端でしかない。
深淵の闇にありながら深淵の存在を否定する事で”消滅”を導く力。
嘗てブレイクが人間として二度目の契約で手に入れた”イカレ帽子屋”としての力は、現在彼のチェインとしての力でもある。
「……ザクス?」
小さく寝息が聞こえてきたソファに声をかけても今度は反応が無かった。
再度眠りに落ちたらしい自身のチェインを起こさぬように近づくと、ソファの上に器用に収まって眠ってしまっている。
僅かに眉間に皺を寄せ身動いだ姿に、矢張り夢見は良くないのかもしれないとレイムは思い、起こしてしまう可能性も考えながら皺の寄った眉間を、先ほど彼がしたのとは違った優しい手つきでとんとんと触れた。
一瞬止まった呼吸に起きてしまったかと触れていた指先を離したが、彼の寝息は変わらない。
少しだけ穏やかになった呼吸の音を聞き、机に戻る。
積み上げた書類の中には今日中に処理しておかなくてはいけないものもある。邪魔ばかりをする印象を持たれがちなブレイクだが、本当に忙しい時に絶対に邪魔をしない分別は心得ていた。
現に今も何もせず会話さえも億劫だろうと寝てしまう手段を取った。
有り難いことだとは思うが、小さく息を呑む声にレイムは顔を顰めるしかない。
本当は眠りたくはないのに選択させてしまったのではないだろうかなど不毛な問いでしかないし、笑って一蹴されるのは目に見えて分かってはいるが、今のブレイクの夢見の悪さは余り良い状態には思えなかったのだ。
微かに吐き出される息と一緒に聞き取り辛い大きさの、その声が呟いた言葉に尚更確信を持った。


***


ふわりとシャンパンゴールドの髪を揺らして首を傾げたシャロンが向かいに腰掛けたレイムを見遣る。
「それで?」と質問した筈が沈黙したまま答えが返らない。午後の穏やかな陽気の中には似つかわしくない妙に重い空気だ。
「レイムさん?」
「……いえ、何と言っていいのか分からないのです」
緩く頭を振ったレイムが癖で眼鏡を掛け直す様子を見つつ、紅茶の入った白磁のカップを口元に運ぶ。シャロンの華奢な指がふと止まった。口元に運ぶ筈のカップはソーサーの上に戻され僅かに触れた音にレイムが顔を上げる。
「ブレイクが言う”お嬢様”ですが」
「……シャロン様もそう思いますか?」
先ほどレイムが曇った表情で語った内容は近頃ブレイクの夢見が悪く、魘されていると明らかに分かるのに尋ねてもはぐらかされるというものだった。
些末事と片付けられもするが、シャロンにとって兄のように慕ってきた存在であるのに変わりは無いし何より心配でもある。
寝言でたったひと言「お嬢様」と呟いたと聞かされたが、魘される内容の夢に自分が出ているとは思いたくなかった。
「分かっていて言ったんですか? レイムさん」
「いえ。確信が無かったので」
「意地悪ですね」
さらりと言えばぎくりと肩を揺らす様子に、シャロンは笑む。
今度こそ口元にカップを運び柔らかな香りが自慢の紅茶を一口含んだ。
「わたくしにレイムさんと同じように聞けと仰います? でもブレイクのことです。そんなことをしたらレイムさんが相談に来た事など見通します」
「分かっています」
「……心配はわたくしだって心配ですが」
「シャロン様?」
「たぶん話したくはないのでしょう。余り過去のことは」
夢で魘されて呼ぶ”お嬢様”が自分に掛かっていない事などシャロンには言わずとも分かる。
嘗て己の罪の代償として失った幼い少女に対して呟かれる言葉なのだ。もしシャロンに掛かっているのだとすれば、喪失への怖れだろうが今のブレイクでは可能性は薄い。
良くも悪くも彼は人としての定義を外れた。
それよりも前に恐怖を抱いても克服をする術を身につけていた彼が連日苦しむ事は無いだろう。
「見守るしかないと思いますし。……それに」
「それに?」
「話すなら、わたくしにではなく、レイムさんにだと思います」
にこりと笑って断言すれば目を丸くしたレイムが一瞬言葉を呑んだ。
音も無く立ち上がったシャロンを視線だけで追ったレイムに、窓から覗く午後の穏やかな庭園の様子を眺め与える言葉は限られている。
「さ、レイムさん。お時間でしょう?」
この後に彼が会議に参集されるのは頭の片隅に記憶していた。懐から取り出した時計で時間を確認したレイムが慌てて立ち上がり、律儀に一礼は忘れずに部屋を出て行く。
普段よりも少し速い歩調が廊下から去っていくのを確認してシャロンは溜息を吐いた。
ついと長いドレスの裾に隠れたほっそりと伸びた足を態と行儀悪く鳴らす。貴族の淑女にしては粗野なやり方は彼女らしくは無いが咎めるものは無い。
「”一角獣”」
短く呟かれた言葉に足元に落ち蟠った影がざわりと動く。
「待ってください、お嬢様」
高く嘶いたそれを遮るように冷静な声が落ちた。
視線をあげれば扉の手前にいつの間にか佇む人影がある。先ほど話にあがった良く知る人物にシャロンは笑んだ。
「いらっしゃい、ブレイク。来ると思っていました」
「よく言いますヨ。”一角獣”を使ってここの会話を全部筒抜けにしたくせに」
「手っ取り早いでしょう?」
笑って返されてしまえば反論も何も失ってしまい、ブレイクは溜息一つ落としレイムが先ほど座っていたソファに重さを感じさせぬ身のこなしで座り込んだ。
先の客人の飲み残しがあるカップの縁に指を這わせなぞり、くすりと笑みを零す様子をシャロンは黙って見守る。
「意地悪なのはお嬢様の方ですよネェ?」
相談事をしてきたレイムに向けた言葉をそのまま口にして小さく笑いを零しながら視線を上げたブレイクが首を傾げる。
あわせて首を傾げたシャロンが「そうでしたか?」と返せば面白そうに目が細められた。
「相談するの知られたくなかったでしょうから」
「……まぁ、それはそうでしょうが」
レイムが話があると部屋を訪ねてきた直後、”一角獣”を気付かれぬように使い”イカレ帽子屋”の所に向かわせたのだ。
物質と物質の影を繋ぐ能力のある”一角獣”は人と人で使えば、影を道のように使うことや忍ばせた相手へ自分の意志を伝えることも可能にする。
しかしチェイン同士で使うとなれば多少勝手が違うらしい。
”一角獣”を”イカレ帽子屋”の元に向かわせ、逆にこちら側の情報を相手に見せることも許せば可能になる。
前に一度ブレイクが出来ると言っていたのを思い出しての行動だった。
下手に気を回し動くよりも自分らが心配しているのだと見せてやった方が良いと気付いたのは、彼が深淵に落ち戻ってきた後である。
「お嬢様、性格が一層宜しくなりましたよね」
「誰のせいだと思ってるんですか?」
「私のせいでないのは確かデス」
一つ溜息を深々と吐いて背もたれに重心をかけたブレイクが天井を仰いだ。
窓から差し込む陽光が跳ね、淡く光の線が描き出されているそれを見詰め続け吐き出される言葉は沈黙に呑まれかけた。
魘されているのを気付かれていたのはブレイクだって分かっている。夢見に関しては制御しようがない。
「理由は分かったんですよね」
「……ブレイク?」
「私が魘されている話でしょう? レイムさんやお嬢様が考えてる通り、ここに来る前の、昔の夢です」
決して消えない罪があるのだとすれば、間違いなくブレイクが深淵に落ち、時を超えレインズワース家に保護される前の出来事も該当するだろう。
三桁に及ぶ人の命を己が願望の為に奪い続けた行為を罪と呼ばず何と呼ぶのか。
しかし喪失感と罪悪感が拭えぬまま自暴自棄で過ごした時期ならともかく、今更になって鮮明にその頃の夢を見るのだ。
手に掛けた人間を切る感触も、声も、鼻につく独特の鉄臭い血の臭いも、酷く鮮明に。
「過去を見ているのかとも思ったんですけどね」
「夢なのでしょう?」
「だと思いますよ」
曖昧に笑って首を傾げる様子に僅かに眉を寄せたシャロンが向かい側のソファに腰掛ける。
昔のように隣に腰掛けないのは一応線引きのつもりであった。彼はもうレインズワース家の使用人ではなく、パンドラに所属する或る契約者のチェインに過ぎないと傍目に理解させるための行為。
シャロンの内心に気付いてか一度空いている傍らに視線をやった後にブレイクがシャロンに視線を合わせてくる。
「実際、聞こえなかった声が夢の中で何度も聞こえるんです」
「声?」
「夢をね、見るんです。過去の夢。私が、自分の弱さを認めらず過去を変えようとして関係の無い人間に手を掛けた、そのときの記憶」
夜な夜な人を求めて彷徨い歩いた記憶。路地に凝る暗闇で過去を変える願望の為に躊躇い無く斬った人間達の声を覚えている。
いつだって恐怖に染まり、引き攣った声で助けを求めた。その声ごといつも切り捨てた。
得物を伝う血が生温く不快だったのを覚えている。嫌悪感は自分に有ったのか今ではよく分からない。
たくさんの命を奪い汚れた手で過去を変えたとして自分はまたあの場所に戻れたのか、そちらの方が気になった。
「誰の声ですか?」
シャロンの問う声にブレイクは緩く笑むしかない。
「シンクレア家の、一番末の……私が、」
おいていかないで。一人になっちゃうよ、と涙ながらに引き止めた幼い愛らしい容姿の少女は、過去を変えたかった自分の浅はかな願いによって深淵に引き落とされ犠牲となった。
過去を捻じ曲げた代償に違法契約者として一族全てを殺し深淵に引きずり込まれたか弱い少女。
本来なら、若しくは地位的な裕福は無かったとしても幸せな家庭を持つことも出来たかもしれない未来を摘み取ったのは他でもないブレイクだ。
深淵に引きずり込まれれば、遅かれ早かれ自我は融けチェインに変わると分かっている。
人の輪から外れた原因は自身の罪にある。全てを飲み込むように途切れた言葉の続きをブレイクの唇は紡いだ。
「殺してしまったお嬢様だった、少女の声です」
弱い声だったのに酷く耳に残るものだと静かさが支配した部屋の中で他人事のようにブレイクは思った。
陽光は暖かであるのに暖まらない。冷たさがじんわりと這い上がるようで微かに震えた先で、膝の上に置いた手に暖かな温度が重なる。
「ザクス兄さん」
そっと立ち上がりテーブル越しに手を握ったシャロンが呼んだ。
血色の良くないブレイクの手を取り両手で包み込んで、祈るように手を引き寄せる。
冷たさが一気に振り払われる感覚に資格など無いと振り解くべきかと迷ったブレイクは、温度を甘受するに止める。
何も与えられないより与えられて感じる痛みがあるのなら、自分勝手に罪の贖いと履き違える事ができる。都合の良い自己解釈で自分を救える。
けれど人でない身となって本能で知るのだ。元々心でもってただの自己満足に意味は無いのではないかと疑問付けたものに対して、明確に答えが自身の中から返る。
意味が無いのではなく故に人は弱く強く、チェインの本能を満たす存在である必要不可欠な歪みである、と。
自我を保ったまま存在をチェインに変えたのは深淵の意志が言うには自分のみ。
人間の感性を持ったまま働く本能はチェインに帰属するならば、それこそ酷く歪みを伴っているのだろう。
それはそれで良い。深淵に住まう存在の中でも異質の力を持つ”イカレ帽子屋”としては丁度良い存在定義であるだろう。
理解したつもりで切り捨てた感情の処理が追いつかず無意識下で現れる苦しみだというなら、また酷く滑稽だった。
「覚えてますか?」
「……はい?」
優しい声音が思考の海を彷徨った意識を引き戻す。
シャンパンゴールドの柔らかな髪を揺らし微笑んだシャロンが労わるように手を握り直した。
「花冠の作り方、です」
「……何です? 突然」
唐突に話題を変えた意図が分からず、それでも花冠の作り方を脳裏に描く。
「覚えています?」
再度尋ねる声は他愛も無いように思える、今の質問が重要だと言わんばかりだ。
「覚えてますよ。忘れてません」
「そうですか。良かった」
「……お嬢様?」
「では、私が最初に花冠を貴方に作って貰ったときのことは、覚えていますか?」
言葉に導かれるように脳裏に描かれる記憶。
少女が庭で声を殺しながら蹲って泣いていた。空色のドレスの裾が風に煽られはたはたと揺れ、少女の柔らかな髪も合わせて揺れて、両手で顔を覆って泣く少女は顔を上げない。
片目を未だ包帯で覆った自分は少女を見つけ、どうしたものかと途方に暮れ声を掛けられず距離を置いて立ち尽くしていた。
あれくらい幼い子どもへの接し方を知らなかった。
ふと顔を上げた少女が視線を彷徨わせ自分を見つける。逃げられなくなった自分はゆっくり近寄り、
「――ああ。そうだ、私が教えたんでしたね」
ブレイクの言葉にシャロンは笑って頷く。
少女の足元には無残にひしゃげた花が散乱しており首を傾げた先で、少女がその一つを差し出してきた。
「はい。あの時一緒に頑張って作ってくれましたよね」
花冠が作れないの、と少女が泣きながら言うのでそれ以上泣かれても困ると慣れない手つきで一緒に花冠を作った。
決して上出来とは言えなかったそれを少女は嬉しそうに笑って被り、転びそうになるのを胆を冷やしながら追いかけた。
十数年も前の記憶は多少色褪せてはいたが鮮明に思い出せる。懐かしく暖かい記憶はシャロンとシャロンの母から与えられた。
「覚えてないと思うんですけど」
「……何を?」
思い出した記憶の中で取り零しがあるのか。
シャロンが気遣うよう一瞬目を伏せ、再度正面からブレイクを視線で捉える。
「花冠の作り方は、”お嬢様”が作っていたから分かると貴方は言ったんですよ」
「……え?」
「覚えて無いでしょう? 寝言で言いましたから」
「いつです」
「丁度あの後です。レイムさんと二人で聞きました。それからは、わたくし達二人で密かにしていた事があったんです」
「……二人でですか?」
「はい。ザクス兄さんには内緒でした」
「私に、秘密?」
手を離してソファから立ち上がったシャロンが陽光を差し入れる窓に近づく。
逆光で振り返ったシャロンの顔が良く見えず目を凝らすと僅かに口角を上げて、笑ったようだった。
「きっと手向けが出来ないとその手を下ろしてしまう兄さんの代わりに、わたくし達、花冠を作って」
後の言葉は必要が無かった。
立ち上がったブレイクがつかつかと歩み寄りシャロンの細い腕を取り引き寄せる行為に、彼女は全く抵抗しない。
人であった頃より低い身長のブレイクに言葉もなく抱き寄せられ、ぶつかった肩口でシャロンは続きの言葉を紡ぐ。
「こっそりシンクレア家のお墓に持って行っていました」
シャロンを抱く腕に力が篭る。少しだけ痛みを感じ身じろげば気付いたか直ぐに力は緩められた。
本当に器用で不器用な人なのだ、と思う。
真面目で純粋だったからこそ過去の責務に捕らわれて、罪を犯したのだろう。一途に過去を変えることだけを求めて血を流し続けたのだろう。
未だパンドラ内部の資料では凶悪事件と命付けられる程に、シャロンを抱く腕が、その手が奪ってきた人の命は多い。
許されぬわけが無いと思い続ける本人に与えられた本当の罰は、自身を許せぬまま生き続けてゆく事なのだろう。守りたかった命を救えず、叶えたかった願いは最悪の形で叶えられた未来で生きることは、彼にとってどれ程、絶望以外の思いを抱かせたのか。
ならせめて罪を被った手を伸ばせぬ彼がいるのなら、彼に今守られる自分が自己満足だとしても手向けてやりたいと思ったのだ。
嘗て守られていた少女へ、彼が教えて貰ったという花冠を。
勝手に外を出歩けないシャロンの代わりに出来上がった花冠を持っていくのはレイムの役割だった。
提案した幼いシャロンの言葉に頷いて、忙しい今でも毎年手向ける時期になれば必ず赴いてくれる。
「……ザクス兄さん?」
「……はい」
「声は、貴方が貴方である故に聞こえるのでしょう」
本能でのみ動く筈の異形に身を変えても、残った自我と記憶ゆえに、強い本能に抗うように出てきた抑制に過ぎない筈なのだ。
不器用に引き止める自分を傷つけて良いわけでも無い。
「わたくしは、ザクス兄さんの罪を肯定も否定もしません。出来ません。けれど、兄さんを否定出来ませんよ」
罪があってこそ今の彼があるのなら、罪を厭わず彼を抱きしめるだけだ。
「レイムさんもまた、同じだと思います」
歳の離れた親友の関係を築きながらどこか一線を越えてしまった彼の方が寧ろ、そうなのかもしれない。
告げれば、離れたブレイクが覗き込んでくるのを見計らってシャロンはにこりと笑みを零した。
容姿の中で唯一色素を持った真紅の瞳が一度伏せられる。
「敵わないな、シャロンには」
敬語を取り払った言葉は出会ったばかりの彼の、血は繋がらずとも兄として慕った彼のそのままを表す。
「ふふ。当たり前でしょう? だってわたくしはザクス兄さんの妹ですもの」
調子を上げて宣った言葉に小さく声を上げてブレイクは笑った。


***


連れて行ってくださいよ。
そっと裏口から出て行こうとしたレイムに気配も無く掛かった声は予想外のものだった。
嫌だと何度か言ったが押し切られてしまい、目的地に素直に向かうべきかどうかと悩んでいれば、白い指先が眉間に伸びる。
「ザクス」
「皺。取れなくなっちゃいますヨ?」
「誰のせいだと思うんだ?」
「私のせいですか?」
結局誤魔化すにも良い案は見つからず知らずに目的地への郊外へと向かう道すがら、石畳を走る車輪の緩やかに気だるい音の合間にブレイクの声が落ちる。
「ね、お嬢様に頼まれて墓地に行くんでしょう?」
「どうして?」
「教えて貰ったからです」
「誰から?」
「シャロンお嬢様」
毎年手渡される花冠は潰さぬよう荷物の一番上に包まれてある。
シャロン自ら作る花冠は庭師の作るものとは比べ物にならないほど質素な出来だが、寧ろそれが良いのだろう。
僅かに視線を下げ手提げの荷物を見遣れば、ブレイクの視線もまたそこに向かっていた。
「レイムさん、あのですね」
「……うん?」
「私は君にもお嬢様にも、いっぱい迷惑を掛けてるんですね」
「何を今更」
改まって言うべき内容ではないと良い掛けて、シャロンが花冠を手向ける行為を教えたのなら偏にひっくるめて掛かるのかと思い直す。
本当に今更過ぎて笑みを浮かべたレイムの様子に満足しないのか唇を尖らせわざとおどけた調子でブレイクが返した。
「酷いデスヨ」
「酷いか? 本当のことじゃないのか?」
さらりと返せばふっと緩んだ口元が茶化した言葉使いを一切捨てた。
「確かに。本当……子どもに守られていたようじゃね」
「いや。ただの自己満足だ。シャロン様もそう仰っただろう? これは私達の勝手な行為なんだから」
「でもね」
車輪が速度を緩める。
建物がまだらになり開け始めた景色は街の郊外に辿り着いた事を示していた。
閑散とした寂しさばかりが目に付く墓地の入り口に止まった馬車を降りたところで肌寒い風が強く吹いた。
「私は、勝手に救われた気になりました」
風が音を浚っていく中で呟かれた言葉を確かに聞き取ったが相槌は打たなかった。
きっと返事は望まないだろうと踏んで墓地を進んでいく間、歩調を合わせ隣を歩くブレイクの背中まで伸びた髪が時折風に遊ばれる。
銀糸が肩から滑り落ち邪魔だと押さえた手は元々血色が良く無いのに冷たい風に更に色を失っていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ?」
見上げてきた真紅の瞳が緩く細められ、視線はすぐに正面に戻る。
何度も足を運んできたのは互いにそうだろう。尤もブレイクは墓標に触れることも出来ず立ち尽くすことが多かっただろうし、触れてはいけないと思っていたのかもしれない。
犯した罪と引き替えに手に入るはずだった願いは、絶望的な形で結局ブレイクの望まない結末で閉じてしまった。
「夢を見るんです。レイムさん」
シャロンから手渡された白い花で作られた花冠を墓標に手向ける間、近寄りもせず見守ったブレイクがレイムの背中に語りかける。
振り返らず耳を傾けたレイムはぽつりぽつりと漏らされる言葉を聞き逃さぬように注意を払った。
「主人達を助けたくて、現実を受け入れられなくて、過去を変えたくて、……違法契約者として夜な夜な罪を重ねていた時の夢です」
馬鹿ですよね、と笑う気配がしたが笑ってはいないだろう。
「夢ではね、実際には聞こえなかった声が聞こえていた。……私の名前を呼ぶんです」
一歩。墓標に近寄る足音に肩越しに振り返れば、見下ろしてきた視線は真っ直ぐに刻まれた名前を見詰めている。
「今は呼ばれない名前をね、私の名前を何度も呼ばれて、それでも私は返すことも振り返ることも出来ない」
そっと伸ばされた指先が躊躇で止まる。墓標に触れるには罪に塗れ過ぎた己の手を恥じるようそれ以上先へは伸ばされない。
「あの時の私は彼女を守ってあげる選択肢を取れなかった。現実を受け入れることが出来ず自分を守るために精一杯だった」
「ザクス」
「だから、今になって夢を見るんです。彼女の名前は此処にあっても精神も肉体も此処には無い」
深淵に引き摺られれば何も残らない。
「自我は融けてなくなってしまいます。あの子は私のせいで落とされて意味も分からないまま、異形に変わった筈です」
伸ばされなかった指先が唐突に墓標に触れた。悔いるように手は刻まれた名をなぞっていく。
「許してくれとは言えないし、本当はこうやって触れるのさえ怖かった。でもそれさえ……自分勝手な解釈でしか無いと本能は告げるんです」
人としてあるならば決して導き出せない本能の声。
「死んだらそこでお終い。それ以上も以下も無く、殺すも殺されたも何も関係ない。分かっている」
「……ザクス?」
「人間であっても答えには辿り着いている。勝手に罪を償うために苦しみを負うだけだ。けど、私は」
「なぁ、ザクス」
「……はい?」
「良いんじゃないのか、別にそれは」
墓標に触れたままの白い手の上、レイムは手を重ねて思った通り冷たい温度に苦笑する。
自分も器用ではないと思うがブレイクはそれ以上に生き方が不器用だ。逃げ道を自ら塞ぎ、救いの概念も自ら捨て痛みを更に背負おうとする。
その痛みを贖罪とせず、痛みで錯覚を起こし自分勝手に罪を背負った気でいると結論付ける生き方をしながら、それでも笑うブレイクを放っておけなかったのは決して彼が無作為に人の命を奪うような選択を取る人間ではないと知ったからだ。
罰があるのだとすれば生きて罪を背負い続ける時間こそが正しくそうだろう。
彼のような人間にとっては一番の罰だ。忘れることなく自己を正当化することも無く背負い続ける。
人という存在でなくなった彼は皮肉にも人格も記憶も何一つ失っては居ない。存在の定義だけを変えてそこにある。
「ザークシーズ。私には犯した罪が償われる時があるのかどうか分からない。法によって裁かれることが償いにあたるのかも実際は分からない」
「レイムさん?」
「けど、抱いてきた痛みも自ら背負った罪の意識も、何も自分勝手だと言う理由で否定する事は無いと思う」
重なっていた手が僅かに震える。
「お前、自身を否定して消えてしまうつもりか?」
「……え?」
「お前の力は否定する事で”消滅”を導く力だろう? そのうち自分を消滅させてしまうつもりか? 器用だな」
「そんなこと」
「自身の過ちを罪だと、償いたいと思う気持ちが悪いわけがない。……それで苦しむのなら少しでも力になりたいと思う」
「自分勝手なんですよ。それに意味は無いんです」
「知ってるさ。私にだってそんなこと分かってる」
墓標の前に供えた白い花冠が視界に入り、密やかに慣れた手つきで花冠を作ったであろうシャロンの姿が思い浮かぶ。
自分勝手な行為だというのは理解している。彼女もまた知りながら、それでも祈るように毎年花冠を手向けるのだ。
「でも、私達は人間で。お前は今は違うけれど、でも心が残っているのだから仕方が無い」
贖罪にするつもりは無い。身勝手な理由で出来上がる行為に価値は無いというのなら、それはそれで良い。
しかし意味が無いと言わせるつもりもない。
「仕方ないって、レイムさん」
「なぁ、ザクス。聞きたいことがあったんだ」
「……はい、何ですか?」
「チェインは何故、人の願いに惹かれるんだろう」
「それは」
言い淀むブレイクにレイムは笑った。
人間の身勝手な行為は不毛なほどに実を結ばない事も多いが、そこまで価値が無いわけでもないのだろう。
「答えが出ただろう? それも身勝手なものかもしれないが」
「そうですね」
何も罪に苛まれる意識まで否定し、無意識下で苦しむ事も無い。
背負った全てを不器用に抱えながら生きる年上の癖にどこか危うい存在を、犯した罪を知った上で好きになったのだ。
その姿勢を定義が変わったからと自己否定で更に痛みを背負う行為を見逃せる筈が無い。
立ち上がったレイムに釣られた腕を引けば、予想外だったのか珍しくよろけたブレイクが訝しげに見上げてくる。
「どう思ってるか知らないが、ザークシーズ」
「……は、い?」
「私もシャロン様もお前が思ってるより、お前のことが好きなんだ」
少しくらい甘えてくれて良い。
小さく言い添えた直後、恥ずかしげに視線を逸らし先に踵を返したレイムの背中を呆然と暫く見詰めブレイクは薄く笑む。
どんどんと歩を進め距離が開く背中と背後にある墓標に交互に視線を遣って、確かめるようにもう一度冷たい感触の墓標に触れた。
「本当、私だけ幸せになったら駄目ですよネェ……。ね、お嬢様」
しかし語りかける声には穏やかなものしか含まれていない。全て身勝手に感じる思いならば知っている。チェインは何故に人の想いに惹かれるのか。
偏に善悪関係無く人の身勝手な行為は純粋な願いを含み、チェイン達にはどうやっても手に入れることの出来ない輝きであるからだ。
名残惜しげに一度苔生す表面を撫でて手を離したブレイクが数歩歩いて振り返る。
声は無く唇だけで告げた言葉は誰にも届かず、宛てた相手にも届いたかは分からないが、応えるかのように手向けられた花冠が僅かに揺れる。それだけで十分だ。
目を細めたブレイクが随分と離れてしまったレイムの背中を追って駆け出す頃には言葉は残滓も無く、消えていた。


―――今度は私が花冠を作って、会いに来ます。
 


>>ifチェイン設定。此処が一番シリアスかもしれない(?)
  帽子屋さんがいつだって罪に苛まれてる人だと思うから。
  レイムさんとシャロンたんで全力で支えて欲しいな。
  そこにそのうちオズとギルも加わって欲しいな。
  全部突き抜けて、痛みも何も本当の意味で抱きとめて笑える帽子屋さんならいいな
  最終的にはそう思っているよ、って話。

不思議な話なのだ。暖かさも何もなかったはずの存在に、寄り添う感覚だけが灯った温さで人間味を繋ぎ止める境界線を形成していた。寒かったというのか、暖かかったというのか。非常に曖昧な場所で手を伸ばせば脳髄に響く低音が酷く心地良かったのを覚えている。
声が名を呼ぶ。男は悲しいくらいに頭を振った。
見えぬ姿も距離を置いて響く声も何もかも夢と同じで男に現実味を与えてはくれない。
唯一、叩き切った頭蓋骨の、鈍い音と感触が間接的に命を伝える。尤もそれは他人の命が流れ出るという意味で。自分が生きているのか死んでいるのか、そんな主観的なものではなかった。
赤く染まった手はこびりついた血液が乾くのにつれて黒く変色していく。酸化していく目に見える変化は、自身がさび付くような錯覚を起こした。
ああ、何故視界は赤い? なのに何故欲しい赤は無い?
夢現のどちらに属する渇望か分からぬまま、男は天を仰いだ。気に入らないほど赤く染まった空だった。


――ああ、気に入らない。


>>ずっとあの赤を探している。そんなカイムさん。
   時折書きたくなる、なんかそんな感じ。

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くまがい
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性別:
女性
自己紹介:
此処は思うがままにつらつらとその時書きたいものを書く掃き溜め。
サイトにあげる文章の草稿や、ただのメモ等もあがります。大体が修正されてサイトにin(笑
そんなところです。

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