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それは水銀。
とろりと蝋燭の灯りを内包し、ゆるゆると滑らかな曲線を描き、円環を示す陣は魔力を注ぎ込まれ、煌々と浮かび上がる。
小さく喉を鳴らしたイワンは利き手を上げた。陣を描くのは何も血でなくとも良い。要は一滴の血と術者の魔力を注ぎやすい媒体を選べば良いのだ。
風が吹いた気がした。否、魔力が陣を介し流出し帰化する。定理に因り増幅されるエネルギーが白銀に似た髪を揺らす。
『素に銀と鉄。礎に石と契約の大公、祖には我が大師シュバインオーグ……』
定型句。定められた依り代に導かれ、形成される、その、
『降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ』
古びた本に書かれるは簡易な方陣。それ以外は口にする韻文のみ。余りにも簡易な術式形態にイワンは首を傾げたものだ。
仕組みは分かる。英霊召喚と大それた言い方をしても、それは代行召喚に過ぎぬのだ。
召喚は既に為され、術者は唯、現世に呼び留められた英霊と一つの依り代を持って契約を果たす。
『閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
――繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する』
ちり、と手の甲が疼いた。
召喚陣から溢れる魔力の奔流に合わせ、白い手を嘗めるかのように赤い文様が浮かび上がる。
『――――告げる』
令呪。
白い肌に禍々しく浮かび上がった契約の依り代が光を纏う。
いよいよ召喚の収束に向け、魔力の奔流がイワンの細い身体を襲った。蹈鞴を踏む。
『告げる……!』
視界を光が支配していく。
脳裏に浮かんだのは、悲しげな笑顔だった。出来れば重すぎる責務を背負わせたくないと嘆いた母の。
『汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に、
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』
でもそんなのは無理だ。
最初から分かっている。この土地の魔術師として根ざすカレリン家の長子として生まれたからには、この運命から逃れられないと幼い頃から理解していた。受け入れていた。
『誓いを此処に』
それでも。
(怖いものは、怖いけど)
『我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、』
最後の一句を口にしてしまえば戻れない。
血塗られた戦いに投じることになる身に、震えが走った。
臆病な自分は、出来れば時が満ち巡るのが当世でなければ良いとさえ思っていたのだ。
『抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!』
行使となる呪を口にする。
途端、膨れあがった魔力が一点に収束していく。強い衝撃を受け、腕で顔を庇う。目映い光が視界を奪った。
カツン。石床を叩く踵の音。無人だった工房に降り立った神々しさを纏う気配。
――ああ、もう戻れない。今までの平穏な日々には。
イワンは瞳を閉じ覚悟する。これから待つのは殺伐とした闘争の日々だ。
「令呪の導きにより召喚に応じ参上しました」
ふ、と。冷涼な声が耳朶を打つ。それはイワンの想像と違う威圧的でも仰々しい物言いでも無く、どこか親しみのある丁寧さの声音だった。
顔を庇っていた腕を下ろし、開けた視界の先に浮かぶ人影を見る。
すらりとした均整の取れた体つきの青年が、イワンを見ていた。
「貴方が、僕のマスターですか?」
自分が未熟だというのは重々承知だった。
前当主だった父が早逝し魔術協会での恩恵が薄く、英霊召喚における媒体も用意出来なかったのもあるかもしれない。
あるかもしれないけれど。
「……あの、それじゃ、あの」
これはあんまりだ。とイワンは内心嘆いた。
工房から小さな応接間へと移動した二人は、早速、互いの名を明かそうとしたのだが。
「ええ。そうです。僕は英霊は英霊ですが未来の存在です。貴方がいるこの時代には存在していません」
まろやかな金髪の美丈夫は、口篭もるイワンを不思議そうに観察し、しかし確実にイワンの不安を抉った。
なんでまた、そんな存在を召喚してしまったのか。
抑も召喚対象となる英霊に未来の存在が含まれるなんて聞いたことがない。
もしかしたら間違ったのだろうか。
陣の描き方? 媒体? それとも召喚句?
地下の工房で行った術式過程を顧みても、思い当たる節がなかった。ということはやっぱり未熟さと凡才ゆえの事故か。
元々無茶だとは思ったのだ。
魔術師の家系ではあるが、父が幼子の頃になくなり、残された書物と道具はあったが、ほぼ独学で魔術を身につけた自分には。
「ですからね」
ぐるぐると纏まらない頭がネガティブ思考に染まりかけるのを、留めるように金髪の偉丈夫は指を立てて片目を瞑る。
「誰も知らないわけですから、弱点を知られずに済みますよ」
ふふ、と笑みを零す英霊にイワンは言葉を飲み込む。
同じ事を考えていたのに、真逆を言われ、まじまじと召喚したサーヴァントを見た。
「でもまぁ、人前で名を呼ぶならクラスの方が良いでしょうね。アーチャーと呼んで下さい」
「アーチャー……? 得手は弓なんですね?」
英霊は与えられたクラスの座に縛られ召喚される。そしてクラスにより、得手は異なる。
アーチャーと言うからには弓、或いはそれに準じた宝具を持つ名手であるのだろう。
首を傾げたイワンに、しかしながらアーチャーは困ったように笑った。
「いえ、何と言えば良いんでしょうね。僕、弓は使えないんですよ」
「……はい?」
「ま、しっくり来るのがなかったからここで良いか状態だと思います」
なにそれ。そんなの聞いたこと無い。
矢張り間違えたんじゃないだろうか。抑も聖杯戦争に参加すること自体、大間違いだったんじゃないだろうか。
頭を抱えたくなるイワンとは裏腹に、ソファに腰掛け足を組んでいたアーチャーが音もなく立ち上がった。
目の前に立つ気配に、はっと顔を上げる。
「何はともあれ。これから僕と貴方はお互い命を預け合うパートナーですから」
鮮やかな緑の瞳が笑む。
イワンの利き手を取り、無駄の一切無い洗練された所作で身を折る姿に目を奪われた。
「バーナビーと言います。宜しくマスター。お名前は?」
英雄が昇華された英霊の身でありながら、一介の魔術師に跪いた事実に慄く。
「ちょ、っと」
慌てて視線を合わせるように膝をついた。きょとんと目を丸くする表情はどこか幼さを感じた。
整った顔立ちのアーチャーに真っ直ぐ見詰められ、恥ずかしくなり俯く。小さく「あの」と言った言葉は届いたろうか。
「名前、教えて下さい」
「イワン……。イワン・カレリンです」
イワン。小さく口の中で転がすように名を呼び、アーチャーは笑む。
それは見た者を蕩かすような笑みだった。召喚陣から現れた時も思ったが、綺麗で格好良い人だ。同性であっても魅了する存在感が有る。
見惚れたイワンの顎を、何を思ったかアーチャーは滑らかな指を滑らせ持ち上げた。
いつも俯きがちな視線が上がる。
え? と声を出す暇もなかった。
「……んんっ?」
唇が触れたと同時に割って入ってくる舌先が、上顎を擽る。舌を絡められ吸われ、混ざり合った唾液が唐突に解放された唇の端を零れる。
「な、に……っ、するんですか!」
呼吸困難による生理現象で潤む視界で、イワンは混乱したまま叫んだ。
なんでこんな。
「すみません。どうも魔力の供給不足だったもので」
涙目のイワンが睨み上げても、全く気にした風もないアーチャーがしれっと言う。
「知ってます? 一番手っ取り早い魔力供給は体液の摂取なんです」
それは分かる。召喚或いは使い魔使役の知識で頭には入っている。
けれど術者と召喚者の間には余程のことがない限り、魔力供給のパスが形成される。勿論イワンとアーチャーの間にも。こんな直接的な方法は必要ないのだ。
しかしイワンの口の端を伝う唾液を指先で拭って、アーチャーは真っ赤に染まったマスターに自分の中で最高だと思われる笑顔を拵えた。
「ですから定期的にお願いしますね?」
「そんなの、絶対にごめんです!!」
悲鳴のように返し、弾かれたように距離を取ったイワンが応接間から出て行く姿を、呆気にとられてみていたアーチャーがふっと浮かべる笑みを変えた。
悲哀と寂寥の混じったものに。
嘘。信じられない。
脱兎のように自室に駆け込み、イワンはベッドに身を放る。
スプリングの利いたベッドが細身を受け止め、陽光の香りを含んだシーツが安堵感を与えた。途端緩んだ緊張が、感情の抑制までも乱す。
初日からこんな事では先が思いやられる。そうは分かっていても、余りにもショックで、溢れた涙を誤魔化すように枕に顔を埋めた。
(だってひどい)
――はじめてだったのに。
>>アーチャー:バーナビー。マスター:イワン。。。
単独行動スキルを何よりバーナビーが求めたため、現界クラスはアーチャーに。
若い頃(20くらい)のバーナビーが、ライダー(虎徹)のマスターとして聖杯戦争に参加。
多次元世界では、バーナビーとイワンは知古で、
両親の遺言の通りバーナビーは公正を努め、正義であろうとした。
その際、イワンを犠牲にしてしまう。
イワンを救いたくて、そのためなら自分を消してしまえばいいと
今回は狙いまーす☆
何よりイワンの身を大事にする。
魔力供給といって、イワンの唇を奪うが、その必要は全くない。
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